第5話 夕闇の荷運びは魔の香り

俺が王立職工ギルドに所属してから、またたく間に二年が過ぎた。三度目の秋も終わり、季節は冬になっていた。


俺が職工ギルドの門扉もんぴを叩いた日、ちょうど姿を消した職人が何人かいたらしい。拍子抜けするほど簡単に、俺は職工ギルドに入ることができた。王立のギルドには、慈善事業的な側面もあるというのも理由の一つだろう。もちろん俺がまだ若く、手先が器用だった事が一番の決め手だ。


入所後、アインの母親の事件についてそれとなく当たってみたが、分かったのは彼女が神金鋼オリハルコン錬金を任されるほどの腕の良い職人だったことぐらいだ。失踪から死亡への経緯につながるような話は何一つ聞けなかった。


ギルドの仕事と自己鍛錬に勤しむ中で、俺はやがて情報を追うのをやめてしまった。アインと別れて以来、教会に近づいていないから、当のアインにもあれっきり会っていなかった。



「お、おはよう、クラウド」


ギルドの工房に入ると、仕事仲間のドニーがおずおずと声をかけてきた。ドニーはひょろっとした背の高い青年で、いつもおどおどしている。皮加工や裁縫仕事を得意としていて、裁縫部門――いわゆる裁縫組の一員だ。


クアッ


俺の代わりに返事をしたのは、肩に乗せているアクーだ。だいぶ大きくなり、飛べるようにもなった。見た目に寄らず、聞き分けがいい奴なので助かっている。


「やあ、アクーも元気かい?」


クアァァー


アクーは軽く羽ばたくと、挨拶代わりにドニーの肩に留まって見せた。

初めて職工ギルドに連れてきた時こそ警戒されて、ちょっとした騒ぎになったものの、今ではアクーはこの工房のマスコット的な存在になっている。


「はは、元気そうだね……」


肩口からアクーに顔をのぞき込まれたドニーが、動揺しながら言った。笑顔だが腰が引けている。

アクーが俺の肩に戻ると、ドニーはほっとした表情を見せた。


「君の作ったハサミって奴は便利だね。作業がはかどるよ」


前世からの記憶にあったので、金属加工の手習い用にハサミを作ってしまったのだが、この世界では偉大な発明だったかもしれない。


(こんだけ文明が進んでるのにハサミがないとかどうかしてるよな)


まるで車輪を発明できなかったメソアメリカ文明のようだ。

前前世むかしの記憶が曖昧あいまいだからうっかり作ってしまったが、目立ちすぎる行為は気を付ける必要があるだろう。

ドニーに応える間もなく、俺に気づいた裁縫組が次々に声をかけてきた。


「あの、このハサミなんだけど、俺にはうまく切れないんだ。見てくれるかな」

「ああ、あんたも左利きなんだな。そうすると挟み方が逆になるんだよな。あんた専用に逆刃のヤツ作ってやるよ」

「よう若棟梁とうりょう、コイツも見てくれよ」

「あっ、これは最初に作ったやつだからな。もうガタがきてやがる。調整して精度を上げよう……新しくした方が早いか?」

「おーい、俺にも専用のハサミって奴、作ってくれー」


俺は寝る間も惜しんで仕事と学習に勤しみ、この二年間で<木工><金属精錬><金属加工>の技能スキルを大いに磨いていた。

レベルで言うと、一番高い<木工>と<金属精錬>の生産スキルのレベルが二十を越している。つまりマスター・クラス。腕の良い職人として、独立しても食っていけるレベルだ。


生産スキルの習得の早さに加え、前世での知識を応用に活かしたこともあって、俺は工房でも信頼のおける職人として一目置かれるようになっていた



ノルマの仕事を終わらせる頃には、もう夕方になっていた。


「やれやれ、今日は自由創作の時間はなさそうだな。アクー、早く帰って晩飯でも釣りに行くか」


クアックアッ


アクーが嬉し気に鳴いた。

帰り支度をしていると、金属加工班長のバルテルがやってきた。髭面でがっちりした体型。ドワーフみたいな男だ。採用の時に俺を拾ってくれた人で、徒弟制度で言えば俺の親方にあたるから頭が上がらない。


「クラウド、急な荷運びが出てな。ガランが港の倉庫街の方へ行くから、お前も乗って行ってくれ」


嫌な予感がしてきた。

突如、翼竜が来襲した事件から二年。危ぶまれていた戦況も好転し、あれから翼竜が王都の空をおびやかすような事態は起きていなかった。

しかし王都に平穏が訪れたかと言うとそうでもない。

一年ほど前から、夜になるとどこからともなく現れる『悪鬼』と呼ばれる怪物たちが巷を騒がせていた。

職工ギルドの運送用の荷馬車が襲われる事件も何度かあり、以来、荷運びの際には衛兵が付くか日雇いの護衛を雇うことになっていた。


「どうした。どうせ帰り道だろ?」


バルテルは無口なたちだが俺とは話してくれる。それで俺のこともよく知っている。

確かに俺の下宿先は海からほど近い所だ。


「……まあ、いいけど」

「助かるぜ。急なことで護衛が間に合わなくてな」

「衛兵は?」

「それが今日は王宮で凱旋パーティーがあるとかで人手が足らんらしい」

「ああ、要塞を奪還したとかなんとか。パレードもやってたなあ」

「それよ。ヴィシラス様の二年ぶりのご帰還だからな。盛大にやるらしい」


俺は窓から外を眺めた。

弱弱しい日差しが、石畳と冬枯れの街路樹を赤く染めていた。

停まっているはずのピケッティ監督官の派手な馬車が、今日はないことに俺は気づいた。

ピケッティは職工ギルドの管理責任者をしている宮廷魔術師で、毎終末は必ず帳簿のチェックにやってきていた。今日、姿を見せないということは、ピケッティも晩餐会に呼ばれているのだろう。



バルテルと別れ、搬出口の方に行ってみると、すでに荷造りを終えた四頭立ての幌馬車が俺を待っていた。荷運び専用の大型馬車だ。

すぐに御者のガランが俺に気づいて、しわがれ声を張り上げる。


「おいクラウド、遅いぞ。ボヤボヤしてると置いてくぞ」


そうしてくれても良いんだぜ、という言葉を呑み込み、俺は黙って幌馬車に乗り込む。

ガランは俺と同じ鍛冶組で、鍛冶職人らしいガタイの良い壮年の男だ。いつも髭は剃っているようだが、濃い体質なのか、この時間になると無精髭が伸びている。


すぐ出発かと思ったが、なかなか走り出す様子を見せない。ガランに訊いてみると、もう一人、来るということだった。


(なんだよ俺が遅いわけじゃねえじゃねえか)


暇なので貨物をあらためてみる。

運ぶのは長剣ロングソード短剣ダガーなど武器の類らしかった。素材はどれも白銀鋼ミスリルだった。白銀鋼というのは鉄よりも硬くて軽い上級の素材だ。

上に乗っていた何本をどかすと、いくらか出来の悪い剣が出てきた。

俺はそのうちの一本を手に取って、御者台に座っているガランに見せた。


「こいつをどう思う?」

「粗悪品だな」

「全然ダメだよ。ナマクラだ。誰とは言わねえが、入ったばっかの新人が打ったやつだろコレ。こんなん出荷して良いのか?」

「それくらい緊急ってことじゃねえのか。港の倉庫に持ってくってことは、船で北港行きだろ。北の前線は激戦地って聞くからな。王弟オレリアン様が前線で奮闘してるから、なんとかもってるって話だぜ」

「じゃあ、なおさらまずいじゃねえかよ、こんな粗悪品。しかもヘタクソに白銀鋼材を使わせるって妙じゃないか?」

「そらそうだがな。俺たちゃあ、言われたことをやるだけよ。文句言ったってしょうがねえ」


ガランはそれ以上、頭を使うのが面倒くさそうだった。

確かにそれを突き詰めた所で俺たちにはどうにもできないし、関係ないと言えば関係のない話だった。

俺たちが口をつぐんでから、しばらくしてドニーが姿を現した。俺と同じで港湾地域に住んでいるから、白羽の矢が立ったのだろう。


(どうせならもっと強面こわもての奴に頼めばいいのにな)


いつものようにおどおどした様子で荷台に片足を掛けたドニーに、俺は手を貸した。

ドニーは俺を上回る怖がりだ。

ドニーが乗るか乗らないかのうちに、ガランが馬に鞭をピシリと当て、幌馬車が動き出した。


(せっかちな奴だ)


動き出した拍子にドニーがバランスを崩して落ちそうになる。

俺は握ったドニーの右手を強く握り、引き戻してやった。同時に、恐怖でひきつった顔をしたドニーを見て、俺は思わず吹き出してしまった。


クアッ


アクーも笑っている。


「二人して酷いや」


ドニーはそう言って顔をしかめたが、荷物の上に腰かけると安心してアハハと自嘲じちょう気味に笑った。


「悪い悪い」


俺は謝った。

幌馬車は街路に出ると、闇夜に飲み込まれつつある王都の街を軽快に走り始めた。



俺とドニーは、積まれた木箱の上に仲良く並んで座っていた。幌馬車に揺られながら、王宮で行われている祝勝会の話になった。


「なあドニー。ヴィシラスって誰だっけ」

「えっ、知らないの!? うちのギルドの監督官の一人じゃない。ピケッティ様と同じ宮廷魔術師だし、王様と同じぐらい有名だよ」

「そうなのか?」


俺の問いにドニーは声を上げて笑った。


「本当にクラウドは世の中のことに興味ないんだなあ。ヴィシラス様は、英霊召喚で呼び出されたすごい魔女だよ。まあ僕が赤ん坊の頃の話だから、何があったのか詳しくは知らないけどね。なんでも異世界から戻ってきたって話」


たしかドニーは俺より一つか二つ年上だから、俺が生まれる前の話かもしれない。


(ヴィシラス……か……)


忘れようとしていた前前世むかしの記憶が蘇ってきた。

勇者パーティーにそんな名前の女がいた。


「なあ、英霊召喚って、過去に王国のために戦った英雄を呼び出すって儀式だったよな」

「そうだよ。英雄のを呼び出すね。ヴィシラス様は、前世では魔王と戦ったんだって」


(やっぱり。あいつだ間違いない)


壊滅した魔王討伐パーティーにヴィシラスという魔術師メイジがいた。気が強くて近寄りがたい、冷淡な奴という印象の女だ。盗賊ローグの俺を、いつも睨みつけるように見ていた。

そんな奴が王国内の権力者とは。前世でパーティーを置き去りにした俺にとっては色々まずい。ヴィシラスも俺のように前世の記憶を持っているのだろうか。

まだ分からないが、嫌な感じしかしない。最悪の事態を想定しておくべきだ。


(関わらないようにしよう)


もっとも上流社会でもてはやされているご身分なら、俺なんかとはすれ違う機会さえもないだろう。


(いや待てよ、監督官か)


もしかすると職工ギルドで鉢合わせするかもしれない、と考えると身の毛がよだった。


(気をつけないとな)


幌馬車は<海西森林公園>の中央路に入ると、大きなカーブを描いて曲がった。

公園には、市街地のように精霊燈――精霊工学を利用した街燈は設置されていなかった。道を照らすのは御者台に吊るされた角灯ランタンかすかな月明りだけとなった。

俺はなんだか妙な気分がしてソワソワし始めた。


「おい、なんでこんな所通るんだ?」

「近道だ。ギルドの指定ルートだぞ」


御者台のガランに問いかけると、面倒くさそうな返事が返ってきた。

港湾部が近づいてくるにつれて、霧が濃くなってきたようだ。この夜霧や、年中降っている小雨は王都の名物のようなものだ。


ヒヒヒーン


馬のいななきと共に、荷馬車が急停止した。

俺とドニーはつんのめって、危うく荷台から転げ落ちそうになった。


「どうしたッ!?」


声を掛けるが御者台からの返事はない。


"スキル<気配感知>を発動しました。"


ガランがいない。

慌てて御者台と荷台を仕切る垂れ幕を跳ね上げると、ガランがまたたく間に霧の中へと消えていくのが見えた。これでどんな事態が起きたのか、おおよその見当はついた。


「ヒィッ」


俺の後方で、悲鳴ともしゃっくりともつかない声を上げたのはドニーだった。

振り返ると、俺の横に座っていたはずのドニーも後部から荷台を飛び降りて、足をもつれさせながら必死に逃げ出していた。


(おいおい、なんで二人とも俺より早いんだよ……)


誰も荷を守ろうとしないという、見事な人選じゃないか。これではまるで護衛になっていない。

だが、その方が助かるというものだ。あの二人にはさっさと逃げて貰った方が良い。俺一人なら、闇に紛れてなんとでも逃げようがある。下手に戦われてしまったら、俺が逃げる時に後味が悪い。そう、あの時のように。


(ふせてッ!)


突然、頭の中に声が響いた。

俺はすかさず頭を下げた。

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