第二章 銀髪の少女と叡智の魔人
Episode 6 人喰い魔人の噂
【現在、とある森】
私はセーラと森の中を歩きながら自分の過去を振り返っていた。
いったい私の身に何が起こっているのだろうか、この森に来てから五年という月日が過ぎ去ったような気もするし、まだ数日しか経っていない気もする。精霊の加護によって守られているから違うとは思うのだが、もしかしたら魔物の魔法によって幻覚のようなものを見させられているのかもしれない。しかし、何のために―――。
一方で私は別のことにも気がついた。
この森に来る以前の記憶が曖昧なのだ。正確にはセーラに昔話を聴かせることで徐々に思い出していっているような感覚で、物語の時間より先の出来事は記憶に靄がかかったような状態だ。
つまり、私の現在の正しい状況を把握するためにはセーラに昔話の続きを聴かせるしか無いのである。
「いよいよ旅立ちね。救界の英雄マルタ様の物語を本人から聴けるなんて感激よ」
セーラが目を輝かしながら言う。
「ああ。道中は特に大きな事も無かったからサンサント王国に到着したあたりから話をしよう」
「あらそう。マルタ様がそう仰るなら任せるわ」
まだ日が昇りきっていないからだろうか、木漏れ日が降り注ぐ森の中はひんやりとした空気で満たされていた。
―――――――――――
【二十三年前、聖界のとある山林部】
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん」
「―――んんっ…」
私はいつかのように、荷馬車の上で寝てしまっていてレイモンドの声で目を覚ました。グレグランド王国を発ってから三日ほどが経過したが、道中はたまに商人とすれ違うくらいのもので特別何かがあったりはしなかった。
その間私はルーク卿とミーシャから貰った剣の手入れや休憩のタイミングで剣術の基礎訓練をしつつといった過ごし方で少し退屈をしていた。
「どうしたの?レイモンドおじさん」
「あと一時間もしたらサンサント王国につくが、到着前に何か聞きたいことはあるかい?」
おそらくレイモンドも唯一の話し相手が寝ているものだから多少退屈していたのだろう。私を起こしてそう尋ねてきた。
「うーん、大まかな情報は本を読んだし、後は行ってからのお楽しみってところね」
この三日間、荷馬車の上にいる間はミーシャから持たされた『世界』という私の手のひらほどの厚みがある立派な本をひたすら読んでおり、そこには聖界の国だけでなく、魔界の情報も載っていた。
サンサント王国。当時、聖界の中では中くらいの規模の国で人口は五万人ほどと記されていた。また、面白い特徴として「奇跡」の使用が日常風景になっていることがある。
これは国民の多くが精霊と人間、もしくは精人と人間の混血という種族的な要因が大きかった。セーラも知っての通り、純潔の人間は奇跡の源となるエネルギーを生成できないが、精霊の血を持つものは才能の差による量の違いこそあれ、そのエネルギーを生成できる。故にそこら辺の一般人も奇跡が扱えたのだ。
「この山林地帯を抜けたら見えるぜ」
レイモンドがそう言うものだから私は荷馬車から身をのり出して荷馬車の行く先を今か今かと見ていた。そこから更に三十分ほどが過ぎた頃、私たちは山林部を抜け、四方を山に囲まれたその国を目の当たりにした。
「え、洞穴の上に島が浮いている」
そう、サンサント王国は大地に空いた大きな洞穴の真ん中に浮かぶ浮島の上にあったのだ。
「ああ、サンサント王国は精人の国。あれも『奇跡』のなせる
穴の縁に到着すると、人が十人、荷馬車だと一台が乗れるほどの小さな浮島が国と穴の縁とを行き来していた。
「なるほどね。どうやって入るのかと思ったらこういうこと」
「噂ではこれら浮島はサンサントの国王、精霊王が全てコントロールしているらしいぜ」
「一人が起こす奇跡の規模では無いわね。さすが、国王といったところかしら」
そんな話をしていたら浮島の一つが縁に到着し、私とレイモンドはそれに乗りサンサント王国に入国することになったのだ。
――――――――――
【二十三年前、サンサント王国滞在初日 外周街】
浮島ということもあってなのか、サンサント王国には防衛用の壁がなく誰でもどこからでも入国できた。国の概形としては城を中心とした円になっており、城から太い道が外縁まで伸びている。
そして、私は入国してすぐに国の様子がおかしい事に気がついた。
「ねーレイモンドおじさん。この国って外出をあまりしない文化なの?」
「いやーそんなことは無いはずだが。一年前に来た時は催し物をしたりで活気がある国だったぞ」
そう、人ではなくいくつもの買い物カゴや財布が空中に浮かび道の上を縦横無尽に飛び交っていた。私はあまりに不自然なその状況を不思議に思い、唯一表を歩いていた男に声をかけた。
「あのーすみません」
「わ!」
男はビクッと身体を跳ねさせてこちらをみた。まるで何かに怯えているようだった。
「人がすごく少ない気がするんですけど、何かあったんですか?」
「あんたら商人かい?そりゃあタイミングが悪かったね。この国は今すごく危険なんだ。だから皆外に出ていないのさ」
「危険?」
「ああ、『人喰いの魔人』が侵入して市民を襲っているんだ。半年くらい前から行方不明者が出始めて、国は隠しているが既に百人以上が殺られているらしい」
「魔人...」
「まだ目撃情報があるわけじゃないらしいから確かではないんだけどね。中心街の方はまだ人が多くて比較的安全だけど、君たちも気を付けるんだよ」
「はい、ありがとうございます...」
「おい、お嬢ちゃん。どうした怖い顔をして」
「別に」
この時の私は魔人という言葉を聞いて、故郷の村を包む炎の熱と死体が焼け焦げる臭いが充満するあの災禍の夜を思い出していた。新しい国にわくわくしていたはずの胸の内を赤黒い影が侵食し、冷たく燃える復讐心がどんどん大きくなっていった。
情報を得た私達は近くで開店していた酒場で作戦を立てることにした。時刻はまだ昼過ぎというのに仕事を無くしてしまったのか、そこそこの人数がお酒を
「レイモンドおじさん、この国での私達の目的は何?」
「食料の調達、あとは『精霊の加護』を受けることだな」
「そう、でもそれだけじゃ足りない。私たちで魔人を殺すの」
「おいおい、急に物騒だな。魔人と戦って何かあったら俺らの旅、お嬢ちゃんの目的はどうするんだい?」
「話して無かったかしら?私は魔界の軍勢、なんなら魔界を潰すために騎士になるの。ここの魔人だって例外じゃないわ」
「復讐か。悪いことは言わねえ、止めときな。復讐に生きてどうする?お前は死んじまった家族と友人の分も幸せにならないといけない」
「レイモンドおじさん、それは理想論よ。人間はそんな簡単に割り切れない」
そんな話をレイモンドとしていると酒屋に鎧を着た若い兵と老兵の二人組が入ってきて、誰かを探すような素振りを始めた。そして若い方が私達に話しかけてきた。
「こんにちは。見慣れない顔ですが、どちらから?」
「グレグランドだ」
レイモンドが短く答えた。
「そうですか、最近は物騒でね。見慣れない顔の方にはお話を聞くことになっているのでご同行をお願いしたいのですが、よろしいですか?」
「イヤよ。話ならここでも出来るでしょ?一杯くらいなら奢るわよ、どう?」
若い兵が困った表情をしているのをみて、老兵が口を開いた。
「お嬢さん。そう、言われると困りますな。ご協力いただけないと力尽くで、ということになってしまいます」
「ふーん、やってみれば良いんじゃない?」
「...」
私がそう言うと店内に緊張が走った。レイモンドは落ち着いた様子でビールを飲んでおり、さすがルーク卿の弟といった様子だった。
「はぁ、それでは仕方ありませんな...」
私とレイモンドが身構えると、老兵は水色のオーラを纏い、静かにこう唱えた。
「奴らを捕縛せよ
老兵が唱え終えた瞬間、私たちは目に見えぬ何かに身体を縛られてしまった。いや、力では剥がせない何者かに抱きつかれている感覚、というのが正しいかもしれない。
「く…動けない」
「ご安心を、お嬢さん。我々は尋問や拷問はしない。そもそも必要ないのだ」
「どういう意味?」
「我らが王の奇跡の前には嘘や隠し事は通用しないということです」
「え、まさか」
「はい。これから国王様と会っていただきます」
こうして私とレイモンドは旅に出て早々兵士に捕まり、他国の王と謁見することになったのだ。
――――――――――
【二十三年前、サンサント王国滞在初日 ムーンフェル城】
兵に捕まった私とレイモンドはそのまま精霊王の居る玉座の間に連れて行かれた。手は後ろに回されて紐で結ばれ、両膝を地面に付かされていた。
部屋の中にいたのは私達二人と先ほどの老兵、そして玉座で足を組みながら鎮座する精霊王のみであった。精霊王は表情が薄いが、殺気だつ魔物に近い緊張感のある雰囲気を纏っていた。
外見は色素が薄くきめ細かい肌、髪と瞳はまるでサンサントの洞穴のように深い黒色を呈しており、端正な顔立ちだった。
上半身は黒のシャツに袖がない灰色の羽織り、下半身は黒の履き物に長靴、肩には黒のマントをかけ、頭に漆黒の王冠を置いていた。言ってしまうと聖界ではあまり見慣れない服装であり、年齢は騎士王とそう離れていないように見えた。
「ようこそ、我が国へ。余はサンサントの王、オズワルド・ファフテールだ」
「私はマルタ。マルタ・アフィラーレ・ラスパーダよ」
「俺はレイモンド・ルークだ」
「レイモンド・ルーク...ルーカス・ルークの親族か。ルーク家は代々騎士の家系と聞いていたのだが商人もいたのだな。騎士道のみでは食って行けぬとみえる」
「はっはっ…。俺には剣の才が無かったってだけの話で...」
レイモンドが苦笑いで答え、少しの間が空いた後、精霊王は無表情のまま口を開いた。
「では簡潔明瞭に答えよ。貴様らが最近巷を脅かす魔人か?」
「私達のどこが魔人に見えるっての?精霊王ならそれくらい聞かないで判断しなさいよ」
何か線に触れてしまったのか、精霊王の顔の目元がぴくっと動いた。
「貴様、余を『精霊王』と呼んだな。余は精霊と聖女の間に生まれし精人の王、断じて精霊ではない」
「そんなことはどうでも良いのよ!」
「――そうか。では貴様らの裁定を始めるとしよう」
その言葉と共に精霊王の後ろで、巨大な闇の塊が動き始めた。その塊は黒い空間、あるいは光、いや煙の化け物のようにも見え、大きく裂けた口には真っ黒な牙がズラっと並んでいた。
「コレは余の力が具現化したモノだ。生物の魂を喰らうのが好きで、裁定を行う度にこうして出てくるのだ」
「罪人にならなければ問題ないんでしょ?」
「ああ、もちろんだ。だが先ほどの貴様の態度、発言は十分不敬にあたるとは思わんか?」
「そんなあやふやな法が存在するとは思えないけど?」
今思うととんでもない発言ばかりと恥ずかしくなってしまうが、当時の私は血気盛んだったのだ。
「小娘、一つ教えてやろう。この世には誰かが得をし、誰かが損をする不完全な法しか存在しない。故に集団の
精霊王が玉座から立ち上がった瞬間に漆黒の煙が精霊王を中心に渦を巻き始めた。
「奴らを裁け
その時、私とレイモンドの後に何かが現れた。
後を見ると高さが三メートルはありそうな巨大な五角形の光の板が二枚立っていた。
その板はところどころに穴が空いており、さながらクモの巣や雪の結晶のようだった。二枚とも五角形の中心には赤い球体が埋まり、一枚は黄色、もう一枚は暗い紫色に輝いていた。
「彼らは神界より召喚した裁定者だ。当人の自覚に関わらず、余が定めし善悪のどちらを成しているかを彼らが判断する」
「そんなの納得できない!」
「貴様が納得するかは問題ではない」
「くっ...」
精霊王が左手を頭上に上げるのに合わせて両裁定者の中心が赤く輝き始め、彼の左手が降ろされると同時に私は闇の中に飲み込まれてしまった。
――――――――――――
【用語】
■サンサント王国
精霊と人の混血者が作った国。
実際の居住種族は精人と人である。
精霊との混血者が多いため「奇跡」の使用が生活の一部になっているのが特徴。
■奇跡
神、聖なる種族が起こす現象の総称。
そのエネルギーは未知のもので「魔力」とは異なる。魔力を使って奇跡を起こすと勘違いされることが多い。
主に聖界、神界で使われている。
■精霊
一種の意志を持つ高エネルギー体。姿は人や動物、植物の場合もある。特殊な現象を意図的に引き起こす「奇跡」を扱う。
元を辿るとは神界と聖界が分かれた時代に聖界に留まることを選んだ神と言われており、実際にその神性は高い。
【登場人物】
■マルタ・アフィラーレ・ラスパーダ
三十九歳の女性。
この物語の案内人であり、昔ばなしの主人公。
十七歳の時、故郷の村を魔物の侵攻によって失ってしまう。セーラ曰く、魔界との戦争にて活躍をした英雄。
現在、記憶の混乱が見られるがいったい…
■セーラ
マルタの昔ばなしを聞く少女。
二ヶ月ほど前からマルタの家を訪問している。
竜の卵を手に入れる実力がある(?)
■レイモンド・ルーク
二十三歳の男性。青髪の長髪を後ろで結っている。
グレグランドを拠点とする商人で護身術の心得がある。二歳上の兄、ルーカス・ルークがいる。
お酒好き。
■オズワルド・ファフテール
数百歳の男性(外見は20代前半)。
精人の国、サンサント王国の国王。精霊王とも呼ばれる。サンサントの洞穴の精霊と聖女との間に生まれた精人でその実力は当代一と言われており、現騎士王とはたまに小競り合いを起こしているとか、いないとか。
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