第2話 巣立ちの日~空き家の冒険

しばらくの間、館の外でドスンドスンと重い物がぶつかる音が続いたが、諦めたのかやがて静かになった。

俺は確認のため、扉に耳をあてて外の様子をうかがう。


"スキル<聞き耳>を発動しました。"


その時。


ドスン


向こう側からの衝撃が、硬いかし製の扉を通して俺の身体に伝わった。

どうやら鉄門を突破して、扉の前まで来たらしい。


「ここは駄目だ。奥へ行こう!」


怯えている少女が黙ってうなずくのを確認すると、俺は再び彼女の手を取った。

少女は強く握り返してくる。

俺たちはひとまず館の奥へと向かって廊下を進んだ。

いくつもの扉が目に入ってきた。外にいたとき感じたように、かなり大きな屋敷のようだ。

廊下の先を横切る足音が聞こえて思わず立ち止まる。

目を凝らすと、一匹のラットがこちらの様子をうかがっているのが見えた。


(なんだ鼠か)


気を張り詰め過ぎていたようだ。

我に返り、つかんでいた少女の手を離す。


「悪い」


少女は意味を理解したらしく、照れ隠しなのかうつむいてしまった。白い頬に赤みが差している。

俺もつられて顔が紅潮してしまったようで、顔の体温が上がるのを感じた。なんだか気まずかったので、話をすることにした。


「ええと、名前は?」

「アイン」

「アインって言うのか……」


俺は「苗字は?」と聞きかけて止めた。苗字を持つのはこの世界ゲアでは一般に貴族だけだ。

少女が着ているのはみすぼらしい麻の服だ。しかも薄汚れている。顔立ちは綺麗だが、栄養が足りていないのか血色も悪い。とても上流育ちの娘には見えなかった。


「俺は……」


ギィィ


後ろから床板がきしむような陰鬱いんうつな音が響いてきた。


(あいつら、もう来たのか?)


いや狂乱者バーサーカーが押し入ってきたにしては静かすぎる。


"スキル<気配感知>を発動しました。"


<気配感知>を飛ばしてみたが、何も感じられない。


「怖い」


アインが言った。


「大丈夫だ。何もいない」


と、慰めながらふと思った。もしかしてアインが怖いと言ったのは、物音の話じゃなくて俺のことじゃないだろうか。


(これって事案じゃねえかな)


そう思い当たって一瞬、背筋が凍る。

だが恐怖からか、今度はアインの方から手を握ってきた。

よく考えてみれば、もう中学生くらいになったとはいえ俺も子供だった。

複数の記憶が残っているせいか、時々混乱してしまう。


(セーフだ。セーフ)


見た目的には問題にならない。いずれにしても地球世界アロス的な価値観ではある。


「兄弟とはぐれたのか?」


アインは小首を傾げた。


「さっきって言ってたろ」


確かにアインは狂乱者に追いかけられている時、俺に向かって「助けて! お兄ちゃん!」と叫んでいた。


「それ違うの」


アインはまたうつむいた。


「なんとなく似てるように見えたから。でもそんなわけないよね。お兄ちゃんもっと大きかったし……」


アインの声が震え始めた。


「お兄ちゃんね、戦争に行ったお父さんを追って街を出て行ったの。お母さんも私も止めたのに。二人とも帰ってこなかった」

「悪いこと聞いたな」


また気まずい雰囲気になった。

俺は黙ってアインの手を引いて歩き始めた。


途中の扉にはわき目もふらず直進すると、突き当りに勝手口があった。

ここから出れば、瘴気しょうきにあてられた連中をまいて逃げられるだろう。

しかし鍵を外してみても扉は開かなかった。正確に言うと、ドアノブが固まっているようにピクリとも動かない。錆びているのか、それとも固めてあるのか、とにかくピクリとも動かない。


(魔法でロックしてあるのか!?)


もし魔法だとしたら、ここの管理者は魔法使いということになる。状況はすこぶるまずい。罠にはまった可能性もある。


(だとしたら最悪だな)


<魔力感知>のスキルを使ってみることにした。


"<魔力感知>に失敗しました。"

"スキル<魔力感知>が1上昇しました。"


俺は舌打ちした。こんなときに失敗するなんて。

<魔力感知>は、盗賊ローグが魔法の絡んだ罠を回避するために必須な能力だ。物品を鑑定するときにも使える。

ちなみに魔力マナを活用して魔法を使えるのが魔術師メイジ魔力マナを感じることができるのが僧侶プリーストと盗賊、感じることもできないのが戦士ウォーリアというのがこの世ゲアことわりだ。


(<魔力感知>はもっと上げとかないとな)


仕方がないので、次は窓を調べてみることにする。

俺は左手にある扉のない部屋をのぞいてみた。そこは厨房だった。

予想はしていたことだが、案の定、窓は外から目張りがしてあった。完全に外からふさがれている。

これでは強引に破るしか、外に出る方法はなさそうだ。それは最終手段に取っておこう。


(完全に廃屋か)


しかしそうなると、なぜ玄関の鍵が開いていたのかが謎だ。やはり罠なのだろうか。

勢いに任せてこの館に飛び込んだことを、俺は少々後悔し始めていた。

窓の隙間から入ってくる太陽光は赤みを増し、室内はいっそう暗くなってきていた。


「明かりが欲しい」

「そうだな。探してみよう」


アインの要求に俺は軽く頷いて言った。

俺は暗闇で活動するのも慣れているし、暗視ゴーグルをしているので困らない。

だがアインは違うだろう。まずは彼女を不安にさせないことを考えなくては。


(ああ、俺も大人になったもんだな。子供だけど)


俺は厨房を漁った。

幸い、非常用と思われるランプと火口箱マッチが見つかったので、すぐに火をともしてアインに手渡した。


「廊下を見張っていてくれ」


俺はアインを遠ざけておいて、換金できそうな物を棚から失敬した。ちょっとした小遣いだ。

この調子なら他の部屋にも金目の物があるかもしれない、などと考えている矢先、廊下の様子をうかがっていたアインが「あっ」と小さな声を上げた。

俺は慌ててアインの方を振り向いた。

アインは正面玄関の方を見ながら立ちすくんでいた。


「あいつら入って来たのか?」


物音もしなかったし、気配も感じなかった。

俺はアインに重なるように並ぶと、そっと顔だけ出して、玄関の方を眺めてみる。

そこには何か金色の光が浮いていた。光はじわじわと人型になっていった。


(出た。最悪だ)


ゴースト。俺がこの世で一番苦手な奴だ。

そのモヤモヤとした姿が、俺に前前世で死んだ時のことを思い起こさせた。

俺は戦慄せんりつし、恐怖から呆然と立ち尽くした。

しかし俺の心配をよそに、アインはスタスタと光の方へ近づいていく。


「待てよ、やばいって」


アインは俺の声が聞こえているのかいないのか、さらに歩みを進めた。もう光の目の前だ。

モヤモヤした光は、いまや完全に人の形をかたどっている。


「大丈夫。怖くないよ」


アインの声が暗闇に閉ざされた廊下に響いた。


(俺に言ってるのか? それとも……)


俺も恐る恐る光の方へと近づいて行った。無駄だとは思いつつも、一応、気配は消している。


「……ケテ……タスケテ……」


今度は途切れ途切れに少年のような声が聞こえてきた。人型となった金色の光が発しているようだ。声の主は、その頭身からして子供のように見える。


「どうしたの? どうやったらあなたを助けられる?」


アインがに尋ねた。


「コワイ……コワイ…モノガ……ボク……ノ……ヘヤ……ニ……」


そう発すると少年は、向かい合う俺たちの上を通り過ぎて階段の方へ向かって行った。

確かに害意はないように思える。


「ちょっと待ってくれ」


俺が声をかけると少年は立ち止まり、俺とアインの方へ振り向いた。


「一つ聞きたいんだが、玄関の鍵を掛けたのはお前か?」

「……シラナイオトナ……ハイッテクル……ノ……コマル」


そう答えて、少年はまたゆっくりと階段を上り始めた。

玄関の扉からはもう気配を感じなかった。狂乱者たちは諦めたのか、この館を後にしたらしい。


(結果的に助けられたのか?)


だが少年について行くかどうかは迷う所だ。

アインの顔色をうかがった。


(どの道アインは行くんだろうな)


俺は意を決した。アインを連れ、きしむ階段を震える脚で慎重に上がっていく。

不意に刺激臭が鼻を突いた。


"瘴気をレジストしました。"

"耐性スキル<瘴気>が1上昇しました。"


(うッ)


俺は反射的に手で口元をふさいだ。

一階にいたときは感じなかったが、二階は瘴気が通路中に充満しているようだった。


(アインは大丈夫なのか!?)


俺は狂暴化バーサークして襲い掛かってくるアインを想像した。

焦って後ろを振り向いたが、アインは何事もないかのように平然とした顔をしている。


「さっきの連中は怖いのに、幽霊は怖くないんだな」


アインに問いかける自分の声が震えているのが分かる。


「あの子は襲ってこないから」

「分かるのか?」

「なんとなく……悪い子じゃないのは分かる」


俺が階段の上で立ちすくんでいると、アインは俺を追い越して二階の奥へと進んでいった。


「おい、ちょ待て……大丈夫か!?」


不思議と瘴気が弱まった気がしたので、戸惑いながらも少し遅れてアインの後を追った。二階の廊下を進んでいくと、突き当りの部屋の前で少年がたたずんでいた。


「……ヘヤ……ニ……ハイレナイ……」


少年のいる付近からはさらに濃い瘴気を感じた。

おそらく少年が「入れない」と言っている部屋に、瘴気の発生源があるんだろう。


アインが部屋の扉を開けた途端、瘴気が一気にあふれ出してきた。


"瘴気のレジストに失敗しました。"

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