第3話 巣立ちの日~浄化の光
アインが部屋の扉を開けた途端、
"瘴気のレジストに失敗しました。"
(うッ)
"
"幸運力を消費しました。"
"耐性スキル<瘴気>が1上昇しました。"
(ふうッ。助かった)
幸運判定というのは、何かに失敗した時に行われる判定だ。これに成功すると、直前の失敗が帳消しになる。
たとえば、転落死してしまう所を、運良く生垣の上に落ちて無傷で助かるというようなことが起こる。
ロールが行われたときは、
(幸運の女神、いや『運命の女神』様のおぼし召しだな)
ほっとすると同時に冷や汗がどっと吹き出した。
一方で、部屋からあふれ出た瘴気をまともに受けたはずのアインは、やはり平然としている。
(この娘、何者なんだ?)
ふいに勇者パーティーにいた時のことを思い出した。
瘴気というのは魔物がいる所に発生する。当然、魔王城の中は瘴気に包まれている。だから俺は、瘴気を防ぐ防瘴マスクを用意していた。
だがパーティーにいる間は無用の長物だった。メンバーの
通常、僧侶といえども、瘴気を払う際には意識して力を行使する必要がある。ただその場にいるだけで瘴気を消失させるほどの能力は、よほどの高位神官か……『慈愛の神アーシア』に祝福された存在しか持ちえない。
アインの周りの瘴気が、淡い光の粉になって舞い散って行く。
月の光に照らされたそれは、夜空の星の様に輝いていた。
(そうかアインは……)
アインは女神アーシアの祝福を受けて生まれた『聖女』に違いない。
聖女を守るのは
(……つまり俺じゃないッ!)
聖女なんてものに関わってもろくなことはない。
俺はすぐに回れ右して下に降りていきたい気持ちでいっぱいだった。
(けど、ここには俺しかいないし仕方ないか)
光に包まれたようなアインの横顔を見て思い直した。アインが開け放った扉を、俺は空いた手で支える。
それから、そのまま臆せず部屋の中へ入っていこうとするアインの背中をランプで照らした。
アインの頭越しに室内が見えた。
部屋の隅の天井から月明かりが差し込んでいる。どうやら屋根に穴が空いているようだ。
スポットライトの先には、案の定、翼竜のタマゴが転がっていた。光に照らされて、タマゴから黒い瘴気が立ち昇っているのが見える。
アインが振り返って言った。
「あれね」
「ああ。だけどどうするんだ?」
「タマゴなら、襲ってこないよね」
アインは俺に微笑みかけると、タマゴが乗っている古ぼけたベッドの方へと歩いて行った。そしてタマゴに向かって両手を差し出した。
アインの小さな手がぼんやりと白い光を放ち始める。
瘴気はアインの放つ光に
アインはそのまま、包み込むようにタマゴを持ち上げると、胸に抱いた。アインの放つ光が徐々にタマゴへと移っていく。
最後にひときわ大きく輝いたと思うと、光は静かに消えていった。
「もう大丈夫」
タマゴを手に、振り返ったアインは俺に微笑んだ。
あっけに取られている俺を見て、アインは何を思ったのかタマゴを差し出した。
「平気よ、ほら」
「……ああ」
確かにもう、あの瘴気独特の硫黄に似た刺激臭はしない。タマゴはまだぼんやりと光を宿しているようにも見えた。
「あったかいな」
何を言ったらいいか分からず、感じたままを口にした。実際タマゴからは温もりを感じた。あの短時間でアインの体温が移るわけもないから、聖なる力の残りみたいなものだろう。
それにしてもこれは……。
(高く売れそうだな)
聖女が浄化した魔獣のタマゴとなれば、無精卵だとしても数百ゴールド……いや、こんな物が出たら普通は国か教会が接収するだろうから、
こいつだけは命に代えても持って帰ることにしよう。
(いよいよ俺にもツキが回ってきた)
「どうしたの……?」
アインが俺の顔見て言った。心なしか視線が冷たい気がする。
「ん、いやなんでもない。だいじょぶ、だいじょぶ。ちょっと驚いただけだ」
「黒いオーラが見える」
「えーっと、あいつはどこ行ったんだ?」
俺は慌てて話題を変えた。
廊下にいた金色の霊――少年を探すふりをする。
「……ココダ……ヨ……」
「うわッ!」
不意に後ろから声を掛けられ、俺は思わず跳び上がった。
「おい、後ろに立つのは止めてくれ。寿命が縮むだろ」
まだ心臓が激しく動悸している。
「……ゴメン」
少年は俺に謝ると、アインの方に向き直った。
「ネェ……アソボウ」
「うん! 良いよ!」
アインはなんの戸惑いもなく応えた。
「
「一緒に遊んでくれるでしょ?」
アインの無邪気な誘いに俺はたじろいだ。
年齢は俺と少ししか違わないようだが、アインにはまだ幼い所が残っているようだった。いや俺の中身が大人だからそう感じるのかもしれない。
「ねぇ?」
アインが顔をのぞき込んでくる。
俺は思わず体をのけ反らせた。
「近い近い」
「ゴメンなさい。目が悪くって。へぇー、こんな顔してるんだ」
アインはまた無遠慮に顔を近づけてきた。
正直、幽霊と遊ぶなんてゴメンこうむりたかったが、聖女の純粋な眼で見つめられたらあらがうことはできない。降参だ。
「……ああ。分かったよ。付き合うよ」
アインは満面の笑みを浮かべた。
俺とアインは少年につきあい、かくれんぼや鬼ごっこなど、どこの世界にでもあるような普遍的な遊びをして一夜を過ごした。
子供部屋には玩具も残されていた。この辺りでは大きな館だし、裕福な商家の持ち家だったのだろう。
遊びの合間には、少年が生前過ごした子供部屋に座り込んで、それぞれの生い立ちを話したりもした。
「ボク、ビョウキ……ダッタンダ」
少年は幸せな子供時代を過ごしたが、病気で亡くなってしまったのだそうだ。その後に起こったことを少年はよく覚えていないが、家族は別々にこの家を去ったらしい。
子供を亡くしたことで、家庭内に不和が生じたのかもしれない。
少年は霊となってからもこの家に留まり続けたが、今夜のように人に気づかれたのは初めてだったという。
「ズット、ヒトリ……」
「私も似たような感じ」
「アインも独りなのか?」
「お母さんも……死んじゃったの。ひと月前ね。お金がないから昨日、家も追い出されちゃった」
アインを育ててくれた鍛冶職人の母親は、仕事帰りに行方不明になった後、プロワド河に浮かんだという話だった。
「俺も独りさ。生まれてすぐに捨てられて教会で育った」
思えば、前前世でもそんな生まれだった。
「でもシスターがいるから少しはましかな」
似たような境遇の俺たちは意気投合した。夜通し遊び、話続け、やがて朝がやってきた。
「……ボク……イクネ……アリ…ガトウ……タノシカッタ」
日が昇ると共に、少年はまばゆい光に包まれて消えた。
成仏したと表現すればいいのだろうか。僧侶でない俺にも、その場にあった何かがこの世から消えたという感覚はあった。
アインの身の上を聞いた時に、俺はこれからどうするかを決めていた。
アインは、俺を育てたシスターに引き取ってもらう。アーシア教会には孤児院としての役割もあるから、彼女のことも受けれ入れてくれるだろう。
俺はその事をアインに説明し、二人で教会へ向かうことにした。
「ねえ、それ持ってくの?」
俺が担いだ麻袋を見てアインは目を丸くした。
中にはアインが浄化した翼竜のタマゴが入っている。さすがにサッカーボール大の荷物はごまかせない。ちなみに麻袋もここで拝借したものだ。
「ああ……ほら、不審物だから、しかるべき所に届けないとな」
「ふうん、そう」
俺はほっとした。一応、納得してもらえたようだ。
もちろん、タマゴは後でしかるべき所に売っ払うつもりだ。
玄関の鍵はもう掛かっていなかった。
アインと連れ立って外へ出る。
衛兵や聖職者たちが徹夜で駆除したのか、翼竜が残した爪痕はあるものの、街路はもう清浄化されていた。
眠い目をこすりながら教会への道を歩き始めると、俺たちと同じく帰路の途中と思われる衛兵の一団と道すがら一緒になった。
しばし衛兵たちの雑談に耳を傾ける。
「やれやれ、もう朝だぜ」
「こんなのが続くとたまらんな」
「まったくだ」
「それにしても見たか?
「あんな近くで拝めるなんてな。ああ、俺も乗りてえなあ
「子供がいたよな」
「見た見た。あの金髪の小僧だろ? あれが噂の勇者様じゃないか?」
「他にいねぇだろうな。十四歳で竜騎兵に
「十四で竜騎兵かぁー。エリート様は違うよなー」
「そう言うがな。なんでも騎士の三男で、決して良い家柄とも言えないらしいぞ」
「そういう意味じゃなくてさー。俺たちとは出来が違うってことよ」
「ははっ、ちげえねえ」
衛兵たちはゲラゲラと楽しそうに笑いながら、道を折れていった。
(勇者か……あいつのことかな。ま、俺には関係ない話だな)
起きたばかりの新鮮な陽光に包まれながら、アインと他愛もないことを話して歩き続け、やがて教会の前に着いた。
「俺はちょっと街をぶらついてから行くよ。今、戻ったらシスターにどやされるから。何があったかうまく説明しておいてくれ。ほとぼりが冷めたら戻る」
だが、俺はもう教会に戻るつもりはなかった。
魔族との戦いによる戦争孤児の増加で、教会は人手も資金も足りていない。アインが入る代わりに俺が出て行った方が良い。
二十歳そこそこまで親の世話になるのが普通の
俺には生活していくだけの知恵もあるし、教会暮らしはもう充分だろう。
「戻ってくるよね?」
アインは眉根を寄せて言った。
……それに聖女とこれ以上関わると、俺のスローライフ計画に支障が出る恐れがある。
「戻るって言ったろ」
「あの……名前、聞いてない」
途中で邪魔が入って言いそびれたのを忘れていた。
「俺はクラウド」
名前を言う度に何かこそばゆい。シスターは何を思ってこんな名前をつけたんだろう。
「ええと……それから、アインの能力、まだ隠しておいた方が良いかもな」
「どうして?」
「シスターは良い人だから心配ないけど……。ああいう力は大人に利用されるんだ。それが命取りになることもある。力をどう使うかは、大人になってから考えたら良い」
「お兄ちゃんみたい」
アインは笑って、それから急に真顔になった。
「……同じこと言ってた」
「そっか。そうだろうな」
俺はアインに背を向け、片手を上げて別れを告げる。
「じゃあな。シスターによろしく」
アインと別れた俺は、重い足を引きずって<
徹夜だったから、ひとまずここで仮眠を取って、明るいうちにタマゴを売り払いに行くつもりだ。
まだ成長しきっていない体には、朝までの活動は
老朽化してささくれ立った板敷の床の上に、俺はごろりと横になった。
ポツポツと雨音がしてきたと思ったら、たまにおやつを分けてやっている
「激しくならないといいな」
俺がつぶやくように言うと、
みゃーーん
とブラウンタビーが応えた。
同意と受け取っておくことにする。
ブラウンタビーはぷいと俺に背を向けると、座ったまま外の様子をうかがい始めた。
猫の背中は丸い。
俺のまぶたは重い。
俺は麻袋を抱えたまま、あばら家の床で眠り込んでしまった。
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