第2話 はじまりは
朝の晴れやかな日差しのもと、足音や掛け声が集まり、賑やかな情景となって、次々に校内へと流れ込んで行く。
自転車を駐輪場に停めていた俺は、背後から軽く手を置かれ、振り返る。
「よぅ!
えぇ何だよそれ!
左手が消えてるし!
た、大変だ!
何それどうなってんの、痛く無いのかよ!
……え、あれ?これどうなってんだ?
えぇと……それ、大丈夫なのか?」
驚きすぎて真っ青になった
「あぁ、大丈夫だ。ちょっとした計算違いだからな。
朝には、元通りになる予定だったんだが……
まだ元に戻るには、余分に時間がかかりそうなだけさ。
それに、さっき誤差を計算してみたが、もうそろそろ戻るだろう」
俺は、腕時計とメモ帳を確認しながら、一人ふむふむと納得して頷く。
いつの間にか晴馬が、興味深げに覗き込んできたので、俺は無言のまま、怪訝な顔を返した。
コイツまた、ろくでもないことを考えているな。
半眼で眺める俺の反応など、全く気にせず、ニヤついている。
晴馬は、細身のわりに筋肉質な腕を、俺の見た目通りの、細身な肩に“ガシッ”と乗せ、小声で話しかけてきた。
「何なに?今度は何を作ったの。もしかして、透明になるってやつ?」
やけにキラキラと、期待の眼差しで見つめてくる晴馬の熱量に、思わず一歩後退る俺。
「……あぁ……そうだな、理論的に可能だった。
だから昨夜、実験してみたんだが……
残念ながら未完成だ。
一部不具合が残るようで、少し調整の余地ありだな」
俺は腕を組むと、一人納得したように、うむうむと頷きつつ、半分消えたままになっている、自分の左手を眺めた。
「お前、また自分の身体使って実験かよ……
ホントよくやるよなぁ」
「じゃぁ、お前が代わってやってくれるのか?」
「いやーそれは、全力で遠慮します!」
予想を外さず、間髪入れずに断ってきた。
「だろ?」
「あっ!でも完成したらさ、俺にも使わせてくれ!」
実験を代わりにと聞いて、少し離れたくせに、またにじり寄って来た。
「何で?」
「いやー男のロマンでしょうここは。透明人間だろう?いいよなぁー」
俺は思わず、胡乱げな視線を送る。
「……何か、邪なことを考えているよね」
「うっ、バレた?」
視線を彷徨わせ、バツの悪そうな顔を一瞬すが、すぐに開き直ったのか、いつものように頭を掻きつつ、ガハハと笑った。
そんな晴馬に、一つため息をつくと「何年の付き合いだと、思っているんだ?」と取りあえずつっこんでおいた。
「だよなーさっすが航起、俺の事よく分かってるな。ガハハハ……
あ、もう時間無いな。悪い、着替えて教室に行くわ」
「おう、また帰りな」
ひとしきり笑って去って行く晴馬を見送りつつ、俺も自分の教室へと向かった。
あぁ……誤差は許容範囲内だったな。
すっかり元通り現れた、自分の左手を眺める。
異常が無いか、握り込んだり開いたりを数回繰り返し、肩も回してみるが、これといって異常も、違和感も見受けられない。
……まずまずだな。
胸ポケットから、再び実験用メモを取り出すと、その結果を急いで記入する。
忘れないうちに書き留めたくて、入り口手前にある棚の上を、机代わりにしている。
いつもの光景すぎて、誰も気に留めない。
たまに「おぉ、今度の実験は何だ?うまく行ってんのか?」などと、声をかけてくる奴もいるが、邪魔をしてくるようなこともないので、割と過ごしやすい。
タブレットや音声収録も考えたが、メモが一番やりやすく、気付けばメモ帳だらけだ。
メモ帳を胸ポケットに納めると、自分の席へと向かった。
「おはよう」
「おはようっす」
「おはよう」
いつものように教室に入ると、いつものメンバーと挨拶を交わす。
いつも通りの一日が、いつも通り始まるものだと、その時までは思っていた。
教室の一番後ろの窓際の席に、どっかりと腰を下ろすと、伸びをする。
結局昨日、遅くまでゴタゴタしていたので、少々身体が鈍ってきているみたいだな、晴馬まではいかなくても、なんか運動でもするかなぁ……
そんなことを考えつつ、思いきり後ろへと上半身を伸ばし切ると、背後に人の気配がした。
驚いた俺の姿勢はそのままに、後ろの席に座っていた人物と目があった。
背中ぐらいまであるストレートの髪は、深いまでの黒で、窓からの風になびいて、サラサラとした清涼感を感じさせる。
眉より少しだけ長い前髪の下から、くっきりとした、黒目がちで大きめの二重が覗いていた。
その色白の頬に、ほんのりとさすピンク色、小さく形の良い唇。
きれいだと、思った。
思わず見惚れていると、彼女がこちらに向かって、ニッコリと微笑んだ。
途端に、ハッと我にかえる。
今の自分が、背伸びしたまま彼女と目が合うという、奇妙な格好であることに気付き、バツの悪さに狼狽えた。
頬に、熱が溜まる。
狼狽えすぎた俺は、勢い余って “ガタンッ” 椅子から転げ落ちた 。
「おいおい航起、朝っぱらから何やってんだよ。お前、面白すぎだろう」
教室中がどっと笑った。
「えっ、いや……えええっ」
俺の一連の行動に、クラスの反応は、普段と変わらないように思う。
ただ、一点を除いたら……
何だ……どういうことだ?
サプライズか何かなのか?
居心地の悪さに苦笑いを浮かべ、ひとまず大袈裟にホコリを払い立ち上がると、近くにいた
「はぁ、びっくりした……
ところで三田村、俺の後ろにいる彼女は誰?
もしかして今日、転校してきた子?」
「はぁ?お前こそ何を言ってんだよ。頭でも打ったのか?」
コイツは何を言い出したんだ。という視線。
「え……だって彼女、見たことがないぞ?」
そんな俺の言葉に三田村は、一瞬固まった後、一つため息をつくと、呆れ顔で答えた。
「いやホント、朝から何を言っているんだお前は。
今まで、ずっといただろう。
ボケたのか、頭の使いすぎなのか?」
俺たちのやり取りに、周りで見ていた皆んなが、怪訝な表情を浮かべている。
えっ……何だ?
思わず、いたたまれない感覚に苛まれる。
訳もわからず唖然とする俺。
三田村は彼女の方に向き「コイツが失礼なこと言って、ごめんな」と声をかけている。
そして横に立つ俺の頭をつかむと、ちゃんと謝るようにと、なかば強引に頭を下げさせようとしたのに気付き、ムキになって三田村より一瞬早く、自ら頭を下げ謝った。
そんな俺達の、どうしょうもないやり取りに「大丈夫だよ。気にしてないから」と、楽しそうに微笑む彼女を見て、不覚にも二人揃って、見惚れていた。
結局俺は、ただ彼女を取り巻く環境を、見つめるしかなかったんだ。
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