5 佐藤 大郎 ④
「佐藤さん、旅行ですか?」
「どいてください」
「勝手なことをされては困ります」
「私はやめません」
「あなたの元奥さんですが、今はうちの店で働いていますよ」
男はタバコに火を点ける。
「私も一度相手をしてもらいましたが、なかなかの床上手ですね。どの嬢よりも感度が良くて、気持ちよさそうによがってましたよ。あなたが初めての男性だったのでしょう? いやはや、うらやましい」
動悸がする。
「私にはもう関係ありません」
「あなたが風俗嬢と浮気したのがよほどショックだったのでしょうね。自分から進んで体を売りたいって申し出たんです」
「もう、彼女とは離婚しました」
「そういえば、娘さんがいましたね」
全身の血管が拡張する。やけに周りが静かになる。車と男が自分から遠ざかって行ったように感じる。それでいて、男の話し声はクリアに聞こえてきた。
「母親があれだけの名器だ、きっと娘もそちらの才能に恵まれていることでしょう……今からでも働けるくらいに」
私は、何をすればいいですか。
「分かっていただければいいんです。自死なんて馬鹿なことは考えないほうがいい」
逃げたりしません。だから、娘だけは。
「ええ、あなたが言うことさえ聞けば、娘さんの身の安全は保障します」
何でもします。だから、家族だけは!
「ええ、そうですね。とは言え、あなたの後任は決まっています。どう見てもあなたは限界でしたからね。ですが、あなたの仕事ぶりは評価していますし、家族を人質に取る限り、信頼に値します。なので――――」
その時、不意に視界が暗闇に閉ざされる。手足の自由を奪われて、複数人の男たちにすぐさま車に押し込まれる。
その時、手に握りしめていた名刺を落としてしまう。
ああ、「佐藤太郎」みたいな、ありふれた日常を送りたかった。それなのに。
失われた平凡は、二度と戻らない。
白スーツの男の声が聞こえる。
「――――あなたには、デスゲームをしてもらいます」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます