第二話 親友

「そんな彼女、私が直々に殺してあげるよ」


 私立由良ゆら高校の二年B組の教室。窓際の列、一番後ろの席に座っている親友の鍵井芽菜かぎいめなは先日の水族館デートの内容を話すと、慰めの言葉をかけることも適当な相槌を打つこともなく第一声に香恋ちゃんの殺害を仄めすような発言をしてきた。


 今は昼休みの時間。授業の抑圧から解放された生徒たちは雑談に花を咲かせ喧騒という波を作っており、その波は私たちのいる二年B組の教室にも広がっていた。至るところで繰り広げられる会話の内容は、特に注意を払わなくても自然に耳に入ってくる。最近行われたテストの話、昨日見た面白い動画の話、誰かの恋の話、私の彼女が殺されてしまうかもしれない話。うん、色々な話題があるね。


 「なんかいい武器とかないかなぁ?」と言ってスマホをいじりだした芽菜に倣って、私もスマホに視線を落とす。ロックを解き開かれたホーム画面上、LINEのアイコンの右上には赤い丸の中に『11』という数字が表示されている。そのアイコンを押すと最近届いたメッセージが上から順に一覧になって表示されていて、その中に企業メッセージに紛れて『かれん』という名前があった。いくつかのメッセージと最後に送られた『話がしたい』という文言が目につくけれど、トーク画面を開くこともせずそのまま電源を落とした。


 そういえば、この流れ全く同じなんだよなぁ。


 スマホを弄っている芽菜を眺めながら、私は過去に浮気をされた時の光景を思い出す。

 過去二回、私は知らない女の名前を聞いて浮気を知ることになった。浮気が発覚してから数日間、会話はおろか連絡を取り合うこともなく距離を置くようにして生活を送っていると、突然香恋ちゃんの方から『話がしたい』というメッセージが飛んでくるのだ。それで、仕方なく会話のテーブルに着いて話を重ねているうちに私が折れて縁を戻してハッピーエンド、の流れがルールで決まっているように行われる。今回も香恋ちゃんはそうして会話のきっかけを作って縁を戻したいのだろう。

 

 しかし、今回で三回目の浮気。私の中でも香恋ちゃんに対する様々な感情がぐちゃぐちゃになって処理できず、香恋ちゃんへの返信に躊躇いがあった。果たして、この関係は本当に両思いと言えるものなのだろうか……? と不安で仕方ない。


「もしかして、私って都合がいいだけなのかなぁ」


「ん? なんか言った?」


 しんみりとした心の声が漏れてしまい、芽菜の耳に届いてしまったようだった。不思議な物を見るような表情を浮かべる芽菜に「んん、なんでもない」と返すと、私の独り言に対して興味なんてなかった芽菜は「そっか」なんて適当な言葉を返しながらスマホで武器とやらをまた調べ始めるのだった。一体何を探してるんだろう?


 そんな疑問を持ったのも束の間、芽菜が不意に手を止めるとスマホから視線を上げ私の顔を見てきた。


 「……ねぇ、これとかどうよ?」


 面白いものを見つけた時のように含みのある声音でそう言うと、芽菜は持っていたスマホの画面をこちらに向ける。そこには通販サイトの商品が一覧となって映し出されていた。


「いやぁ、こういうので脅してみたらどんな顔するのかなぁ」


 脅してみる?


 何をする気なのかと画面の商品を注視する。そこに映っていたものを理解した時、私の脳内はハテナで埋め尽くされてしまった。一瞬、言葉に詰まる。


「……えっと、芽菜ちゃん? これは何?」


「え? 何ってハサミだよ? ……もしかして絆、……ハサミとか知らない?」


 芽菜は若干引き気味の視線を私に向けながら、憐れむような声音で「……そっか、私がもっと世間について教えてあげればよかったんだね」と一人で納得して、一人で反省会を開き始める。いや、私をなんだと思っているんだ。


「もちろんハサミは知ってるよ!」


「……じゃあ、なんで異国のものを初めて見たみたいなリアクションをするのさ?」


「私のサイズだったからだよ!」


 改めてスマホに映し出されたハサミを見てみる。そこには白と黒で塗り分けられた持ち手に万物を切り裂くことができるような鋭く光り輝く刃先をしたハサミがあった。ここまでの印象であれば何の変哲もないハサミだが、その横で笑顔を浮かべてハサミを手にしている女性とそのハサミが——同じサイズだった。説明文に記載されている大きさを表す数字が人間と同じサイズであることを証明している。一体何を切る目的で作られたものなのか、なんて考えは一旦置いておくとして!


「これで香恋ちゃんをどうする気!?」


 私が鬼気迫るような顔で言うと、芽菜は至って真面目なことを告げるように真顔で話し始めた。


「ほら、恋愛って運命の赤い糸で結ばれるっていうじゃん? だから、その糸を私が切ってあげようと思って。 絆と香恋ちゃんの愛の重みならこれぐらいのハサミが必要じゃない?」


「何言ってるかわからないけど、運命の赤い糸って物理的に切れるものじゃないでしょ!」


 もしこんなもので香恋ちゃんに襲い掛かったら、運命の赤い糸は切れなくても香恋ちゃんの生命活動を断ち切ってしまいかねない。心の中に生まれている香恋ちゃんへの負の感情には目を瞑って、今は彼女の立場として香恋ちゃんを守ることにした。


「えっと、ほら、もしそんなの買っても香恋ちゃんにバレたら逃げられちゃうだけだし、使い終わる……のかは知らないけど、もし使い終わったら邪魔になるだけだからさ? …………流石に冗談だよね?」


「うーん、ちょっとお値段が高いから悩むところだよねぇ……」


「いや、買わないって言ってよ! てか、悩むって言いながら少しずつ『今すぐ買う』のボタンに指を伸ばしていくのやめない!?」


「……まあ、絆がそういうなら」


 そう言うと「これ結構いいと思ったんだけどなぁ」と少し名残惜しいように画面を見つめながら、芽菜はスマホの電源を切ってポケットにしまった。アプリ自体を消していないから、スマホの電源をつけたらすぐ見れるじゃん、というツッコミはしないでおく。


 私は呆れるようなため息を吐く。

 けれど、内心では芽菜に感謝をしていた。

 物騒で生産性もないような無駄話だったけど、一瞬でも蟠りの種をネタとして昇華することができたことが、私の心を少しだけ軽くしてくれる。心の中では雲間から差し込む陽光によって、平穏が満ちていくようだった。

 

 けれど、嵐はすぐにやってくる。

 

 「初鹿野さんっている?」

 

 と私の名前を呼ぶ声がした。声の方向に顔を向けるとクラスメイトが教室の入り口に立っていて、私の存在に気が付くと「あ、いたよっ」と同じく入り口に立っていた人物に無邪気な声で伝えるのが聞こえてきた。


 誰だろう? なんて考える暇もなかった。


 私が疑問を浮かべるより先に、その人物が迷いなく教室に入ってくる。教室の中から「えっ?」「なんで私たちのクラスに?」と疑問をあらわにした言葉が上がる。しかし、その声音は予期していなかったラッキーイベントに遭遇した時のような喜びに満ちたものだった。


 その人物が私のすぐ傍で足を止める。そして、


「えっと、鹿、……少しいい?」


 気まずそうな表情を浮かべては私の名字を呼ぶのだった。


 

 


 

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(百合)オール・フォー・ミー 灯油一 @toyu_hajime

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