Never Catch Me ~春~ ②

 四月が終わりを迎える頃、街では次第に葉桜が目立つようになっていた。その日は三連休最初の土曜日。駅前からほど近い街で、あるお祭りが開かれていた。

 環状線を少し逸れ、都会ならではの入り組んだ住宅街を進んだ先に小さな商店街がある。周囲に住む人々はそこで買い物をし、そこを通過して駅や学校へと向かっていた。約一キロに及ぶその通りには所狭しに桜の木が植えられていたことから、その祭りは桜まつりと呼ばれている。

 少しずつ日が傾き始める時間帯になり、隣家からは野菜を炒める香ばしい香りが漂っていた。藤乃は解きかけの問題集を放り出してデスクから離れると、ベッドに座りスマホの画面を起動した。


 “藤乃ちゃんこんにちは、ひかるです。いま、お家にいるの?”


 ロック画面の通知欄には、ひかるからのメッセージが表示されていた。彼女はベッドの上で静かに身体を倒して、メッセージアプリを起動した。


 “うん。課題が一段落したから休憩しているところ。お母さんは今日も仕事だから、家にいるのは私だけだよ”


 メッセージの既読表示はしばらく経っても現れなかった。もやもやしながら藤乃はもう一通のメッセージを送信した。


 “ひかるはいまどこ……?”


 ぐっと伸びをしてベッドから起き上がると、彼女は再びデスクへと戻り目薬を探し始めた。休憩から戻る時や、うまく集中できないとき、彼女は目薬を差して気持ちをリセットすることにしていた。ひかるの声を聞きたいと思っても、彼女が姿見の影からひょっこりと姿を現す訳がない。彼女は窓の向こうに連なった電線へぼんやりと視線を送りながら、二軒先の商店街から聞こえてくる楽しげな声を聞いていた。

 観念して再びノートを開いた矢先、藤乃のスマホに一件の通知が来た。


 “ごめんね、返信遅れちゃって。これから帰るところだよ。そういえば、藤乃ちゃん家の近所でお祭りやってたよね?”

 “さくら祭り、今やってるよ”

 “そっか、よかったらこれから一緒に行かない?”

 “うん、いいよ”

 “やった!二十分くらいで着くから、駅前のブックワンで時間つぶしといて!”


 藤乃はお気に入りのリスのマスコットキャラクターのスタンプを送信して、手に持っていたスマホをベッドの上へ無造作に放り投げた。


 ──服、何着ていこう……あぁ、髪も梳かさなきゃ、私今日一歩も外出てないじゃん……もうっ、ひかるってばいっつも急なんだから……。


 うきうきとした表情を浮かべながら、彼女は緑色の壁掛け時計に目をやった。約束の時間まで、既に二十分を切っている。寝間着代わりに着ていたグレーのジャージを脱いで、黒いスキニーパンツへ履き替えた。悩んだ末、彼女がトップスに選んだのは、左右に小さな編み込みをあしらった紺碧のニットカーディガンだった。

 二階にある自室を飛び出し、彼女の母が用意してくれた昼食用のお金を財布に入れて藤乃は駆け足で駅へと向かっていった。




 *




 「ひかるっ、はぁっ、ごめんね、待った……?」

 「ううん、全然っ!行こっか、藤乃ちゃんっ!」


 駅前の書店に到着した藤乃は、レジカウンターの向こうにある雑誌コーナーでひかるの後ろ姿を見つけた。左右に結わったお団子とトレードマークの金のメッシュのおかげで、藤乃は店に入ってすぐに彼女を探し出すことが出来た。二十分は経っていないはずだったが、ひかるは既に店内でしばらく藤乃のことを待っていたようだった。


 「部活、どうだった?」

 「今日も朝から試合だったんだ。さっき学校に戻ってきた所だよ」

 「へぇ!ひかるも試合、出られたの……?」

 「うん!まあ1−0で負けちゃったけどね……」

 「そっか……ひかるは運動も得意で凄いよ……」

 「いやいや、次のインターハイも、どうせ予選で敗退でしょ。でも、みんなでスポーツするのって結構楽しいんだよね」

 「そうだね……」


 藤乃は少しだけ暗い表情を浮かべた。団体種目、個人競技問わず、ひかるはあらゆるスポーツに長けていた。愛らしい表情と可憐なしぐさ、優秀な頭脳と抜群の運動神経、そして親しみやすい人柄も相まってひかるの周囲にはいつも彼女を慕う人間が大勢居た。きっと学校の部活でも、周囲の実力に合わせて自分だけが目立つことの無いように振舞っているに違いない。主張すべき所と、周囲の流れに合わせるべき所を彼女はいつも弁えていた。ただ美しいだけで自分の意志が希薄な藤乃の性格は、ひかるとは対照的だった。


 「はいっ、これ渡しておくね!」

 「えっ……?」


 藤乃の表情に翳りを見出したひかるは懐から財布を取り出して、無造作に彼女へお札を渡した。急に差し出された五千円札を目にして、藤乃は呆気にとられてしまっていた。


 「わ、私、ひかるにお金貸してたっけ……?」

 「ううん、違うんだ。色んな屋台を回ってる内に無駄遣いしちゃいそうだから……藤乃ちゃんにお金を持ってて欲しくて……ダメかな……?」

 「……しょうがないなぁ、今回だけだからね……?」

 「うん、あっ見て見て!イカ焼きだって!!いい匂い~!!」

 「あっ、ちょっと、ひかるっ……」


 釈然としない藤乃を置き去りにして、ひかるは屋台を目指して駆け出していった。彼女は駆け足でひかるの背中を追った。戸惑う気持ちとは裏腹に、彼女の掌は受け取ったお札を丁寧に財布の中へと仕舞っていた。

 

 「本当にそれでいいの?」

 「うんっ!」

 「じゃあ……すみません、大きい方のイカ串を──」

 「──二つでお願いしますっ!!」

 「……えっ!?いやっ、大丈夫ですっ、あのっ……」

 「二つで良いよねっ?じゃあ、二つくださいっ!!」

 「っ……」


 彼女の魂胆が藤乃にも段々と見え始めてきた。要は二人分の食事代をひかるが負担するということだった。直接伝えるのは気が引けるから、お金の管理を口実にして藤乃に支払いをさせるつもりだったのだ。今更引き下がるわけにも行かず、藤乃は財布からお金を出して二人分のイカ焼きを購入した。


 「いただきまぁ〜す!!……~っ、美味し~っ!!」

 「ちょ、ちょっと……歩きながら食べちゃ駄目だよ……」

 「にひひっ、ごめんごめん……そこのベンチ、空いてるよ?」

 「うん……」


 通路の脇に置かれたベンチに腰かけると、ひかるは香ばしい匂いのするイカ焼きをすぐに頬張り始めた。藤乃はポーチからウェットティッシュを取り出して、ひかるの頬に着いているタレを拭いてやった。


 「ソースが着いてるよ……」

 「ありがとっ!ほら、藤乃ちゃんも食べて食べて!」

 「……あのね、こういう屋台って、そもそも価格設定がおかしいし、衛生状態だってあんまり良くないって聞くし……」

 「んむっ、はむっ……ごくんっ……じゃあ藤乃ちゃんは食べないの〜?なら私が貰っちゃうねっ!!」

 「あっ、ちょ、だめっ、これは私のだからっ……」


 ひかるの思うつぼになっているような気がして癪だったものの、藤乃はおぼつかない手つきで焼串を頬張った。濃厚な醤油の香りが口いっぱいに広がっていき、噛めば噛むほど旨味が口の中ではじけていく。一度口へ入れてしまえば、食欲は更に湧いてきた。一口、また一口と、彼女は次々と串焼きを頬張り続けていった。


 「そういえば、今日何にも食べてなかったっけ……」

 「そういうことなら、もっと沢山食べないとね!私たち、まだまだ育ち盛りなんだからさっ!」

 「うん……」


 藤乃はひかるの顔を見つめた。きりっとした目元が長いまつ毛に縁どられて、まっすぐに藤乃を見つめている。悪戯っぽく微笑んで、ひかるは指先で藤乃の頬を突いた。


 「ちゃんとご飯食べなきゃ、病気になっちゃうよ……」

 「大丈夫だよ……ちゃんと食べてるって……」

 「藤乃ちゃん……無理しないでね……」

 「……杏飴、久しぶりに食べたいな……ひかるも一緒にどう?」

 「うん……」


 二人はおもむろに立ち上がると、身体を寄せて次の屋台へと向かった。

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