死線を超えて

 サムライブレードと黒き槍。その二者が衝突する度に大気は震え、空間に紫電走る。もう周りには誰もいなかった。その天災ともいえる熾烈な力の衝突に、皆が巻き込まれないよう避難したのだ。

 幾度繰り返される渾身の一撃の衝突。そのエネルギーについに空間は耐えきれず剥がれ落ちる。

 生まれるは亜空間。虚無なる空間。世界が二人の存在を否定した。荒れ狂う力の濁流が許されなかった。だが二人の戦いは止まることを知らない。空間が断裂しようとも、その力緩めることないのだ。


 「次元断裂……!亜空間……!だというのに平気で耐え抜くか幽斎!」


 その次元断裂空間はあらゆるものを塵とする完全な虚無。しかしエムナと幽斎、二人の圧倒的個人はその空間の法則すら捻じ曲げる。


 恐ろしい気迫に幽斎はかつての戦場を思い馳せる。凄まじい男だ。これほどの英傑はいなかった。かつて鬼神と畏れられた自分の一撃を全て捌き切り、あわゆくば自身を殺す一撃を放つ。肉体的強度、生命としての次元が違う。この男の一撃は、例え一撃でもまともに喰らえば、飴細工のように容易く砕かれだろう。


 そう、余裕がないのは幽斎も同じ。お互いの疲弊が頂点に達したとき、僅かな隙が絶命へと繋がる。しかしそれは意外にも早く出始める。

 幽斎が汗をかき始めている。息を切らしている。冴えわたる動きは尚も健在。だが明らかにその表情、空気が不穏さをまとっているのだ。理由はまず武器の差にある。槍と剣。リーチの差は明白。

 その分、幽斎は踏み込まなくてはならない。それが少しずつ体力を削る。


 「幽斎ッッ!」


 エムナは吠えた。機会は逃さない。二度とこないかもしれない達人の僅かな隙。そこに向けて全力を、一度たりとて見せなかった必滅の一撃を放つ。

 槍を掴む手に力を込める。空間に歪を作り出し、超重力圏が発生した。周囲に無数の漆黒の亀裂が走る。亀裂は誘われるかのようにエムナの持つ槍へと吸い込まれていく。


 「来たれ!世界よ!天啓よ!いまここに一つとなりて、我が言の葉を聞け!そして応えよ!彼方より届く頂の果てに、天地剥つ創生のソフォ・シェル螺旋郷・バベル!」


 幽斎は見た。その規格外の存在を。黒き槍はエムナの圧倒的膂力が生み出したブラックホールにより吸い込まれていく漆黒の輝線を吸い込んでいく。

 それはエムナが持つ最後の技にして最強の技。今までのように言葉の力を乗せて放つ小手先ではない。自身の武装に力込めて放たれる全身全霊の一撃。黒き槍は高速で変形し、次空穿つ魔砲となる。


 その一撃は神智を越えた究極の一。

 本来ならば人間一人に放つ技ではない。それは世界を変えた一撃。世界、文明そのものを滅ぼし、なおも荒れ狂う神の天啓。あらゆる生命体を否定する終末装置であり、必滅技である。そしてエムナの持つ罪そのものでもあるのだ。


 幽斎はその技の特性を一目で理解した。よもやこのような絶大なる秘密兵器を抱えていたとは。瞼を閉じる。もはや絶命の一撃は直前。それは敗北の受け入れか───。


 ───それは急な話であった。関ヶ原の死者。その報を細川の小間使いが耳に入れてきたのだ。しかし自分は最早老齢。戦場を離れた身。今更なんの話があるのだと不機嫌そうに耳を傾ける。しかしその言葉を聞いて、茶碗を落とす。陶器の割れる音が響いた。


 「死んだ……?シュウが?」


 弟子の死を師匠に伝えるのは当然のこと。関ヶ原で何千、何万のブシドーを相手にし戦死したと言う。小間使いは足元に散らばった茶碗の破片を集め始める。

 サムライブレードを抜いた。


 「失せろ、斬るぞ」


 明確な殺意。小間使いは震え上がり逃げるように何度も頭を下げて立ち去っていった。

 病弱な弟子だった。本来ならば戦場に立つこともなかっただろうに。自分がなまじ鍛え上げたが為に、千刃の者たちに持ち上げられたか。

 こんなことならば、一生自分の手元に置くべきだった。籠の中の鳥のように。


 いや、それは違う。違うのだ。今でも鮮明に思い出すのはシュウが千刃の家に戻った時の笑顔である。

 才無き者が報われたのだ、もしも自分が囚えてしまえば、報われることなど永遠になかった。ではこの胸に響く心のざわめきは何だというのだ。頭では分かっているというのに、理解の出来ぬ感情。不可解な不快感。苛立ち。


 その日から、幽斎は人が変わったかのように、否、昔のように、昔以上にブシドーの鍛錬に没頭した。年を重ね続け、齢も過ぎ、皆に見守られ静かに老衰を迎える時も、ずっとそれが気がかりであった。周りで細川ゆかりの者たちが幽斎に近づく死を嘆き悼んでいる。


 だがその中にシュウはいない。当然だ。もうこの世にはいないのだから。

 誰もいなくなった深夜。鈴虫の鳴き声だけが聞こえる。畳の上に敷かれた布団の上で横になりながら、開けた襖越しに夜空を見ていた。綺麗な満月だった。夜空の煌めきはいつも変わることはない。どんな時であろうと、変わらぬ姿を見せる。


 ふと昔のことが脳裏に浮かんだ。まだ二人で修行をしていたころ。こうして夜空を眺めていた。幼き宗十郎には星見などすぐに飽きる詰まらぬものだったかもしれぬが、修行で疲れ果てた身体を癒やしながら、意味もなく眺めていたものだった。

 変わったのは……自分の隣には誰もいないことだ。生きてさえいれば、同じ星空の下、例え傍にいなくとも、その心通じていただろうが、それも最早叶わない。


 ───鈴虫の鳴き声だけが、静かな夜を占めていた。


 「馬鹿弟子が、師の儂よりも先に逝くなど、決して許さぬぞ」


 理不尽な感情の吐露。人知れず枕が湿る。誰にも見せたくはなかった。

 そして気が付いた時、見知らぬ大陸で目を覚ます。周りにいた人々は消えていた。これは話に聞く彼岸か?あるいは根の国か?どうでも良かった。大切なものも守れなかったこの剣に最早価値などない。そう思っていた───。


 超爆発。剥がれた世界は砕かれ世界は崩壊する。そして世界は裏返る。裏の裏。即ち亜空間に呑み込まれた二人は戻ったのだ。エムナは緊張の糸が解けたかのように膝をつく。息切れが凄まじい。

 心臓の鼓動が早い。汗が噴き出る。とてつもない相手だった。あれは人の姿をした怪物だ。あれもまた人の可能性、行き着く可能性の一つだと言うのならば……。


 勝因は切り札を最後まで隠していたことだった。全てをさらけ出した上での正々堂々の勝負ならばどちらが勝っていたか分からない。そのくらいのギリギリな戦いだったのだ。

 そう、勝因は切り札を最後まで隠していた方なのだ。


 「がっ……ごはっ……ゆう……さいぃぃ……!」


 血反吐を吐く。胸に見えるのはサムライブレード。突き刺されたの五臓六腑。それだけではない。ブシドーが流し込まれている。介錯エンチャントを込められた絶命の太刀筋である。

 サムライブレードは引き抜かれる。そしてエムナは地面に倒れた。だがまだ息はある。


 「絶大なる力は時に身を滅ぼす。技の出し時を見誤ったな、黒き者よ」


 かつて鬼神と呼ばれた幽斎であったが、加齢には勝てなかった。故に戦場からは身を引き、以降は文化人として名を馳せようとした。故に、愛弟子の危機に駆けつけることもできず、間抜けにも小間使いから、ようやく愛弟子の死を知ることになったのだ。

 自身の肉体が劣化していき、技が衰えていく。あるものは言った。細川幽斎は最早ブシドーではない。歌人、文化人として、その名が残り続けるだろう、と。

 耐え難い暴言だった。無論、自分は詩を愛そう、舞を愛そう。だが、だが護るべきものを護れずして何がブシドーか。


 故に追求した。劣化する肉体でも、死ぬまで一線級のブシドーとして立てる技を。それが、愛弟子への、宗十郎への罪滅ぼしだと、妄執のように、ただひたすらに打ち込んだのだ。

 魂を焦がすほどの後悔と執念。その心の強さが、エムナとの決着の明暗をつけたのだ。

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