(百合)オール・フォー・ミー
灯油一
第一話 浮気をされたら許せるか?
浮気をされたら許せるか?
この質問に「許せない」と答える人もいるだろうし、「バレないようにしてくれさえすれば許せる」「ある一定の範囲までだったら許せる」と答える人もいると思う。だから、この話に正解も不正解もないのもしれない。でも、もしこの答えに甲乙をつけるとするならば世の中に『浮気をすること=悪いこと』という価値観が出来上がっている時点で、大多数の人間が浮気をされたら許せないというのが正解になるのだろうか。
ちなみに、私はこの質問に答えを出すとしたら許せない。
だから詰問する。
日曜日の昼頃。水族館内で営業しているフードコートのテーブルで、私——
私は一度、深呼吸をすると問いかけるように少女の名前を呼んだ。
「香恋ちゃん?」
そう声をかけると、香恋と呼んだ少女——
私は一つ大きなため息をつくと、香恋ちゃんを見据えてから口を開いた。
「確認だけど、私達って恋人だよね?」
「……はい、恋人です」
そう、私達は恋人なのである。三ヶ月前から。
今日はこの水族館にデートに来ていたのだ。最初はムードも良くて楽しかったけれど、ペンギンコーナーで香恋ちゃんが「ペンギンの夫婦って本当に仲がいいんだって、(誰かの名前)は知って——」まで言ったところで香恋ちゃんが言葉に詰まったのを聞き逃さなかった。私が「(誰かの名前)って?」と聞くと、香恋ちゃんの表情からみるみると血の気が引いていくが分かった。
場の空気が凍る。
何かの間違いかもしれない、と「(誰かの名前)って誰のこと?」と聞くと香恋ちゃんが「……えっと、あの……」としどろもどろになった瞬間、何かがパリパリと割れる音がした。
それから、「少しお話しよっか?」と香恋ちゃんに提案し場所を移して今に至る。
「香恋ちゃんは私のこと好き?」
「!! それはもちろん! 絆ちゃんのことは好きだよ!」
香恋ちゃんは熱の籠った声で私の名前と共に好きだと言ってくれる。
「ありがとう、私も香恋ちゃんのことは好きだよ? でもさ、私約束したよね? 浮気はしない、お互いの見えないところでもしないって」
「……しました」
「——これで何回目?」
「……三回目です」
「そう、三回目なんだよ!」
「『仏の顔も三度まで』って言葉知ってる!?」と続けて、ヒートアップした熱を冷ますように机の上にあったアイスティーを口に入れる。鬼の形相になってしまうのも無理はない。だって、仏様でも怒ってしまう回数をやってしまったんだから。
私はコップを机に置くと、香恋ちゃんに視線を戻した。
「そもそも、一回目と二回目の時なんて言ったか覚えてる?」
「……『金輪際、絆ちゃんが失望するようなことはしません』です」
「そうだよね、でももうその言葉二回も裏切られたんだよ! ていうか、三ヶ月で三回も浮気されると私に魅力ないのかな? って思ってきちゃうし!」
「いや、絆ちゃん以上に魅力のある人はいないと思ってる!」
「じゃあ、何で浮気するの?」
「……ごめんなさい」
再びアイスティーを手に取ると、今度は勢いよく中身を煽った。冷たい液体が『頭を冷やしなさい』と言ってくれたように、熱を持った体内が冷やされ冷静さを取り戻すことができた。香恋ちゃんに視線を向けると肩を落としてしゅんとした表情を浮かべていた。まるで、イタズラを咎められた子供みたいに項垂れている。
反省の色を見せたところで簡単に許せるはずもない。
最初に彼女を見た時はこんな人だと思わなかったんだけどな。
私は一人昔のことを思い出す。初めて彼女に会った時、疑いようのない一目惚れをしたことを覚えている。心の中で『この人は絶対に私のものにする』なんて決意を固めた日を懐かしく思った。色褪せない記憶の中の彼女は私を——。
過去に耽りそうになったのも束の間、「分かった」と意を決したような言葉が聞こえた。意識を香恋ちゃんに向けると、彼女の視線と私の視線が交差した。そこには濃紺の瞳。普段のように透き通り凪いだ海を連想させていたその瞳はそこにはない。濁り、水飛沫をあげながら大きくうねっている荒波を連想させるような虚ろな瞳がそこにはあった。
私はそんな瞳に圧倒されながらも、なんとか彼女の言葉に返答を返す。
「……何が分かったの?」
尋ねると、香恋ちゃんは一度深く息を吸ってからこう口にした。
「証明しようと思うの——私が、初鹿野絆を心から愛しているということを」
香恋ちゃんは席を立つと、迷いなく私の横まで来た。
「……?」
私が訝しむような視線を向けると、香恋ちゃんは腰を曲げて息のかかる距離まで顔を近づけてきた。
そして、何の迷いもなく口付けをしてきたのだ。柔らかい感触が唇を満たす。
「!!!!!!!!!!!!!!」
え? キスされた? さっきまで浮気話してたよね? え? 今?
驚きと動揺で二の句を告げずにいると、香恋ちゃんは「……どうだった?」と聞いてくる。その顔は少しばかり赤くなっているようだった。
「どうって……えっと……」
困惑しながら空回りを続ける脳内で言葉を見つけ出そうと試みるが一向に言葉が出てこない。
「今回のことは本当にごめん。でも、今のキス以上に絆ちゃんを好きだってこと証明してみせる。だからさ——」
そこまで言って彼女は微笑みを浮かべた。自然に孤を描く口許に反して、その瞳は苦渋の色に染まっていた。
「——もう少しだけ、他の子との関係を持たせてほしい」
他の子と関係を持つことで香恋ちゃんに何のメリットがあるのかはわからない。さらに言えば、その選択を通して私への気持ちを証明できるとも思えない。
私は胸中で渦巻いていた感情の一つ一つをまとめ上げるとたった一言、けれど彼女を傷つけるには十分な言葉を吐き捨てた。
「最っ低」
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