第1話 巣立ちの日~聖女との出会い

盗賊の人生なんてゴミ箱みたいなもんだ。

開けてみなくても分かる。


この世界ゲアでは、生まれつき四つの職業のどれかになると決まっている。

戦士ウォーリア魔術師メイジ僧侶プリースト盗賊ローグの中のどれか一つだ。

性別が男や女と決まっているのと同じで、いわゆる属性って奴だ。

は魔法も使えず力も弱い。四つの職業の中で最弱とされていて、名前の通り犯罪者になることも多いため忌み嫌われている。


(また盗賊かよ)


踏みつけにされる人生を繰り返すのかと思うとうんざりした。

だが少しだけ希望を見出す要素もあった。

ステータス画面ウィンドウを見直すと、<称号>の下に<能力値補正>の欄があった。そこには、


『虚無神の寵愛:能力値×1.1倍』


と書かれていた。

他の人間のステータスが分からない以上、能力値が少し増したところで相対的に高いのか低いのかよく判らない。それでも俺は素直に喜ぶことにした。


(でも『虚無神』ってなんだ?)


聞いたこともない神だ。

俺を転生させた、あの女神のことかもしれない。そう考えると微妙な心持ちになる。


転生後に突如開いたステータス画面にとどまらず、マップ画面が開いたり、頭の中にシステムメッセージが流れたり、おかしな事象は他にも起きた。まるで地球世界アロスにいた頃に遊んでいたゲームみたいだった。

あきらかに何かがおかしいが、


(おいクソ女神! 世界のシステム、バグってんぞー!)


などと心の中で叫んでみても、もはや女神からはなんの返信レスもない。

ステータス画面はなろう系でお決まりすぎて胸焼けがするが、スキルの上昇具合も分かって便利なものだ。


(モチベーションも上がるってもんだ)


俺は気持ちを切り替え、そのゲームみたいな情報を頼りにスキル上げに専念することにした。スキル次第で少しはまともな人生を送れると信じて。

俺の願いはただ一つ。

平凡で小市民的なスローライフを送ることだ。



そして無事、俺の思惑通りに十三年が過ぎた。

拾ってくれたシスターの庇護ひごの下、俺は退屈だが平穏な日々を送ることができた。裕福ではなかったが、ストリート・チルドレンでチンピラ街道まっしぐらだった前前世むかしに比べれば上出来だ。

生まれ変わっても容姿はさほど変わらなかった。

まとまりの悪い黒髪に黒い瞳。誰の記憶にも残らないような平凡な顔立ちで中肉中背。前前世むかしの俺にそっくりだった。


「クソッ、暑いな」


暑いと言っても、日本の暑さに比べればずっとマシだ。

ここ王都エルドゥーンの夏は、たぶんイギリスぐらいの気候だろう。王都は季節を問わず曇天で、この夏も比較的涼しい。

今、俺が不快感を覚えているのは身体を動かしているせいだ。

俺は<秘密の稽古場アジト>と呼んでいる粗末な木造の空き家で、いつものように軽業とナイフ投げの練習をしていた。


カンカンカーン


閑静な住宅地の静寂を打ち破って、半鐘の音が鳴り響いた。

市民たちに異常を知らせるそのの後に、今度は


「翼竜だ! 翼竜が出たぞー!」


という、叫び声にも似た男のがなり声が聞こえてきた。

翼竜というのは獣――ビーストの一種だ。形状から竜と呼ばれてはいるが、ドラゴンとは違う種であるらしい。言うなればサメとクジラくらいの違いがある。

思わず外に飛び出して鉛色の空を見上げると、漆黒の翼竜たちがプテラノドンのような巨大な翼を広げて滑空していた。


(王都を飛行獣が!?)


こんなことは今まで経験したことがなかった。王都の警備が緩くなっているんだろうか。


(空にも結界が貼られてるはずだけどな……)


俺が翼竜たちの勇壮な姿に見入っていると、中の一匹が猛スピードでこちらへ向かってきた。

嫌な予感がしてきた。

翼竜が足につかんでいたタマゴを俺に向かって投下した。


(クソッ、俺をまとにしやがった)


目の前にサッカーボールほどにでかい翼竜のタマゴが落ちてくる。


ドスン


普通のタマゴなら高所から落とせば簡単に割れそうなものだ。だが岩みたいに硬いその物体は、俺の足元の石畳を割って地面に突き刺さった。


(あっぶねー。この年でいきなり死ぬとこじゃねーか)


危機はまだ去ったわけではなかった。

落ちてきたタマゴがシュウシュウと音を出す。異様な瘴気しょうきを放ち始めている。


(魔獣か! 魔王軍の侵攻!?)


魔獣というものは少なからず瘴気を放っている。そのタマゴもまた例外ではない。

空襲してきたのがただの翼竜ではない、魔に侵されたビースト――魔獣であることに俺は驚愕きょうがくした。魔獣の群れに結界を突破されているということは、王都近辺に魔族の魔導士部隊が展開しているということだろう。

魔族との戦争の戦況が思わしくないと聞いてはいたが、まさかここまでとは思っていなかった。


"瘴気をレジストしました。"

"耐性スキル<瘴気>を得ました。"

"耐性スキル<瘴気>が1上昇しました。"


のように、頭の中に言葉――システムメッセージが響いた。

危ない所だった。瘴気を受けた生物は正気を失い狂暴化バーサークする。レジストしていなかったら俺も狂暴化していたかもしれない。とっととここから立ち去った方が良さそうだ。


(隠れ家に戻るか?)


考える間もなく、先ほどの翼竜が旋回して戻ってきた。すごい勢いだ。


(狙われてんのか?!)


翼竜の落とす黒い影が俺の上にかかった時、その斜め後ろから別の影が急接近してきた。


新手あらて!)


観念した俺の目の前で、俺を狙っていた翼竜が悲鳴を上げる。

翼竜の翼の付け根、肩口を一本の騎槍ランスが刺し貫いていた。

どうやら王城を警護する竜騎兵ドラグーンが動き出してくれたようだ。

手傷を負った翼竜は、よろけながらも慌てて高度を上げて逃げ出した。

すかさず、きらびやかな金色の装甲をまとった黄金竜ゴールドドラゴンが翼竜の後を追う。

黄金竜の背には、乗騎とそろいの神金鋼オリハルコン製の甲冑を着た兵士がまたがっていた。

その竜騎兵の横顔を見て、俺は驚いた。


(まだ子供じゃないか)


わずかにしか目にすることはできなかったが、確かに騎乗していたのは金髪碧眼の、俺と同い年くらいの少年だった。

少年兵に頼らなければならないほど、この国は疲弊ひへいしているのか。


(とにかくこの辺りは危険だ)


まずは教会に戻ることにした。あそこならとりあえず瘴気を払えるシスターがいる。なるべく翼竜の眼につかないように、俺は狭い路地裏を選んで走り出した。

一丁、二丁。

ときおり上空を気にしながら俺は走り続けた。


(教会までもう少しだ)


ところがそう思った矢先、反対方向から白目をむいた男がやってきた。


(やばい、こいつは狂暴化バーサークしてる)


前前世で過ごした魔王城に近い街で、俺は瘴気を浴びて狂暴化した人間を何人も見てきた。だから表情を見ればすぐに分かる。

子供の身体の今の俺じゃ、捕まったらおしまいだ。

俺はすぐに方向を変え、路地から<大銭通り>へまろび出た。


"スキル<逃走>が1上昇しました。"


(スキル上げてる場合か!)


逃げ惑う人々を尻目に、俺は猛スピードで通りを駆け抜けた。

いよいよ瘴気が薄い所にたどり着いて、ほっと一息ついた時だった。

金髪の少女が怯えながら俺の方へ必死に走ってきた。


「助けて! お兄ちゃん!」


少女の声が通りに響いた。

妹を持った覚えなどないないから俺のことではないと思ったが、向かいから走ってくる少女の眼は、まっすぐ俺を見つめている。


(誰だよ……)


アーモンド形の大きな目に小振りでまっすぐな鼻。恐怖から歪められてはいるが、繊細で端正な顔だちだ。年の頃は俺とそう変わらないように感じる。

教会で一緒に育った孤児の誰かかと思ったが、こんな美少女には見覚えがない。


いや、そんなことに気を取られている場合ではなかった。

少女の背後からは、狂暴化バーサークした市民たちが彼女を追いかけて走ってくる。まるでゾンビ映画のワンシーンのようだ。


「お兄ちゃん! 助けて!」


助けますか? 助けませんか?


(もちろん助け……ない!)


冗談じゃない。今は自分のことだけで精一杯だ。自分だけならなんとか逃げ切れるのに、あんなお荷物は抱えられない。むしろ囮にするのがこの世ゲアでの賢い生き方というものだ。

俺がきびすを返して元来た路地と違う路地へと飛び込もうとした時。


『また逃げるんですか……!』


頭の中に、あの女神の声が響いた気がした。


「畜生、分かったよ! くそババア黙ってろ!」


俺は石をいくつか拾い、瘴気にあてられた狂乱者バーサーカーたちに投げて気をそらせた。狂乱者たちの目から逃れるため、すぐさま少女の手を取って手近な路地へ入る。


角をいくつか曲がった所で、鉄製の重々しい門が半開きになっているのが目に留まった。

俺はするりと身を滑らせて中に入ると、少女の手を引っ張って中に引き込んだ。すかさず柵状の門扉を閉じて掛け金を下ろし、二人で草陰に潜んで息を殺す。


そこは、この付近では大きな部類に入る館の中庭のようだった。

隠れる俺たちの目の前には、レンガ造りの二階建ての館が建っている。

バタバタと音を立てながら、複数の足音が門の前を通り過ぎていく。


(行ったか)


しかし足音はすぐに戻ってきた。

どういう嗅覚があるのか、立ててしまったフラグのせいか分からないが、俺たちの居場所に勘づいたらしい。

狂乱者たちは門を開けようとして体当たりを始めた。


「やばい。逃げるぞ」


ふたたび少女の手を取って、今度は館の扉を開けて館内へ飛び込む。

誰の家か知らないが、俺の知ったことではない。緊急避難だ。二人とも子供だし、状況も状況だから、いきなり衛兵に突き出されることもないだろう。


中に入ると、えも言われぬ気持ち悪さを感じた。

瘴気ではないが、何か空気が淀んでいるようだ。床にはうっすらとホコリが積もり、建物全体からかび臭い匂いが漂っている。辺りは薄暗く、人の気配も感じない。


(ここも空き家か)


魔王軍との戦闘が激しくなるにつれ、王都にも空き家が増えてきている。

王都から出征した者たちの戦死が積み重なる一方で、戦場となった地域からの移住者は金も仕事も持っていないため、多くが王都外縁の難民キャンプに留まっているからだ。


俺は愛用の暗視ゴーグルを装着した。

玄関は思いのほか広かった。

左右に隣の部屋への扉、中央には二階へ向かう階段がある。階段の脇から伸びている広い廊下は、一階の奥へ続いているようだ。


カチリ


背後で鍵が閉まる音がした。

そうだ。鍵をかけるのを忘れていた。


(でも、なんで勝手にしまったんだ?)


オートロックなんてものはこの世界ゲアにはなかったはずだ。


嫌な予感がしてきた。

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