二日前

 陽も傾き始めた頃。ぼくは、相馬から送られてきた場所にやってきていた。そこは、都内のどこにでもありそうな居酒屋であった。有象無象、と表現するのは、不躾であろうか?

 暖簾をくぐり、店内に入る。中は、貸切状態だった。入るや否や、店員が、

「大学の方でしょうか」と訊いてきた。ぼくは、それに頷いた。

 どうぞ、という店員の声に後押しされて、ぼくは店の奥へと足を進めた。店内は若者でごった返していた。右に目を向ければ、一人の学生がジョッキ一杯に注がれたビールを呷り、左を向けば、山盛りに盛られたフライドポテトに手を伸ばす学生がいる。店員が、ビールやら、烏龍茶やら、つまみやらを忙しなく運ぶ。ふと、端を見てみれば、仕切りのようなものが、所狭しと置かれていた。ああ、普段は半個室的な感じなのか、と思う。

 ぼくは、あたりを見まわした。どこかに座っているであろう相馬の姿を探す。

「おーい! 磐座いわくらぁ!」

 聞き慣れた声だ。声の主の方を向く。そこには、肌が小麦色に焼けた青年がいた。それ故に、彼の第一印象は、スポーティ、の一言に尽きる。ぼくとは真反対のタイプ。人を惹きつけるようなタイプだ。ぼくは、

「おう」と応える。

「ねぇ」相馬の隣に座る女性が、相馬に訊いた。「あれ誰?」

「俺の友達。磐座結ゆいち一」

 ぼくは、よろしく、としか返せなかった。

「へぇ」と、その女性が漏らす。「なんか冴えないね」

「おいおい」と相馬。「そんなこと言うなよ。これでも、あいつ、頭はいいんだぜ」

「なぁ」とぼくは口を挟む。そして、冗談めかして、「それって、国公立逃したぼくへの嫌がらせか?」

「そんなわけねぇだろ」相馬が笑いながら言った。「さ、そこ開いてるだろ? 座れよ」

 ぼくは相馬が示したところに座った。どうやら、このテーブルを囲む十数人は、入学した生徒の数の一割にも達していないように見えた。他のテーブルで食事をしているのか、それとも、来ていないのかな、と思う。ぼくだって、相馬の誘いがなければ、来ることはなかったであろうし、そもそもとして、新歓のパーティがあることすら知り得ることはなかったであろう。

 ぼくは、近くを通りかかった店員を呼び止めて、烏龍茶を注文した。店員は、かしこまりました、と言って、厨房の方へと姿を消した。

 その後に繰り広げられた会話の内容は、“ありきたり”の一言に尽きた。出身校はどこ? だの、どんな趣味? だの、一人暮らし? だの、恋人はいるの? だの。定番中の定番、と言ってような内容であった。

 しばらく経って、テーブル全体での雑談が終わり、隣やら、向かいの人やらの小さなグループで駄弁り始めていた。聞こえてくる会話に耳を傾けてみると、標準語とは違った訛りの日本語が、ちらほらと聞こえた。身内の誰か──何歳か年上のいとこだったかもしれない──が言っていた、「大学ってのは、人種のサラダボウルならぬ、訛りのサラダボウルだよ」という言葉を思い出した。

 ぼくの周りの人が、会話に花を咲かせる中、ぼくはというと、誰とも話せずにいた。烏龍茶のほろ苦い味が、いつもよりも沁みる。

 烏龍茶を飲み干した時、ふと、一人の女性が目に入った。彼女は小さなテーブルを一人で囲み、ビールを飲んでいた。つまみの枝豆が見えた。ぼくよりも年上であろう。確実に。そうであれば、このパーティの幹事の上級生のひとりかもしれない。ぼくは、見知らぬ大勢の中にいるよりも、見知らぬ一人に話しかけてみるほうが楽だ、と思い、席を立った。

「おい、磐座」相馬が声をかけてきた。振り返ってみると、彼の隣にいる女性が鬼の様な形相でこちらを睨んでいた。そんなことに気づくことはなく、相馬は続けた。「どこ行くんだよ?」

「少し、別のテーブルに行ってくるよ」

 OK 、と返した相馬を尻目にぼくは、一人寂しくビールを飲んでいる女性の方へと向かった。

「えと」思わず、そう漏らしてしまった。自分のことを情けない、と思いつつ、続ける。「あの、お一人、ですか……?」

 彼女がぼくの方を見た。透き通るような、綺麗な瞳だ。引き込まれそうだった。彼女は、うん、と応える。

「ご一緒しても、いいですか?」

「……」静寂。そして、「いいよ」

 ぼくは、ありがとうございます、と言いながら、彼女の向かい側に腰を下ろした。

 短めに切り揃えられた黒髪が、特徴的だった。垂れ目で、右目の下にある涙ぼくろが目を引いた。

「何か、頼んだら?」しばらく経って、彼女が言った。忘れてた。緊張故に、すっかり忘れていた。ぼくは、店員にまた烏龍茶を注文した。

「キミ、もしかして新入生?」

 ぼくは、はい、と頷く。

「そうなんだ」彼女は、ビールを少し飲んで、「いいよ、大学の生活は。自分を縛るものがなくて、悠々自適に日々を過ごせるしね」

 ぼくは、まったくです、相槌を打つ。その間に、注文していた烏龍茶が届いた。ビールと同じタイプのジョッキに注がれたそれを、ぼくは飲んだ。

「ねえ」彼女が言った。「キミは、なんでここを選んだの?」

「え」唐突に言われて、少し慌てる。考える。そして、答える。「えーと、法律について、学びたかったから、ですかね……」

「そうなんだ……じゃあ、法学部だ。私の後輩だね」

 そうなんですか、と思わず訊いてしまう。「じゃあ、逆に訊いてもいいですか?」

 彼女は、いいよ、と言った。

「その、先輩はどうして、法学部に入ったんですか?」

 彼女は、うーん、と唸ってから、「抜け穴を、探すためかな」

「抜け穴?」聞き返さずにはいられなかった。なんだか、きな臭くなったきた。「その、抜け穴って言うのは?」

「そうだねえ」と、言い、彼女は、「バイトでヘマした時に上手い感じにコトを切り抜けられるような方法のこと、かな」

 きな臭さが増した。やばい。間違いなく、やばい。

「それでさぁ」彼女がそう切り出した。「興味ない? 私のやってる“バイト”について。もし興味があったら、このアドレスに連絡入れて」

 そう言うと、彼女は一枚の紙を差し出してきた。手書きの文字で、メッセージアプリのアドレスが書き殴ってある。

 彼女の目に飲まれそうであった。NO 、とは、言えなかった。ぼくは、恐る恐る、その紙を受け取った。

「ありがとうね、後輩くん」彼女はそう言うと、初めて微笑んだ。「せっかくだから、名前、教えてあげる」

「は、はい」

「私の名前は、風越かぜこしれい。よろしくね」


 それから、パーティは徐々に勢いを失い、午後の十時を回った頃には、各々の帰路を辿っていた。

 結局、あれ以降、風越さんと話すことはなかった。

 何故に? と問われれば、怖かったから、と答えるだろう。


 アパートに到着して、昨日と同じように、夜食用に、と買ったコンビニの弁当をレンジで温めていた。その間に、ぼくは、恐る恐る、風越さんから貰ったアドレスに連絡してみた。メッセージを打つ手が、震えていた。

 メッセージを送ってから、数分後、ぼくが弁当を食べようとした時に、スマホに通知が届いた。風越さんからだ。

〈連絡ありがとう。明日の正午にここに来れる?〉と来た。その直後に、地図アプリのスクリーンショットが送られてきた。そこには、とあるバス停の場所が記されていた。ぼくが通うキャンパスからは、そう遠くはない。確か、三時間に一本バスが来る、ローカル線のものだったはずだ。

 人気のない場所。数時間前に彼女自身の口から語られた、抜け穴云々の話。ただでさえ、きな臭いのにも関わらず、少し前に話題になっていた闇バイトのニュースを想起し、風越さんとそれを結びつけるぼくの妄想が、それに拍車をかけた。

 ぼくは、〈はい。わかりました〉と送った。また、断ることができなかったのだ。

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