第4話 晴馬と俺と彼女

 俺は、家に帰るため、いつものように自転車を押していると……


「よっ!航起、もう帰るのか?」


 ポンと後ろから、軽く肩を叩かれる。


「どうした?やけに元気がないな」


 濡れた頭を、タオルでガシガシ雑に拭きながら、晴馬が心配そうにのぞき込む。


 部活休憩に入ったらしい晴馬は、いつものように手洗い場で、頭から水を被ったのだろう。

 髪や顎から、雫がぼたぼたと垂れている。


「いや……彼女のことが気になって、結局何も……!」


 しまった!と、自らの口を慌ててふさいだが、時すでに遅しである……


 晴馬がその場で固まったまま、目をまん丸くして、俺を見ていたからだ。


 一瞬の金縛りが解けた晴馬は、ふるふると興奮した顔で、俺の両肩をつかむと、間違いようもなく、勘違いしたセリフを吐いてくれた。


「そうか、好きな女子ができたのか。それでもって悩んでいると!

 そうだな悩むよな、うんうん。

 で誰だ?クラスの誰かか?

 応援するぞ、言ってみろ!

 いやぁ……いつも実験ばっかりやってるからさ、お前からそんな話が聞けるなんて……父さん、びっくりだよ」


 誰が父さんだ。


「いやいや、びっくりはしたけど……うん、そう。

 実験には協力できないけど、この件に関してなら、協力は惜しまないぞ!」


 すっかり盛り上がって、ひとりで妄想を繰り広げ、喋りまくっている晴馬をみて、軽く頭痛を覚える。


 俺は、あきらめた様に、大きな溜め息をひとつついた。


「はぁ……お前の希望に添えなくて、とても残念だが、そういうことじゃないんだ……そうだ!」


 そうなのだ!

 コイツなら、晴馬なら分かるかも知れない。

 晴馬は俺と同じで、小学校からの長いつきあいだ。

 これで確かめられるはずだ。


「お前に聞きたいことがある。ちょっとこっちに来てくれ」

「何だなんだ?恋の相談か?」

「もうそれはいいから!」


 あまり人に聞かれたくなかったので、俺は晴馬を校舎裏へと連れて行った。


「お前、俺のクラスにいる園部奈々美っていう女子のこと、知っているか?」


「そのべななみ?誰だそれ、知らない名前だな……

 転校生か?

 いやでもそんな話、俺の耳には入っていないぞ……」


 左手を腰に、顎をいじりながら斜め上を睨み、視線を彷徨わせつつつぶやく晴馬は、わりと必死に見える。


 やはりそうだ。知らないのは、俺だけじゃなかった!


「ホントか?」

「何言ってんの!

 この俺が、女子の名前を忘れるわけがないだろう、失礼な!

 校内女子の名前はもちろん、クラスの女子全員の生年月日は記憶済みだぜ」

 

 いやぁ……そんな事まで憶えなくても良いと思うぞ。


 自慢げにふんぞり返っている晴馬を、冷めた目で見ると、ひとまず過ぎた友の行動にツッコミむのは置いておいて、自分の中の思考をまとめる。


「そうだよな、やっぱり知らないよな?」


 喜んだのもつかのま、ふと晴馬の目が、俺の後ろを見ていることに、気がついた。


 同時に、近づく人の気配と女の声。


「晴馬くんここにいたんだ。さっき部活の森本先生が呼んでたよ」


「しまった!もうこんな時間だったか。

 園部さん、知らせてくれてありがとう!

 悪い、航起そう言うことだからもう行くわ!

 相談はまた時間あらためてな!

 それから……」


 不意に近づくと、耳元でささやいてきた。


「お前、園部のことが気に入ったんだな。

 もったいないが、俺も応援するぞ!

 でも、競争率高いから覚悟しとけ、なんせ彼女は美人だからな」


 意味深にニヤリと、したり顔を浮かべると、晴馬はすぐさま走り出そうとした。


「じゃあな。航起」ガハハ……


 良いこと聞いたと、晴馬は楽しそうに、グラウンドに帰って行った。


 俺はただ唖然と、遠ざかっていく晴馬の背中を、見送ることしかできなかった。


 恐る恐る、隣に立っているであろう彼女をみつめる。


 無意識に“ゴクッ”生唾を飲み下していた。


 何も言えずにいる俺に、彼女はなんでも無いようにニッコリ微笑むと、少し小首を傾げた。


「航起くん、朝から様子が変だね。大丈夫?」


 彼女は心底、心配そうな顔をして、俺を見ていた。


 心配してくれているのは分かる。分かるが……


 さっきのは何だ!何なんだ!


 ついさっきまで晴馬は、園部奈々美という人物、彼女のことを、まったく知らなかったはずだ。


 でも、彼女が声をかけた途端、目にした瞬間、知り合いになっていた。


 いったい、どういう事なんだ?


 いま、俺の目の前にいる彼女は、何者なんだ?


「……俺も、もう帰るわ。じゃあな、園部」


 振り返る事なく、早足で自分の自転車のもとに戻ると、慌てて乗り、無心になって家路を急いだ。


 気のせいか、後ろから彼女の視線を感じるような気がして、落ち着かなかった。

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