稀代の剣聖

 ───なんだこれは。


 エムナは唖然としていた。理解しがたい出来事、現象が起きている。意味不明だった。目の前の女は矮小な存在であった筈だった。

 だというのに……なんだあれは。

 刃交えずとも分かる。あれは規格外。だが問題はそこではない。今の今まで、このような存在を認知していなかったということだ。

 この世界の人間のことは把握していたつもりだった。しかし……細川幽斎と名乗った女は初めて見聞きする。異郷者でもないこの女がなぜ、このような力を身に着けている女が、今の今まで表舞台に出てこなかったのだ。

 心底エムナは疑問だった。何か自分の知らないことが起きている、と───。


 幽斎はサムライブレードを構えそして高く掲げる。その姿、所作全てがまるで芸術品のようで、見るもの皆が息をすることすら忘れた。


 「見るが良い、そして聞け!これぞブシドーアトモスフィーア!!」


 サムライブレードを通じて幽斎のブシドーが響き渡る!ブシドーが街中を覆う!


 「……!俺は……俺たちは何をしているんだ!?だ、大丈夫か!?」

 「ああ、なんてことを……早く治療してくれ!仲間が!傷ついている!」


 幽斎のブシドーを浴びて、亜人連合軍は次々と正気を取り戻していった。エムナは何が起きているのかまるで理解できない。そして、幽斎のブシドーはそれだけに留まらない!


 「な、なんだあの巨大なものは!なんであんなものがあるんだ!?」

 「お、おい何か辺りがおかしいぞ!ま、街がボロボロだ!何が起きたんだ!」


 その強力なブシドーは中央庁から発した謎の光により意識が混濁していたオルヴェリンの人々を正気へと戻した。対峙する巨大兵器ヤグドール、オルヴェリンの惨状。ようやく夢から覚めた人々は、現実を知り騒ぎ出す。


 「宗十郎!これはどういうことだ……!?暖かな力が来たかと思えば突然皆がまるで夢から覚めたかのように……!」


 カーチェは混乱していた。巨大兵器の出現だけでも驚きだというのに、その後起きた思いもよらぬ出来事に、困惑隠しきれない。


 「師匠だ……このブシドーは師匠だ!今、師匠は本気で戦っていらっしゃる!何ということか、この目でその凛々しき姿、脳裏に焼き付けたかった……!」

 「ユウさんが!?いや、宗十郎の師匠なのは知っていたが、ここまで強い力を……」

 「当然だ!師匠が本気になれば俺など足元にも及ばない!師匠は最強なのだ!そして見ろ!あれが中央庁なのだろう、我らが為すべきはあそこの制圧!」


 そのとおりだ。あとは敵の本拠地を抑えるだけ。二人は駆け込む!中央庁の内部へと!


 中央庁の内部はガラガラだった。そしてボロボロだ!当然である。今しがたオルヴェリンに立つ巨大兵器。エムナが神と呼んだヤグドール。その根本こそがこの中央庁なのだ。今も振動で瓦礫が崩れ、非常に危険である。


 「宗十郎……私についてきてくれ、崩れかけてはいるが道は……」

 「カーチェ!」


 宗十郎は叫ぶ。突如現れた悪意。カーチェを庇うように突き飛ばす。それは無数の青白い輝きを放つ触手だった。それが地面から突如として現れたのだ!


 「失せよ!この程度でブシドーが倒せると思うな!」


 触手などものともせず、反射的にサムライブレードで全て切断する。するが……


 「これは……!?」


 触手は地下から伸びていた。地下の壁を突き破り地上に出てきたのだ。そして見えるは無数に蠢く触手たち。まるでスパゲッティーの具になった気分だった。


 「先に行けカーチェ!そして気をつけろ!このような怪物がまだいるかもしれぬぞ!!」


 落下しながら宗十郎は叫ぶ。カーチェを心配させないために。


 「分かった!だが無理はするなよ!私もここを制圧したらその怪物の駆除に向かう!」


 青白い触手。カーチェは見たことがなかった。最早ここは自分の知る場所ではない。宗十郎の警告を胸に刻み、奥へ奥へと足を進めたのだった。


 ───場面は戻り、エムナと幽斎。

 対峙する二人。エムナはただ驚愕している。ありえないことだった。


 ───この女の訳のわからぬ力が自分の力を打ち消した。それだけではない。オルヴェリンの人々に施された光の支配を解除したのだ。


 「……幽斎といったか。貴様、魔術師の類か?」

 「いいや、ブシドーだ。先程伝えたであろう」


 何を言っているのだ。

 エムナは困惑を隠せなかった。

 ブシドーとは、異郷者宗十郎の世界に存在する戦闘集団及び、戦闘技術のことを指すのではないのか。なぜ異郷者でもないこの女がブシドーを騙る必要がある?

 この女は何者だ。

 細川幽斎、ブシドー。この女は何かが違う。自分の知る存在ではない。何かその存在、生まれ、成り立ちが違う、異なる存在。故にイレギュラー。


 エムナは構える。

 慢心は一つもない。その頑強なる肉体を更に強張らせる。人智を超えた天性の肉体。

 幽斎も構える。サムライブレードを腰に、柄を掴み、鞘を支え敵を見据える。

 風が吹く。その時だった。エムナの皮膚が突如切断される。血が吹き出す無数の切断痕。


 「む、予想より固い。剛剣でなければ斬れぬか」


 振り向くとそこには幽斎が立っていた。目の前にいた幽斎は残像。強すぎるブシドーが、その空間に残り続け、存在感を残したのだ。幽斎の規格外なブシドーが為せる現象である。


 ───見えなかった。


 エムナは愕然とする。自身が斬られたことに気が付かず、間抜けに棒立ちしていた。音すら聞こえなかった。致命傷とはならぬ浅い一撃だが、それはエムナの誇りを著しく傷つけたのだ。

 難剣、音無しの剣。先程、幽斎の放った一閃はその類の絶剣である。究極に脱力した一閃は音を置き去りにし、対象を斬り裂く。斬られたものは、その鮮やかな斬り筋に、斬られたことすら自覚無いのだ。

 本来ならば幽斎ほどの実力者が放つ一閃はあらゆるものを両断する必殺剣であった。しかし此度は違う。敵はエムナ。

 その肉体は、並のブシドーを遥かに凌駕している。故に構えを変える。難剣で仕留められるほど甘い相手ではない。


 ───ならば剛剣、ただまっすぐに斬り伏せる。


 幽斎は構えを変える。必殺の構えに。エムナもそれに応えるように構え、そして唱えた。


 「ネフィラ」


 その言葉と同時に幽斎を中心に地盤が陥没した。

 エムナの言葉には力がある。エムナの話す言葉は全てが真実となり、事象として起きる。それがエムナの力であり、エムナの理。その言葉の力は、彼の源流に近い言語ほど強くなる。発生したのは超重力。

 本来ならば一瞬にしてミンチになってもおかしくないその圧力を幽斎は耐え抜いた。だが……それも時間の問題だとエムナは確信していた。


 「小手先だな」


 剣閃。

 サムライブレードが空間を断ち切る。何をしているのか意味が分からない。だがすぐに答えは出た。幽斎を襲う超重力が消えたのだ。


 「……何をした?」

 「超重力が生じていた故に、その概念ごと斬った。ブシドーならばできることだ」


 この女は何を言っているんだ。概念を斬る?意味がわからない。概念とは斬れるものか?


 「サアラ」


 暴風が巻き起きた。それはオルヴェリンを呑み込まんばかりの大暴風。それが圧縮され都市建造物を破壊する!凄まじい気圧、まるで天然の削岩機のようであった!

 そしてその暴風は生き物のように幽斎へと向かっていった。四方八方、死角は一切なし。避けることなど出来ない絶命必至の一撃である。巻き上がる塵芥。迫りくる竜巻。

 だがブシドーにはそのようなものはそよ風にすぎない。幽斎は避けることすらせず、その暴風全てを斬る。一刀両断であった。

 絶たれた風は凪となりて、静寂だけが空間に残るのだ。


 「コル・ラアム・エロヒム」


 断ち切った風、土煙が晴れた時、幽斎は見た。エムナの前方に収束する超高圧エネルギー体を。なるほどこれが本命、今のは目眩ましということだ。

 その一撃は鳴神の如し。雷纏う粒子砲。純粋な出力はドール砲にも比肩する。

 迎え討つは幽斎。ただその砲撃を見据え、静かに構える。ただ静かに、だがそれでいて。


 ───両断。


 エムナの渾身の一撃は両断され霧散した。


 「茶番はよせ黒き者よ。この幽斎、遊びに付き合うほど甘くはない」


 幽斎は見抜いていた。エムナが手を抜いていることに。否、その本質をまだ見せていないことに。


 「……俺は最初、宗十郎こそが最も警戒に値する者だと思っていた。ブシドーという不可解な理を有する異郷者。だが違った。真なる敵は、貴様だった。細川幽斎」


 空間に幾何学的な黒き紋様が走る。紋様は収束していき、一つの形となる。それは槍か棒か杖か、あまりにも昏く漆黒で、刃すら見えぬ得物であった。エムナはそれを掴む。


 「ハァッ!」


 地面を叩きつける。衝撃で岩盤が裏返りひっくり返る!そして力を絞り込む。狙いは当然幽斎。黒き槍を持って幽斎に叩き込む。

 その一撃はあらゆる害悪を粉砕した必滅の一撃。耐えられたものは歴史上いない。

 だが……手応えはない。


 「ふ、今までで一番の一撃だぞ。それが、それがお主の本当の戦い方ということか」


 当然の如く幽斎はその一撃を受け止めていた。


 「認めよう。貴様は打倒すべき敵だ。今、ここに全力をもって倒そう」


 幽斎の一閃全てが一撃は死に至る、自身を殺す一撃なのだ。一閃、一閃が空間を斬り裂く。かような剣閃は見たことがない。殺意の塊。しかしながらその動きは鮮やか。

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