第3話 決戦前夜

 握り飯をもらって城を出たのは十時半だった。


 ただし、この時代の時刻は不定時法で、季節によって変わる日の出と日の入りを分割して計測していたため、令和の十時半とは意味が違う。


 太陽暦で一番日の長い時期の六月だと、大体九時頃の感覚だ。


 どちらにしろ、まだ一日が始まったばかりと言っていい頃合いだった。


 藤吉郎はかなり速い足取りで歩きながら握り飯に食らいつく。


「あの三人組の居場所は分かってるんですか?」と、俺も食べながら歩く。


 具材はない。


 シンプルな麦ご飯の塩おむすびだ。


「村へ行ってみればなんとかなるだろう」


 指についた米粒をなめ取る藤吉郎に、俺は織田信長についてたずねた。


「のぶな……お殿様はいつもあんな感じなんですか?」


「あんなとは?」


「案外弱気だなと。もっと短気で好戦的な性格なのかと思っていたので」


「わしもそんなにお目にかかったことはないが、それほど戦好きというわけではないぞ。むしろ、計略で無用な争いを避ける方ではないかな」


「藤吉郎さんは昔草履取りをやっていたんですよね」


「ああ、仕官したてのころ少しだけな。べつに機嫌が悪いとか、それほどお怒りになることもなかったぞ」


「藤吉郎さんが気の利く人だったからなんじゃないですか」と、俺は有名なエピソードを持ち出してみた。「寒い日に草履を懐で温めてたんですよね」


 ところが、藤吉郎は鼻で笑う。


「なんじゃそれは。わしはそんなことしとらんぞ。俺が仕官したのは夏だったからな」


 ――え、そうなの?


 後世の創作だったのかよ。


「有名な話かと思ったんですけど」


「誰に聞いたそんな話」


 未来で聞いたとも言えず、俺が困っていると、藤吉郎が話題を戻した。


「お館様はどちらかというと、あいまいな話で判断をするのが嫌いな御方だ。だから、我々の物見の結果次第でお考えを決めるつもりなのだろう」


 それはそれで合理的な考え方だ。


 この点については後世の評価とも重なる。


「だからこそ、急がねばならぬのだ」と、藤吉郎は脚をさらに速めた。「お市様の輿入れなど、わしが止めてやるわい。今川が本当に攻めてきているのなら、大将が大高城に入ったところで織田側に服従を求めるつもりだろう。お館様はその際にお市様の輿入れを申し入れるのではないかな」


「藤吉郎さんはお市さんが好きなんですか」


「ば、ば、馬鹿を申せ」と、真っ赤な顔で俺のシャツをひっかく。「わしごときに手の届く御方ではないわっ!」


 拒み続けられて娘に手を出したのが史実だけど、今は言わないでおこう。


 と、手を引っ込めて真っ赤なサルから侍の顔に戻る。


「だがな、お館様も物見を出すとおっしゃっておる。おぬしが申し上げた奇襲を諦めたわけでもなかろう。和睦なら物見など無用だからな。だから、わしらは最善を尽くさねばならぬのだ。織田家の命運はわしらの肩に重くのしかかっておるのじゃ」


 昨日清洲に来た道を逆にたどり、川沿いに来たところで湿地の中の小道に降りる。


 葦というのか背の高い草が茂り、両側からトンネルのように覆い被さっている道を、ところどころ泥に足を取られながら草をかき分け進むと、小高い台地に突き当たった。


「ここがやつらの村だ」


 斜面を登ると葦の上に顔が出てまわりが見渡せる。


 台地の上には畑が広がり、その周囲に藤吉郎の家よりは少しだけましなかやぶき屋根の家が何軒かあり、他にも小屋のような建物がいくつかある。


 ふと足元を見ると、靴が泥だらけだった。


 じめっとしていて気持ちが悪いが、どうにもならない。


 草鞋わらじの藤吉郎は足全体が泥まみれだが、そんなことなど気にもせず、村の中へ行ってしまう。


 昨日から気になっていたことをたずねてみた。


「ここらへんには水田はないんですか?」


「洪水で流されるし、湿地は根が腐るからな。うちのカカ様もそうじゃが、こういった狭い台地くらいしか耕せぬじゃろ」


 木曽三川と呼ばれる急流が集中する濃尾平野は江戸時代に治水工事がおこなわれるまでは人を暴力でねじ伏せる土地だったのだ。


 水がなければ米は作れないが、毎年押し流されるほどの水量では意味がない。


 米中心の経済になるのは戦国よりずっと後の時代なのだ。


 村の家には刈り取ったばかりの麦が干されている。


 さっき俺が食べた麦飯のおにぎりもここら辺で収穫されたものなんだろうか。


 庭の隅でそんなことを考えていると、藤吉郎が一軒の農家に勝手に首を突っ込んで声をかけた。


「おい、いるか?」


 声に反応して中で人が動く気配がした。


「ういっす。なんすか?」


 腹をボリボリと引っ掻き、ゆるんだ褌を押さえながら出てきたのは確かに昨日の《農民1》だ。


「なんじゃ、畑にも出んで朝寝坊か」と、藤吉郎が尻を叩く。「仲間も呼んでこい」


 あくびをしながら家を出て行った男は昨日の二人を連れて戻ってきた。


 相変わらず二人ともはなをたらしている。


「おまえら、仕事だ」


 三人並べて藤吉郎が告げると、兄貴分の男が鼻をこすった。


「また昨日の女子おなごを襲うのか……ていうか、こいつ、昨日の」と、俺の姿を見て拳を握りしめる。「おまえ、よくも」


「まあまあ、落ち着け」と、藤吉郎が割って入る。「今日はお殿様の仕事だ」


「な、なんと、お殿様をやるのか」


「こら、めったなことを言うな、無礼者が。違う。お殿様のご命令でおまえたちに仕事をしてもらうのだ」


「なんすか。村の麦を献上しろって言うんですか」


「いや、それどころか、うまくいったら、たんまりご褒美がもらえる話だ」


「うほっ」と、子分の洟垂れ男が進み出る。「ご褒美っすか。アニキ、やりましょうぜ」


 こっちの子分は茄子なすのように下ぶくれの面長で、もう一人の子分は南瓜かぼちゃのように顔の横幅が広く見える。


「で、何をすりゃいいんすか?」


「今川の兵が攻めてきているらしい。大高城と沓掛城の間を物見だ」


「危ねえじゃねえっすか」


「農民ならただの通りすがりってことで見逃してもらえるだろう。今川の大将がどこにいるのかが分かったら、お館様がご褒美をくださるはずだ」


 今川を打ち負かして織田家が生き残れればの話だが、藤吉郎はやつらには隠していた。


 ぐだぐだと渋っている連中に、藤吉郎は懐から出した包みを広げて見せた。


「握り飯を持ってきた。食ってから行け」


 自分の分だけじゃなく、このために用意しておいたのか。


 やはり史実通り気の回し方がうまい。


「うほっ、メシだ」


 やつらも大きな握り飯に大興奮で、躊躇なく手を出すと、食らいついてあっという間に飲み込んでしまった。


「食ったんだから、仕事しろよ」


「しゃあねえ、行くか」と、兄貴分が子分たちの背中を叩く。


「しかたねえっすね」


「行くっすよ」


 俺はやつらの名前をたずねた。


「俺は作兵衛」と、兄貴分が胸を張る。


「おいらは久作だ」と、茄子顔の子分が洟をすすった。


「六太郎」と、南瓜顔がぼそりと言った。


「織田家の命運がかかっているんだ。頼むよ」


 三人は湿地へ降りると、葦の道をかき分けながら物見へ向かった。


「うまくいきますかね」


「さあな」


 考えてみれば、昨日、俺にすら追い払われたモブ雑魚連中だからな。


 ただここで待っているだけというのも、時間が惜しい。


「俺たちも行きましょう」


「ならば大高城の様子を見てくるか。松平の動きも知っておきたいからな」


 拳を打ち合わせた藤吉郎は早速別の道へと足を踏み出し、俺もその後を追った。



   ◇


 清洲城から大高城は五里(二十キロ)の距離がある。


 脳内ナビゲーションの表示では歩いて四時間ほどと出ている。


 藤吉郎の足は速く、俺はすぐにおいて行かれてしまった。


 息は苦しいし、脇腹が痛くて走れない。


 令和の体育でも長距離走はいつも下から数える順位だった。


「お、おーい、ま……待ってくれ」


「だらしないのう、南蛮人は。わしら足軽は十里(四十キロ)くらいならあっという間じゃぞ」


 さすが、本能寺の変の後、中国大返しと言われる大移動をやってのけただけのことはある。


 車どころか自転車すらないこの時代の人たちの脚は日々の生活で鍛えられているのだろう。


 大きな木の木陰で藤吉郎が待っていてくれる。


 追いついて息を整えたら、もう先へ行こうとする。


「もう少し休ませてくれよ」


「いつ雨が降り出すか分からん。急ぐぞ」


 たしかに空模様は怪しくなってきている。


 地上は穏やかなのに、上空の雲が速い。


 まるで敵の大群が続々と押し寄せてくるみたいに黒い雲が流れてくる。


 脳内モニターではまだあと十五キロもある。


 軍師っていうのは、後ろで作戦を指示する立場なんじゃないのか。


 最前線で偵察って、体力仕事には向かないんだけどな。


 少し走ったところで、またすぐに脇腹が痛くなってしまった。


 ペースが落ちた俺を振り返って藤吉郎がペッとつばを吐く。


「置いていくぞ。わしは手柄を立ててお市様に夜這いをかけるのじゃ。織田家の出世頭となれば、お市様の方からわしに言い寄ってくるかも。『藤吉郎殿、ステキ』なんてな。ぐふふ」


「寧々さんに」と、荒い息をおさえて声を絞り出す。「言いつけますよ」


「わしが捨てたら、おぬしが慰めてやってくれてもいいぞ。あれでなかなかいい体をしておるのでな」


 サイテー野郎だ。


 だが、体力ではまったくかなわないので、置いて行かれないように必死についていく。


 昼過ぎに、ようやく建物が見えてきた。


「あれが大高城じゃ」


 台地の上の森を切り開いた土地の周囲に土塁を巡らしただけの城で、清洲城と同じく物見やぐら以外は平屋ばかりのようで、大きめな武家屋敷といった感じだ。


 ただ、のぼり旗が何本も立っていて、櫓にも人がいるのが見える。


「あれは松平の旗印。兵糧を運び入れたという報告は本当だったのだな」


 藤吉郎が対面する小高い丘を指さす。


「こっちに織田方の丸根砦がある。様子を聞きに行こう」


 道らしい道はなく、森に茂った下草をかき分けながら斜面を登る。


 台地の上に木で組んだ柵が見える。


 こちらには土塁もないらしい。


 だが、様子が変だ。


 人の気配がない。


 斜面を登り切ったところで、藤吉郎が俺に手を突き出して制した。


「こ、これは……」


 思わず叫びそうになった俺の口を藤吉郎が押さえる。


「声を上げるな。敵に気づかれるとまずい」


 俺はうなずいて答えた。


 丸根砦には死体が散乱していた。


 柵の一部が倒され、敵が押し入ったのか、その痕跡を示すように身ぐるみ剥がれた丸裸の死体が転がっている。


 戦国時代の合戦では、勝った方が死体の武具や兵糧をあさるのは当たり前のことだったし、落ち武者側も弱った仲間から奪い取って見捨てていたらしい。


 追撃されている時は、味方を犠牲にして多少の金目の物を置き去りにし、敵がそれに目がくらんでいるうちに自分たちだけ逃げ切ることもあったようだ。


 砦の中に入った藤吉郎が建物の壁にもたれて座り込んだ足軽に駆け寄った。


 脚を切られたらしく、下半身が血まみれだ。


「拙者は織田家の木下藤吉郎と申す。何があった?」


 かすかな息を漏らしながら足軽が声を絞り出した。


今朝方けさがた、大高城に入った松平の兵に襲われた」


「今川の兵は?」


「分からん。わしらが見たのは松平の旗印だけだ」


「ここの大将は佐久間盛重殿であったな」


「殿は討ち死になされた。首はやつらが持っていった」


「なんと!」


 佐久間盛重は清洲城にいた佐久間信盛の一族だ。


 藤吉郎が俺の顔を見る。


「清洲城に使いを出した後にやられたようだな」


「報告が来た頃には砦は落ちていたんですね」


 足軽が藤吉郎の手をつかむ。


「わしは武井たけい村の権造ごんぞう。村のカカアに……」


「武井村だな」と、藤吉郎は脇差わきざしを抜いて権造さんの髪を切った。「遺髪を届けてやる」


 もはや返事を言う力もなく目を閉じた権造さんは、安心したのか口元には笑みが浮かんでいるようにも見えた。


「おい、下がれ」と、横にいた俺に藤吉郎が手を伸ばした。「邪魔だ」


 ――ん?


 言われるままに、俺が一歩下がると、藤吉郎がいきなり権造さんの首に刀を当てて一気に引いた。


「ちょ、え!」


 鉄分の臭いと共に血しぶきが飛び、折れた首の重みで体が崩れる。


 ――俺の目の前で人が……死んだ……というか、殺したのか。


 ていうか、人を殺したところを見てしまった。


 藤吉郎が藤吉郎に見えない。


 こいつは人なのか?


 本当にさっきまでと同じ藤吉郎なのか?


 気がつくと俺は腰を抜かして手を後ろについて地面にへたりこんでいた。


 藤吉郎が権造さんの服で刀を拭いて立ち上がる。


「な、なんで……」


「これ以上苦しめるのは酷であろう。情けとは時に非情なりよ」


 無駄に苦しめるのは気の毒ということなのか。


 刀をしまった藤吉郎は左手を開いた。


 握られていた遺髪がハラハラと舞う。


 ――なんで?


「武井村に届けるんじゃないんですか?」


「どこにあるかも知らんし、権造なんて村に何人いると思う。いちいち探してなどいられるか」


 藤吉郎の言うように、脳内モニターには大高城の周辺だけですら武井村が六カ所も表示された。


 ステイタスを表示させようとしても、《足軽》としか表示されない。


 これが現実なのか。


 無名の人間は使い捨ての駒に過ぎないのか。


 歴史に名を残すどころか、野ざらしで忘れられる。


雑兵ぞうひょうなんて、死んでも雑兵だ」


 そうつぶやいた藤吉郎は俺に構わず砦の中を見て回っていた。


 重い現実に打ちのめされて俺はなかなか立ち上がれなかった。


 俺が甘いのか。


 現実が過酷なのか。


 風が吹いて、血の臭いが鼻にかかる。


 腹の底から酸っぱいものがこみ上げてくる。


 人を殺す場面には現実味がなかったのに、血の臭いの生々しさが感情を深くえぐってきた。


「う、お、おえっ……」


 食ったものを吐き出しそうな俺の頭を藤吉郎が押さえつける。


「吐くな。食ったものはクソになるまで出すな。俺たち足軽は城で握り飯一つもらうためにこういうことをしておるのだ。握り飯一つは人の命と同じ。大事なものを吐くんじゃない」


 ――俺が間違っていたのか。


 戦国時代で勝ち残るということは敵を倒す、いや、殺すということだ。


《勝つ》の反対は《負ける》じゃない。


 殺されるということだ。


「おぬしは人を殺したことはないのか?」


 藤吉郎に問われた俺は静かに首を振った。


 あるわけないだろ。


 人殺しなんて、絶対にやっちゃいけない犯罪だと、教わらなくたって子供の頃から当たり前のように思っていた。


「なら、今ここで人を刺す練習でもしておけ」


 ――はあ?


 何言ってんだよ。


「死体相手なら、抵抗もされぬ。人を刺すことになれておかないと、いざというときに今のように腰が抜けて逆にやられるだけだ」


 俺を見下ろしながらそう言った藤吉郎の顔は鬼でも野獣でもない普通の人間の顔だった。


「脇差しぐらいは持っていた方がいいぞ」と、藤吉郎は権造さんの腰を指さした。「もらっておけ」


 ためらっている俺に、藤吉郎はぽつりとつぶやいた。


「遠慮するな。形見だ」


 言い方を変えたくらいで罪悪感が消えるはずがない。


 だが、なんとか腰を上げた俺は権造さんの遺体の前で手を合わせ、そして、言われたとおりに腰から脇差しを鞘ごと抜き取った。


 ――すみません。


 使わせてもらいます。


 人を刺す練習はできなかったけど、敵の追い剥ぎと変わらないことをした。


 もう後戻りはできない。


 俺は権造さんの脇差しをベルトを緩めて腰に差した。


「侍の真似は似合わぬな」


 鼻で笑う藤吉郎に、俺は答えた。


「死にたくないんで」


 視線を落とした藤吉郎が額を掻く。


「初陣の時はみな腰が抜けるものよ。おぬしはまだ吐かなかっただけましだ。俺は全部吐いちまったからな」


 何の励ましにもならない言葉に返す答えなどない。


「行くぞ。早くお館様にお知らせしなければ」


 生き残った者がいないことを確認した俺たちは丸根砦を後にし、清洲城に向かった。



   ◇


 夏至に近い旧暦五月(太陽暦六月)で日暮れは遅いが、疲労で帰りの足取りは重く、清洲城へ戻った時は暗くなりかけていた。


 藤吉郎の家には三人組が待っていた。


「いましたよ。沓掛城に幟旗が立ってました」


 作兵衛兄貴に茄子の久作がうなずく。


「あれは今川の旗ですぜ」


「ああ、間違いねえ。前にも見たことあるっす」と、南瓜の六太郎がはなをすする。


「どのくらいの数だった?」


「数って……」と、作兵衛が口ごもる。「たくさんいましたよ」


「京や堺の街のお祭りかってくらいでしたよ」


 茄子の久作に南瓜の六太郎がうなずく。


「ああ、とにかくうじゃうじゃ、飯炊きの煙ももくもくでした」


 数え方を知らないからしかたがないが、とにかく史実通り、二万五千の兵が来ているんだろう。


「よし」と、藤吉郎は拳を打ち合わせると、床下の壺から小銭を出して三人に分け与えた。「おまえら、ここにいろ。俺はお城に報告に行く。隣のばあさんに頼んで飯を食わせてもらえ」


 俺たちは二人で城へ上がった。


 今度は門番に止められることはなかった。


「おお、サル、物見へ行ったそうじゃな。どうじゃった?」


 御殿の庭で、武骨だが切れ長の目をした武将に出会うと同時にステイタスがポップアップした。


《森可成よしなり:織田家家臣三十七歳。統率75、武勇87、知略67、政治49》


 おお、この人があの『攻めの三左』と言われた十文字槍の使い手か。


 柴田勝家と一歳しか違わないのが信じられないくらい若く見える。


 藤吉郎が進み出てひざまずく。


「おりました。沓掛城に今川の兵がいたそうです。あと、丸根砦がやられました」


「なんと、丸根と言えば佐久間殿は?」


「お討ち死になされたそうです」


「無念」と、天を仰ぎ、そのまま背を向ける。「お館様に申し上げねば。来い」


 中庭には篝火かがりびがたかれ、俺たちが広間の前の縁側に控えていると、朝と同様に重臣たちが続々とやってきた。


「サル、今川がおったそうだな」と、柴田勝家もいた。


「はい。大軍だそうです」


 と、そこへ織田信長がやってきた。


 廊下に額をぶつけるように平伏した藤吉郎はすぐに跳ね起きて報告した。


「南蛮人の予想通り、今川の軍勢は沓掛城へ入りました。大高城の徳川勢が丸根砦を襲い、全滅いたしました」


「ううむ」と、うなったきり、瓢箪ひょうたん顔の信長は何も言わない。


 家老の林秀貞が進み出た。


「殿、今川は大高城へ入るつもりでしょう。南蛮人の申すとおり、その途中で奇襲攻撃を仕掛け阻止せねば、二度と大高城を取り戻すことはかないませぬ。伊勢の通商は今川の手に落ち、運上金を絶たれた我ら織田家は風前の灯火ともしびとなりましょうぞ。いざ、ご決断を」


「「「殿、ご決断を」」」


 清洲城の広間に詰めかけた家臣団はみな固まったまま主君の英断を待っていた。


「よし、分かった」


 信長のつぶやきにみなが一斉に顔を上げる。


「では、殿、いざ……」


 柴田勝家の発言を信長が手を突き出して制する。


「和議の使者を出せ。今川とは戦わぬ」


「な、なんと……」


 失望の声と共に、みなが唇を噛んでうつむく。


「尾張一国をべることすら必死であったが、しょせんそれまでの夢。是非もなし。今川に飲み込まれるもまた定めというものであろう」


「しかし、今川が和議に応じるとは思えませぬぞ。今一度お考えを」


 林秀貞の忠言にも力なく首を振るばかりだ。


いちを人質に出せば今川も織田をつぶすことはすまい」


「しかしそれではあまりにもお市様が不憫ふびんでは」


「あれも武門に生まれた女。覚悟はしておろう」


 と、その時だった。


 あきらめの空気が漂い始めた広間に嗚咽が響き渡る。


 柴田勝家だ。


「ああ、無念。わしは絶対に認めませんぞ!」


「こ、これ、柴田殿」


 林秀貞が無礼をたしなめるが、柴田勝家は涙を流しながら天を仰いだ。


「殿には過ちを一度許してもらったご恩がございます。あの時以来拙者の命は捨ててお仕えして参りました」


 かつて弟信勝に謀反を企てられた信長だが、それまで信勝派だった柴田勝家の鞍替えを許し、重臣として受け入れたとはいえ、史実では、桶狭間の合戦には起用しなかったと言われている。


「ただ、時々ふと、自分は自らの散り際を見失ってしまったのではないかと思うこともございました」


 人目をはばからぬ豪傑の慟哭どうこくに同僚たちもみなこらえきれずに涙をこぼす。


 森可成も横で何度も拳で顔をぬぐっている。


 柴田勝家は信長の前に進み出て頭を下げたまま続けた。


「さればこそ、こたびの戦、我が死に場所といたしましょうぞ。武士もののふは枕を高くして死ぬるは潔しとせず。戦場いくさばちりとなりてこそ本望ほんもうでございます」


「勝家よ、そなたわしに逆らうと申すか」


 まっすぐに起き直ると、柴田勝家がキッと信長を見つめ返した。


「殿のお言葉に逆らうつもりはございません。ですから、拙者はここでおいとまをいただきます。殿への恩義は一生忘れませぬ」


 決意に満ちた忠臣の言葉に、信長はうつむきながら首をゆるりと振った。


「ならば是非もなし。これまでご苦労であった」


 困惑顔の返事に、勝家はニヤリと笑みを浮かべ立ち上がった。


「今日この時からわしは流浪の狼藉者。織田家とは無縁でござる。ならば、今川との一戦に賭けてみるといたします」


「なんと!」


 林秀貞が呆然と柴田勝家を見上げるが、晴れ晴れとした顔を周囲に向けて決意を吐き出す。


「わしら武家に生まれし阿呆は命など惜しくはございませぬ。今川相手に無様な突撃を仕掛けて花と散るもそれもまた一興、武門の誉れというもの。無頼ぶらいなやからが仕掛けたたわむれ。織田家にはご迷惑をおかけいたしませぬゆえご安心召されい」


 勝家の後ろに控えていた家臣たちも畳に拳を打ちつけ、一斉に声を上げる。


「そうだそうだ。このまま宿敵に頭を下げて和議など結べるか」


 いきどおる森可成に池田恒興も呼応する。


「柴田殿、拙者もお供つかまつる」


「我も!」と、佐々成政が続けば、「おう、わしもじゃ!」と簗田政綱も立ち上がる。


「我ら織田家中かちゅうの意地、今川に目に物見せてくれるわっ」


 血気盛んな家臣団に肝心の織田信長だけがうろたえている。


「そ、その方ども、ならぬ、ならぬぞ」


 柴田勝家以下、立ち上がった家臣団がみな弱気な主君を見下ろし、拳を振り上げる。


「では、もはやこれまで。殿にはこれまでお世話になり申した。我らたけ武士もののふ、良き死に場所を見つけたりと、後の世に伝われば本望でござる。えいえいおーぅ!」


 地鳴りのようなどよめきと共に、みなが一斉に走り出す。


「城下に陣触を出せ。明朝までに丹下砦たんげとりでへ集結じゃ!」


 丹下砦は大高城の北にある鳴海なるみ城を囲む砦の一つで織田家の前線基地だ。


いくさじゃ、戦じゃ!」


「血が騒ぐのう。これほど愉快なことはない」


 吹っ切れたかように目をギラギラと輝かせながらみなあっというまに甲冑かっちゅうを身につけ、馬にまたがったかと思うと一目散に駆けていく。


 ――いよいよか。


 一時はどうなることかと思ったけど、ようやく、シナリオ通りに桶狭間の戦いが実行されるんだ。


「おいっ」


 藤吉郎が俺の背中をたたく。


「おぬしも何をぼけっとしておる。戦の支度じゃ」


 ――そうだ。


 俺の仕事はまだ終わっていない。


 脳内マップに表示された桶狭間とされる場所へみなを誘導しなければならないんだ。


 だが、肝心の織田信長は家臣団の暴走を呆然と眺めているだけだ。


「これ、南蛮人」と、立ち上がり、俺のそばへのっそりとやってくる。


「はい、私に何か」と、俺はひざまずいて見上げた。


「家のために妹を犠牲にする。そちは、わしを冷たい兄だと思うか?」


 お市様のことだ。


 俺は感情を消して答えた。


「これも戦国のならいかと」


「わしも織田家の棟梁とうりょうとして、いつかはこのような決断をせねばならぬ時が来ると覚悟しておったが、いざ伝えるとなると、胸が痛むものよな」


 遠くを見つめるようなキリッとした目をしたかと思うと、それを隠すかのように、俺に背中を向ける。


 非情な決断を下さなければならない戦国武将の悲哀がにじむ背中だ。


 と、いきなり振り返ったかと思うと俺の肩を分厚い両手でがっちりとつかんだ。


「なにしろ、市はあれほどの美貌だ。もと一、いや、から楊貴妃ようきひも嫉妬する天地開闢かいびゃく以来のうるわしき妹だ。そうであろう」


 ――いや、こいつ、ただのシスコンだ。


「わしは鬼にでも悪魔にでもなってみせるが、本当は市にだけはつらい思いをさせたくはないのだ」


 鼻息荒く語られても俺の心はどんどん冷めていく。


 ――あんたがつらい思いをしたくないだけだろう。


 ただ、好きでもない男のところへ妹を嫁がせなければならない兄の立場を気の毒だとは思う。


 だが、そこを乗り越えてもらわないと、織田家の天下統一は夢と消えてしまうのだ。


 だいたい、桶狭間の合戦に勝てばお市様を人質に出さなくても済むのだ。


 うじうじしてないで戦えばいいのに、史実を知っている俺と違って自信がないのはどうにもならないのか。


 なにしろ、圧倒的な戦力差と、やり直しのきかない責任の重さがのしかかってるんだから無理もないのか。


 と、見ると、甲冑姿の柴田勝家がまだ城内に残っている。


「このわしが後れを取るとは、不覚千万。馬はどうした」


「申し訳ございません」と、馬番が庭にひざまずく。「柴田殿の御馬は脚にこぶができ申した」


「なんと、換えはないのか」


「今、うまやへ人をやって問い合わせておりまする」


「ええい、馬鹿者が。早くいたせ」


 拳を握りしめてやり場のない焦りをこらえる勝家に信長が歩み寄った。


「勝家よ」


「は、なんでございましょう」と、視線をそらしつつも振り向く。


「わしの馬に乗っていけ」


「な、なんと。殿の御馬でございますか。しかし、拙者はすでに勘当かんどうの身。織田家とは縁もゆかりもない男でございます」


「いや、わしが間違っておった。わしをいさめてくれるのはおぬしのような忠義の家臣であることを、このうつけもようやく理解した。褒美の前渡しじゃ。馬ぐらいいくらでもくれてやる」


「ははっ! ありがたき幸せにございます」


「みなはわしを天下のうつけ者と呼ぶが、ならば本気で天下を狙うのもまたうつけのうつけたるきわみというものよ。のう、勝家、そちももう一度このわしに賭けてみる気はないか」


 柴田勝家が廊下に両手をついてひざまずく。


「もとより、拙者の心は殿と共にございます」


「そなたもうつけか」と、信長は高らかに笑う。「織田家中にふさわしきあっぱれ者よ」


 と、その時だった。


 俺の脳内モニターにアラートが表示された。


――『信長のアレ《覚醒》』にバージョンアップします――


 なんだこれ?


 ゲームシステムの更新か?


《はい》か《いいえ》の選択肢はなく、ただ《了承》のボタンが点滅するだけだ。


 バージョンアップしないと先へ進めないらしい。


 でも、『信長のアレ』って、新しい製品がリリースされると、南米密林レビューに酷評が並ぶんだよな。


『最新スペックのゲームPCでも重すぎてプレイできません』


『登録を求めるくせに何度やっても認証されません』


『カスタマーセンターがクソです』


『ゲーム開始直後に勝手にリロードを始めて先に進めません』


『AIがアホ過ぎて意味不明』


『星一つもやりたくない。マイナス』


『長年のファンへの裏切りです』


『パワーアップキット商法にも我慢して追いかけてきましたが、もうこれで見切ります。サヨナラ』


 だが、迷っている場合ではない。


 もうシナリオは動き出しているんだ。


 おれは《了承》をクリックした。


 キラキラと星が流れるような演出と共に脳内に新タイトルが表示される。


 と、いきなり目の前の織田信長も全身が光り輝き始めた。


 くるくると回転を始めたかと思うと、褌がほどけリボンと化して舞い、裂けた服が飛散し、筋骨隆々の肉体が露わになる。


 センシティブな部分は光と星がカバーして見えそうで見えない。


 ――なんだこれ?


 魔法少女アニメの変身シーンかよ。


 瓢箪顔に髭が生え、筋肉で膨らんだ体を黒マントの西洋風衣装が包み込む。


 脳内モニターの数値がドラム回転を始める。


《新ステイタスを表示します》


 荘厳なファンファーレが鳴り響き、数値の回転が止まった。


《真・織田信長:統率99、武勇88,知略95、政治100》


 おお、これだよ、これ。


 まるで泉の女神に出してもらったみたいにきれいな織田信長が誕生した。


「と、殿……いかがなされました」


 唖然とする柴田勝家に、二枚目役者の目で真・信長が微笑みを返す。


「うつけの振りもこれまでよ」


「では、殿もご出馬を?」


「是非もなし。今川など恐れるに足らん。蹴散らしてくれるわい」


 織田信長は扇子を取り出すと幸若舞の敦盛を舞い始めた。



   人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり


   一度生を享け、滅せぬもののあるべきか



 いつのまにかお市様が縁側にたたずんでいた。


「兄上、いったい、これは……」


「おお、市」と、シスコン兄が羽ばたく大鷹のようにマントを翻す。「どうじゃ、新しい兄は?」


「見違えるようですわ、兄上。とても素敵ですこと」


「ふむ、惚れ直したか」


「まあ、お兄様ったら。お義姉ねえ様に言いつけますわよ」


 ハッハッハッと豪快に笑い声を上げると、妹の頭にポンと大きな手を乗せる。


「行って参るぞ。そなたを嫁になどやるわけにはいかぬからな」


「ご武運を」


 縁側に進み出た真・信長は曲輪に残った家来たちをキッと見回すと、大木のごとき腕を振り上げた。


「みなの者、よく聞けい! 織田の旗印を掲げ、我に続け。いざ出陣じゃ!」


「「「「「ウオォ!」」」」」


 天を揺るがすほどの鬨の声が上がり、織田家総勢二千の兵が桶狭間――とされる場所――へ向かって出発した。



   ◇



 俺たちもそのまま出かけるのかと思ったら、藤吉郎はいったん三人を呼びに家に戻るという。


 日は落ちてすっかり暗くなっているが、城下の街にほとんど明かりはなく、足元がおぼつかない。


 空には星がない。


「明日は雨かもな」と、藤吉郎がつぶやく。


 俺は試しに脳内モニターで検索してみた。


 明日の尾張地方は曇り昼頃雷雨と出た。


 ただ、説明しにくいので、俺は黙っていた。


 藤吉郎がむしろを跳ね上げて家に入ると、中で三人が寝そべってくつろいでいた。


「おまえら、メシは食ったか?」


「たらふく食わせてもらいましたぜ」


「よし、なら仕事だ。一緒に来い」


「今度はなんすか。女子おなごに夜這いでもするんですか?」


いくさじゃ、戦。本物の合戦じゃ」


「うげっ」と、口を押さえながら作兵衛が起き上がる。「おいら、戦なんか行きたくねえよ」


「無理だよな」と、茄子の久作もうなだれる。


 南瓜の六太郎は声も出せずにガタガタと震えている。


「一人でも多い方がいいんだ。メシの分だけでも働け」


「だから物見に行ったじゃねえですか」


「今川に負ければ、どちらにしろ村は略奪されるんだぞ。おまえらの家は燃やされ、男も女もみな売り飛ばされる。それでもいいのか」


「良くねえけど、俺たち何もできねえよ」


 実際、俺にも負けたくらいだからな。


 ――まぐれだけど。


「俺の盾になって斬り殺されるだけでも役に立つさ」と、藤吉郎は物騒なことをさらりと言ってのける。


「そんなあ」


「逃げれば今ここで切り倒す。どっちがいいか選べ。いや、選ばせるわけにはいかぬ。来い」


 強引に説き伏せながら、藤吉郎は足軽具足を身につけ終えていた。


 キリッと鉢巻(はちまき)を結ぶと、大小二本の刀を差して表へ出る。


「ぐふふ、しっかり手柄を立てて出世したら、側室も選び放題か」


 欲望丸出しで、恐怖などまったく感じないらしい。


 三人組も立ってはいるものの、膝はガクガク、ガチガチと歯を打ち鳴らしている。


 俺だって、かろうじて耐えているものの、本当はブルブル震えそうだ。


 側室のことで頭がいっぱいの藤吉郎が、聞いてもいないのに語り始める。


「わしは今お染ちゃんを狙っておってな。おぼこい娘じゃが、このごろ色っぽくなってのう」


「その子は何歳なんですか」


「さあ、おそらく……まだとおにもならぬ……」


 またコンプライアンス上問題のある性癖を口にしていたので、俺はこっそりお染ちゃんを十八歳に変換しておいた。


「サル!」と、そこへ提灯を下げた寧々さんが夜道を駆けてきた。「いくさなんだって?」


「お、おう、寧々殿」と、藤吉郎が慌ててヤラセ三人組を家に押し込む。「夜中にわざわざ見送りに来てくれたのか」


 俺は入り口に立って、やつらを後ろに隠した。


 幸い家の中は暗いから見えないだろう。


 藤吉郎に抱きついた寧々さんが頬を擦りつける。


「無事に帰ってきてね」


「大丈夫、心配するな。必ず出世してみせるでのう」


「そしたら、お嫁さんにしてくれるんだよね」


「ん、んん……そうじゃのう」


「なによ、はっきりしないんだから」と、サルの鼻をつまんでひねり上げる。


「イデデ、するする。わしには寧々殿しかおらぬ。帰ってきたらお館様にお願いして祝言を挙げさせてもらうでござる」


「きっとだよ。約束だからね」


 と、そこへ闇の中から今度は真夏の入道雲みたいな大男が現れた。


「おい、サル、聞いたぞ」


「これは前田殿」


 脳内ディスプレイにステイタスがポップアップした。


前田利家まえだとしいえ:『槍の又左』:六尺の偉丈夫:統率77、武勇80,知略62、政治74》


 六尺(百八十センチ)というが、俺より頭一つ分は大きい。


 実際には二メートルくらいあるんじゃないか。


 偉丈夫にふさわしく凜々しい甲冑姿に鼻筋通った美貌に張りのある声。


 文句なしの美男子ぶりに、明かりのついた家から顔を出した町娘――だけじゃなくて、おばさんたちも――遠巻きに視線を送っている。


「サルよ、俺も連れていけ」


「しかし、前田殿は謹慎中では」


 このころの前田利家は藤吉郎以上に織田家の出世頭と言ってもいい若武者だったが、信長が目をかけていた家臣と揉め事を起こして相手を斬り殺してしまい、謹慎を言いつけられていたのだ。


「御家の大事にそんなことどうでもいいわっ。俺はなんとしても手柄を立てて織田家にもどりたいのだ。おまえが俺の大将になれ」


 大将という言葉に気を良くしたのか、藤吉郎の鼻が開く。


「ふんっ、それも悪くないのう。味方は多い方がいい」


「よし、なら決まりだな」と、藤吉郎の背中を張り倒す勢いでたたくと、チラリと俺を見た。「で、この見かけぬ者は誰だ?」


「サカマキとかいう南蛮人でな。このたびの今川の出陣を知らせたのはこの者じゃ。桶狭間という場所で奇襲をしかければ勝てると申すのだ」


「桶狭間?」と、利家は首をかしげた。「それはどこだ?」


「大高城と沓掛城の間にあるらしい」


「ずいぶん曖昧だのう。本当に桶狭間という場所に今川軍が来るのか?」


 二メートル近い巨漢が俺にのしかかるように迫ってくる。


「ええ、それは間違いありません」


 しどろもどろになりつつ見上げながら答えると、利家はさけを捕らえる熊みたいに俺の襟首えりくびをひっつかんだ。


「よし、ならば、そなたが案内しろ」


 藤吉郎が三人組を呼ぶ。


「よし、おまえらも行くぞ」


 渋々出てきた三人は寧々さんに顔を背けながらさっさと暗闇の中に紛れていった。


「サル、無事でね」と、寧々さんが藤吉郎の背中に抱きつく。


「おう、待ってろよ。必ず帰ってくるからのう」


「決戦前夜か」と、前田利家がボキボキと指を鳴らす。「藤吉郎、楽しみじゃな」


 ――いよいよだ。


 紆余曲折いろいろあったけど、なんとかシナリオ通りに桶狭間の合戦イベントが発生しそうだ。


 大丈夫。


 史実通り、きっとうまくいくはずだ。


 この勝利が天下統一への第一歩になるんだ。


 湿り気のある風が吹き抜けていく。


 俺たちは寧々さんに手を振って暗い夜道に足を踏み出した。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る