落ち葉くんの大冒険

歩芽川ゆい

第1話

 風が強くて天気の良い、秋のある日。

 僕は最初で最後の、冒険の旅に出た。


***


 僕は桜の木の葉なんだ。春という季節に生まれたよ。

 僕が生まれた時には、もう同じ枝に咲く花はほとんどが散っていたけれど、遅咲きの花がいくつか残っていて、そのはかない美しさに目を奪われたものさ。


 僕はまだ生まれたてで、世界が何かも分かっていなかったけれど、あんなに美しいものは他にはないと思っている。


 花たちと入れ違いに僕たちは体を伸ばした。そうして温かい日差しをからだいっぱいに浴びて、深く呼吸をする。そしてお母さまである木の体に、根っこさんたちと協力して、栄養分を届けるんだ。


 いっぱいお日様を浴びているうちに、僕たちの体は薄い緑色から、濃い緑色へと変わっていく。


 僕たちはただお日様を浴びているだけで楽そうだって?


 そんなことはないんだよ。だって、僕たちを食べる毛虫さんたちや、花の後に出来た実を食べる時についでに僕たちも摘まんで落とそうとする鳥たち、虫たちが僕たちの上で喧嘩したりして、体を傷つける事だってあるんだから。


 そんなときは一生懸命に体をよじって避けるか、お母さまが枝を揺らして虫さんや鳥さんを追い払ってくれるんだ。


 それでも多くの兄弟が傷つけられ、下に落ちていった。傷もつかずに秋まで過ごせるのは、本当に少しの葉っぱだけなんだよ。


 僕はその少しの葉っぱに入れた。体のどこにも傷がない。僕の自慢だ。


 そして、暑すぎる夏も過ぎて、秋が来た。


 一日中暑かった夏と違って、秋になると日が落ちると寒くなる。

 そうすると、僕たちは今まで溜めてきた栄養をお母さまに渡して、お母さまから旅立つ準備を始めなくてはいけないんだ。

 

 僕たちは毎日少しずつ、次の春に生まれる兄弟たちのために栄養を枝に渡していると、少しずつ体の色が変わってくる。

 この季節は周りにも黄色や赤色に色づく木々があるけれど、僕たちはちょっと茶色い赤になる。


 その中でも僕はシミも破れもない、とても綺麗な赤茶色になることが出来た。

 周りの兄弟からも綺麗ね、と言ってもらえたのがとてもうれしかった。

 

 そうしてどんどんと兄弟がお母さまから旅立っていく中で、僕はその日をひたすら待った。

 お母さまがもうそろそろ良いんじゃないの? と言っても、僕は首を横に振り続けた。


 僕はただ旅立つだけでは嫌なんだ。どうせなら鳥さんや虫さんから聞いた、ここから見えるだけの世界ではなくて、もっと広い世界を見てみたいんだ。


 そのために、僕は毎日少ししかできなくなってしまった栄養を渡しながら、水分も絞って体を軽くしてきた。

 赤さを保ったままでのその作業はとても大変だけれど、旅立つためだからと頑張ってきた。


 みんながどんどんと旅立っていき、残りは少なくなってきた頃、とうとうその日が来た。


 昨日来た鳥さんが、これから2~3日は天気が良く、そして今日は強い風が吹くだろうと教えてくれた。鳥さんたちは天気に詳しいのだ。


 そして、お日様が高く上がった頃、その待ち続けた強い風が吹いてきた。


 ビュウ、ビュウ、と枝に当たった風が音を立てる。でもまだだ。


 僕は空を見上げる。


 青くて綺麗な空。


 僕はとうとうここから旅立つ。


 風はさらに強くなってきた。


「お母さま、僕、世界を見に冒険に出ます」

「世界を?」

「はい。鳥さんたちが教えてくれた、ここから見えない世界を見に行ってきます」

「それで今日まで待っていたのね」

「はい」

「分かったわ。動けない私の分まで、世界を見て来てね」

「はい!」


 ビュウー、とひときわ強い風が来た。しかも下から上に吹き上げる風が。


 いまだ!


 僕は風に乗せて体を伸ばした。


 フワリ、と持ち上げられる感覚があった。


 お母さまが「いってらっしゃい」と言いながら枝を振って、僕が風に乗りやすいようにしてくれた。それに合わせて、僕は思い切って枝から離れた。



 ピュウ、という音と共に、体がすごい速さで持ち上げられる。思わず目をつむってしまった。


 今まで枝にくっついていたから、風が吹いても離れることがない安心感があったのに、それが一気になくなったんだ。体が風でクルクルと回る。


 怖かったけれど僕は思い切って目を開けた。



 周りに何もない所だった。上下左右にいた兄弟も、お隣の木も誰もいない。


 何もない、そらだった。


 ヒュウ、と風が吹いて体の向きが変わった。


 今度は今旅立ってきたお母さまが見えた。僕はお母さまのはるか上にいたのだ。



 そしてその周りの森。枝にいた時も見えていたけれど、赤や黄色の塊があちこちに見える。とても綺麗だった。


 こんなに美しい景色があるのか。僕は感激した。これをお母さまや兄弟と一緒に見られないのが残念だ。


 風がヒュウと吹いた。


 僕はさらに風に乗って移動する。


 今までいた山を越え、さらに飛んでいく。



 どこの山も赤くて黄色くて緑で綺麗だった。春の花も綺麗だったけれど、それに負けない美しさだ。



 風が弱くなって僕は下に落ちていった。もう少し飛んでいたかったけれど、もう僕の冒険は終わりなのか、と悲しく思った時だった。


 ガシ!! と何かに体を掴まれた。


「あれ? 虫かと思ったら、葉っぱだった?」

「鳥さん?」


 飛んでいる僕を虫さんと間違えたようだ。


「葉っぱにしてはずいぶんと高い所を飛んでいるんだね」

「はい、僕、世界を見てみたくて!」

「世界を?」

「はい! 今まで鳥さんや虫さんに、僕がいた場所とは違うところも、すごくきれいだよと教えてもらっていたので、それを見に冒険の旅に出たいなって思ったんです。だから風さんにここまで運んでもらってたんです」


 でも風が弱くなってきて、というと鳥さんは飛びながらそれなら、と言ってくれたのだ。


「それなら私が君を運んで、世界を見せてあげるよ」

「本当!? ありがとうございます!」

「じゃあ、いくよ!」


 そういうと鳥さんは僕が世界をよく見えるように持ち直してくれて、そして山のふもとへと飛んでくれた。


「あ! 鳥さん、あれは何ですか!? とても綺麗な黄金色の絨毯は!」

「あれは田んぼと言って、ニンゲンが作ったコメの畑だよ」

「コメ? 草とは違うのですか?」

「あれには小さな実がなるんだよ。美味しいんだけれど食べ過ぎると人間に追い払われるから気を付けないといけないんだよ」


 鳥さんが笑いながら教えてくれる。

 田んぼの黄金色は風でゆらゆらと揺れていた。とても綺麗だった。


「あ! 鳥さん、あれは何ですか? あの黒っぽくて大きくて動いているのは!」

「ああ、あれは牛と馬だよ」


 熊は今までいた森の中で見かけたことがある。でも彼らはそれとは形が違っていた。彼らに手を振って、僕たちはまた上空にあがる。


「鳥さん、あれは!? 変な形のものがいっぱい!」

「あれはニンゲンの家だよ」

「あの小さな動くものは!?」

「あれは車。ニンゲンが作ったもので、ニンゲンはあれに乗って移動するんだよ」

 

 鳥さんは、ニンゲンの住む所をしばらく見せてくれて、また違う場所へと飛んでくれた。


「今度は赤と黄色の大きいのがあります! それもみんな並んでます!」

「あれはリンゴと柿だよ。食べると美味しいんだ」


 お母さまも実をつけていたけれど、あんなに大きくはなかった。あれもニンゲンが作っているんだよと、鳥さんは教えてくれた。


 そこを通り過ぎると、キラキラと輝く道が見えてきた。


「鳥さん、あのキラキラしている道は何ですか?」

「あれは川。水が流れているんだよ」


 水は知っている。空から降ってくるあれだ。僕たちの汚れも流してくれるし、生きるのに必要なものだ。


「この辺にはないけれど、あの水がたまった池というものもあるんだよ」

「水たまりみたいなものですか?」

「ううん、もっともっと大きいよ。とても深くて、魚やカエルも住んでいるよ。そしてとても綺麗なんだ」

「それは見てみたいです!」


 そんな話をしながら、高さを落として飛んでくれる鳥さんの周りには、他の鳥さんや虫さんも飛んでいた。


 それぞれに挨拶をしながらさらに飛んでもらっていたけれど、鳥さんはそろそろ自分の巣に帰らなければいけないらしい。


「もとの場所に戻そうか?」


 旅立ったころには強かった風が、今は弱くなっていて、このままでは僕は地面に落ちてしまう。でも。


「いえ、僕はもっと世界を見たいから、風を待ちたいと思います。どこか高い木の上に置いてもらえますか?」

「うん、いいよ」


 鳥さんはまた高く飛んで、そこから見えた森の、一番高い木の上に僕を置いてくれた。


「ここで良いかな?」

「はい。鳥さん、たくさん世界を見せてくれてありがとうございました」

「どういたしまして。もっとたくさん見られるといいね。さようなら、葉っぱ君」

「はい、さようなら、鳥さん」


 鳥さんは大きく羽ばたいて空に戻っていった。僕はその姿が見えなくなるまで見送った。


「世界を旅しているって?」


 話しかけてきたのは、僕がお邪魔している木だった。


「はい、いきなりお邪魔させてもらってすみません」

「いいよ。それよりも話を聞かせてほしいな」


 そう言われて、僕は今日の事を話した。けっこう長い時間だったけれど、驚いたり笑ったりしながら聞いてくれた木は、楽しそうに体を揺すった。


「ずいぶんと冒険をしてきたんだね」

「冒険……そうですね、冒険ですね!」

「うん、私はここから動けないから、良い話を聞かせてもらったよ。さあ、そろそろ風が吹いてくる時間だ。……行くんだよね?」

「はい!」

「それなら、風に合わせて飛ばしてあげるよ。さあ、準備はいいかな?」

「はい!」


 ビュウビュウとまた風が強く吹いてきた。それでもまだだ。僕は枝にしがみつかせてもらって、ときを待つ。



 ビュウビュウ、ビュウ! ひときわ強く、下から上に吹き上げる風が吹いた。


「さあ、いまだ! 行っておいで!」

「はい!」


 木が枝を揺らして僕を持ち上げてくれる。そしてそのタイミングで僕は風に乗り、また上空高く舞い上がった。


「ありがとう、さようなら!」

「さようなら、いってらっしゃい!」


 木に見送られて、僕はまた風に乗って移動を始めた。



 周りの赤や黄色や緑の森も、本当に美しかった。

 飛んでいるトンボさんと一緒に飛ぶのも楽しかった。

 ちょうちょさんもやってきて、少しの間一緒にとんだ。


 ビュウビュウと吹き荒れる風は、虫さん達には強すぎるので、すぐに別れてしまったけれど。


 風に持ち上げられ、くるくる回りながら落ち、また持ち上げられ。



 綺麗な世界を見ながら僕は飛び続けた。


 もともと水分を抜いた体は、もっとカラカラになって軽くなっていた。

 それでも楽しかった。冒険、ってこんなにもドキドキして楽しいものなのだ。


 何度も何度も上がったり下がったりを繰り返し、僕はいろいろなものを見て回った。


 そうして見えてきたのは、キラキラと光る、大きな水たまりだった。


「きっとあれが、池というものだな」


 さっき鳥さんが教えてくれた、大きな水たまり。


 それは本当に大きくて、周りを木々が囲んでいる。


 そしてちょうど風が弱まって、僕はそこにくるくると回りながら落ちていった。


 だんだんと近づいてくる水面に、ああ、もうこれで冒険は終わりなんだと感じる。


 その時、目の前に綺麗な赤い色が見えた。あれは何だろうと落ちながら見ていると、それはどんどんと近づいてきて、その綺麗さに目を奪われている間に、僕は背中から水面に落ちた。



 それで気が付いた。あの赤い色、あれは、僕だと。


 僕はあんなにきれいな色と形をしていたんだ。


 初めて見た自分の姿に、感動して興奮していると、今度は空が見えた。


 今まで飛んでいた、青い、あおいそら。


 そして水面に風が吹き込み、僕の体はどんどんと流されていく。


 目の前の美しい空を見ながら、僕は流され、最後にビュウ、という風で少し持ち上げられた、と思ったら、地面に背中が付いた。

 

「やあ、新入り君かな? 見ない葉っぱだけどどこから来たの?」


 声を掛けられて周りを見れば、赤や黄色や茶色に染まった葉がたくさん落ちていた。風が吹くと水の周りの土に打ち上げられるらしい。


「だいぶ遠くの山から、風と鳥さんに運んでもらって来ました」

「それは凄い! どんなものを見たのか、聞かせてくれる?」


 周りからも聞きたい、と言われて、僕は今日の話を聞いてもらう。


「凄いなあ! 風に乗って旅に出るとか、思いつかなかったよ」

「そうね、でもここだって、どこよりも美しいと思うのよ、ほらみて!」

「うわあ……!」


 そこから見えた景色は、言葉に表せないほどに美しかった。


 木の向こうに夕陽が見える。今まで僕が漂っていた水面に、赤く染まった周りの木々と、赤く染まった空が写り込んでいる。


 こんなに美しい世界を見られて、僕は幸せだ。もう体はカラカラで、それで水に落ちたから自慢の綺麗な体もボロボロだ。

 それでも後悔はなかった。僕は、これらを見るために旅立ったのだから。



 僕は、日が暮れて辺りが暗くなるまで見続けた。


 夜には大きなお月様が出て、それが水に写り込んで本当にきれいだった。


 それを見ながら僕は、目を閉じた。

 

 僕の冒険は、大成功だった。


 そして誰へともなく、僕はつぶやいた。


「おやすみなさい、さようなら」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

落ち葉くんの大冒険 歩芽川ゆい @pomekawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ