第4話 幽霊論3 生霊

 今回は方向を変えて生霊について述べる。

 

 霊には死霊と生霊がいる。

 死霊はもちろん本体が死んで魂だけが残されたものだ。

 生霊は本体が生きていてそこから生まれる霊だ。人が強い感情を抱くと、止めようもなく生霊が産まれる。水面に石を落としてさざなみを作るようなものである。


 一口に生霊と言っても、その中に埋め込まれる魂の強さによっていくつもの段階がある。


 魂にも段階があり、中国の古い思想では一人の人間には六つの魂と七つの魄(はく)があるという。

 このうち陽に属するものが魂、陰に属するものが魄である。

 六つの魂も平等ではなく、輪廻転生をするのはこの内の一つのみである。

 人が死ぬと魄は速やかに崩壊し、残りの魂もやがては散ずることになる。魂にも賞味期限があるのだ。

 よくこの世は死んだ人たちばかりなのだからどこもかしこも幽霊で満ちていないとおかしいと、さも鬼の首でも取ったかのように言う人がいるが、それはあまりにも短慮である。

 魂魄すらも腐り果て自己イメージの消失と共に消滅するし、そもそもその前に供養が行われてこの世からは消え去る。ただそれだけの話なのである。


 生霊の核になるのはこの魂のかけらである。

 強い恨み、もしくは術により輪廻の核となるほど重要な魂が込められた生霊は、自己イメージもしっかりしているので全身で出現する。ドッペルゲンガーと呼ばれるものがこれに当たるのではないか。

 生霊を分離する術を使うとたいがいが頭だけの生霊となる。

 このレベルのものは実体を持ち、杭に刺すなどが可能である。刺されても簡単には死なないが、杭から抜け出せずに朝日を浴びると大ダメージを受けるし、一日の内に元の体に戻らないと本体は死ぬ。

 生霊を殺すと本体が死ぬケースはこのレベルの生霊である。

 魂が抜けたままになると体は静かに生命活動を停止してしまうのだ。

 この場合の死因は心臓麻痺となる。

 生命活動には単なる細胞の活動の他にも何かプラスアルファの要素があるということだ。


 寝ている間に霊体離脱してしまう人もこの範疇に入れてよいだろう。この場合は強い感情という引き金がなくても、元々体との繋がりが弱い人が霊体離脱をやってしまうのだ。

 こういう人たちも霊体離脱を繰り返す間に体は徐々に弱ってしまい、最後はやはり心臓麻痺で死ぬことが多い。



 生霊の重要な特性としてその人の顔をした頭がつくことが必須のようだ。

 人間はそこまで自分の顔に執着しているということなのだろう。

 顔一つで人生は大きく変わる。

 良い顔立ちをしているものはそれを誇りに思い、絶対に手放さない。

 悪い顔立ちをしているものはそのことを恨みに思い、これも絶対に心の中から手放さない。

 だから生霊には絶対に自分の顔が張り付く。

 恐らくはこれも呪いの類なのだろう。人が背負った業の一つなのだ。


 以前に見える人に教えてもらった。

「よく顔の前に羽虫がまとわりつくことがあるでしょ?」

「うん、あるね」

「あれね。生霊です」

 人間はちょっとした不満でも無意識に生霊を放つ。それらには与えられた魂のかけらが針の先ほどしか無いので、大きな実体は作れずに、羽虫程度のものになるらしい。

「それって本物の羽虫じゃないの?」

「違いますよ」彼は笑って言った。

「捕まえて虫メガネで見るとね、体は羽虫だけど、頭が人間のものなんです」


 なるほど確かに生霊である。

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