第2話 幽霊論1 霊視
怪奇現象の王様は霊現象である。
つまり「幽霊を見ちゃった」である。
魔法や妖精と言った様々なファンタジー現象は、歴史を遡って調べていくと次々に虚飾が剥がれ落ちて単純になっていく。
例えば妖精の起源を辿って行くと行着くのは、この記述である。
「異形のものたち」
羽が生えた女の子のイメージとは大きくかけ離れている。
そしてこれらすべては最終的には霊現象へと収束する。それら霊現象に人々が様々な夢を付加した結果が現在オカルトの素敵な世界なのである。
ここではその霊が見えるということについて述べてみようと思う。
世の中には霊が見える能力を持つ人間が相当数存在する。
口の悪い馬鹿の中には彼らを糖質(統合失調症のネットでのスラング)と罵る者が多い。つまるところ人をキチガイ扱いすることで、マウントを取って自分の惨めな自尊心を満足させているのだと、私は理解している。
彼らは精神科医でもなく精神医学に関する知識を持っているわけでもないのに、他人に対して統合失調症の判断を下しているのだから、バカと言われても仕方がないだろう。。
私は別にオカルト普及委員会のメンバーでもないし、人と争うことは嫌いなので、あまりこういった議論はしたくない。
だが、そういった悪意の言葉に触れて傷つく「見える人」は数多い。そこで彼らのためにここで少し擁護しようと思う。
これが見える人、聞こえる人、嗅げる人、そして私のように何の能力もないのに怪奇に巻き込まれる体質の人たちへの救いの一助になれば幸いである。
霊が見えるのは特別なことではない。
実を言えばほぼすべての人が霊を視ている。
不動産関係者ならば知っているが、事故物件などはどこにも情報を提示していなくても、なかなか次の人が入らない。内見をした人たちは気分が悪くなり、入居を思いとどまるのだ。極端な人は物件の写真を見た段階で目を逸らす。
つまり「視えて」いるのだ。だが「見えて」はいない。
霊が見えても得することは何もない。そして人の心は余計なものを見ないように自分自身を騙す。
部屋の中のどこかにゴキブリや蜘蛛がいると知れば、それを無視して安らかに眠ることができなくなるのと構造は一緒だ。
子供の多くは霊を見る。だが長じるにつれて見えなくなる。お化けなんかいないさ~と大人に教えられている内に見えなくなるのだ。
その逆に強烈な怪奇現象に遭遇したり、見える人の傍にいると見えるようになる人も多い。
これらすべては視える能力そのものがあらゆる人に潜伏していることを示している。
人間の感覚は仏教で言うところの「受想行識」で成り立っている。
視覚を例に取って説明しよう。
受)
網膜に光が当たりそれを分析して7つの情報(色・形・大きさ・質感など)に分解する。
想)
受けた七つの情報を視覚野の中で再構築する。
目から流れ込んで来る情報は点といってもよいほどわずかな領域なので、残りは前の記憶から再生する。
行)
視覚野の中の情報に重みづけ処理を行う。
危険な生物などは見逃さないようにこの時点で強調される。本来の大きさよりも大きく見えたり、輝いて見えたりなどの処理が入る。
識)
こうして最終的に出来上がった情報を認識する。
再生し切れなかった部分は意識の外におかれ、自分は最初からこの光景のすべてを見ていたと思い込む。
我々は自分の目をカメラのレンズであるかのように感じているが、それは実に頼りないタンパク質でできた粗雑で応答性の悪い器官なのである。
そしてこの「行」の段階で、人間の心は目に映った幽霊の姿を消去してしまうのである。
太古の昔、人間は周囲に存在する祖霊の姿を見て、その声を聴くことが生存する上での必須であった。
そうすることで危険な生物や部族の襲撃をいち早く知り逃げることができるという利点があった。
今では集団の規模が大きくなり、霊が見えることは利点ではなく、むしろトラブルでしかなくなった。
見える人の多くはこんな鬱陶しい能力など無くなってしまえと思うほどに。
つまり見える人というのは自分を上手に騙すことができない単に不器用なだけの普通の人たちなのである。
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