異郷者ノイマン

 ───憂鬱な日だった。

 物憂げにため息をつく女性の名はアリス。オルヴェリン中央庁に務めが決まったときは田舎の両親に真っ先に報告して、友達にもたくさん祝ってもらえて最高の瞬間だった。

 仕事は大変だったけれども、この街の中心で働くというのが誇らしく、いつも帰省しては両親が自慢の娘だと自慢していて、照れ恥ずかしかったけど嬉しかった。

 なのに、今は最悪の気分だ。オルヴェリン中央庁はカーチェの放送を聞いて大混乱だった。


 ここにいるのは皆、非戦闘員。滑稽なものだった。彼らが騒ごうが結局は現場の人間が振り回されるだけ。当然、その混乱はノイマンにも飛び火する。


 「ノイマン!ノイマンはいるか!」


 男が乱暴に扉を開けた。彼の名はビル。粗暴な男だった。ノイマンはいつも研究室にいる。発明を毎日のように続けていた。


 「どうした?マナーがなっていないぞ?これだから原始人は……」


 机の上でペンを走らせていたノイマンは突然の来訪者に振り向く。先ほど、宗十郎たちにやられたことなどまるで気にも止めていない様子だった。


 「お前も外に出て戦え!異郷者なんだろう!皆、外に出ている!お前だけだここでぬくぬくとしているのは!何様のつもりだ!戦うのが異郷者だろうが!」


 ───何を言っているのだこの莫迦者は。


 ノイマンはつくづく思った。顔を真っ赤にして下品にツバを飛ばし叫ぶ男。まったく、そんな態度をとれば人が言う事を聞くと思っているのならば度し難い、と。


 「戦いなら今もしているだろう?私の発明品を持って今も騎士たちは戦っている。これが学者の、お国のために戦うやり方だ。満足いただけたかね?」


 パァン!


 銃声がした。ビルが手に持っているのは拳銃。当然ノイマンの発明品である。銃弾はノイマンの肩に命中し、苦悶の表情を浮かべ彼は肩を抑える。


 「おやおや天才様もそんな表情ができるんですか?こんな玩具じゃなぁ、異郷者は殺せないんだよ!何が天才だボンクラが!お前はただの傲慢で口のでかいだけの無能野郎だよ!」


 肩からの出血。ノイマンは自身の体力低下を分析、出血量から動脈がやられたことを確信した。このままだとチアノーゼを引き起こし寒気と渇き、そして失血死するのは明白。

 何よりもノイマンは自分を無能扱いするビルを理解できなかった。愚者は度し難いと感じた。


 「しかしビルさん、こいつ異郷者の中でも戦えないタイプってのは本当なんですね。こんな簡単に銃とやらでダメージが深刻そうですよ」


 取り巻きの一人がノイマンを指差しながら嘲笑う。


 「あ?なんだそりゃ?」

 「異郷者って戦闘型と文化型ってのに分かれるみたいで、こいつは典型的な文化型ってことですよ。何でか五代表様は文化型を重宝してましたけどこんな無能がねぇ……」


 異世界からの未知の叡智をもたらす存在。それが文化型である。ノイマンはその中でも極めて高度な異郷者であり、街の発展に尽力していた。五代表が彼を評価し、それが今に至る文化型への重宝に繋がる。


 「戦えない役立たずってことかよ……つかえねぇ……。」


 だが彼らの認識は違った。目の前でわかりやすい成果を出さない者以外は無能であると、短絡的に評価しているのだ。


 「お、そうだ!おいノイマン、戦えないならよぉ、あの兵器……あいつのエネルギーになってくれよ!知ってるぜ?人の生命力をエネルギーにする装置!使えないお前でも少しは役に立つだろ!」

 「それは名案だビルさん!こいつの生命力を使えば稼働できるはずだ!そうと決まれば話は早い!こいつを……いやこの燃料を早くくべてしまいましょう!」


 どっ!と研究室に駆け込んだ連中が笑い出す。そしてその提案が波及していく。

 そうだ、ノイマンは責任を負うべきだ、ノイマンを燃料にすれば良いんだ……と既にノイマンへの私刑は確定事項のようだった。


 「よぉし、民主主義的に考えて、お前燃料決定だな!大人しくしろよ?」


 下卑た笑いを浮かべてビルはノイマンに近寄り手を伸ばす。


 「風よ、切り裂け」


 ノイマンに伸ばされた手は届くことなく、地面に落ちる。切り離された。遅れて出血。唖然とし何が起きたのか理解できなかったビルだったが、痛みがやってきてようやく理解する。


 「あっツ!あぁぁぁぁ!な、なんだ!?俺の腕がぁぁぁぁ!!」

 「今のは風魔法!?誰だ、誰かいるのか魔法使いが!?詠唱の気配すらなかったぞ!」


 ビルの腕を斬り裂いた風魔法は、空気を濃縮しかまいたちを形成して吹き飛ばす風の上級魔法。恐るべきはその斬り筋。骨ごと真っ二つに見事に斬り裂いている。これほど高密度に、高熟練に放たれた魔法は見たことがない。


 「癒やせ、水の精霊よ」


 ノイマンは自分の肩に手を当てる。するとみるみる内に肩の傷は塞がり血は止まる。


 「うむ、調子は上々」


 様子を確かめるように肩をぐるぐる回している。痛々しい傷跡など最初からなかったかのようだった。


 「お、お前がやったのかノイマン!先程の高練度の魔法も!!」

 「え?私、なにかやっちゃいました?」

 「ふざけてるのか!お前が魔法を使えるなんて聞いていない!」


 ノイマンは学者である。しかし今、目の前で見せたノイマンの魔法は大魔法使いに匹敵する練度。彼らの困惑は計り知れない。


 「いや、魔法は研究していると言わなかったか?その時に覚えた」

 「覚えたって……!」


 ノイマンは天才である。

 これがまず第一前提条件としてある。ノイマンがいた世界では魔法などオカルト以外の何者でもない、そこには科学的根拠もない、妄想だった。

 しかしこの世界では違う。魔法は実在し体系化しているのだ。ならばノイマンは学んだのだ。この世界の魔法の仕組みを。実在しているのならば必ず解き明かせる。

 ノイマンはこの世界の魔法を一つの学問として捉えた。


 「魔法学は興味深いが、つまるところ物理現象の具現化にすぎないということだ」


 故に彼は研究した。そして理解したのだ。魔法の真理を。


 「今放ったのは無詠唱での風の上級魔法!魔術家系のエリートが何十年もかけて……」


 皆はノイマンがこともなげにした行為がどれだけ困難で、偉大なことかを説明する。しかしノイマン自身はまるで自覚がなかった。彼にとっては基準が違うのだ。凡人が100努力して到達する問題も、彼にとっては努力すら必要ない。


 ふと自分を見る目が明らかに変わっていることにノイマンは気づいた。今まで見下したような目をしていた連中が酷く怯えている。


 「ふむ……なるほど?安心したまえ、天才は一々過去のことは気にしない。というよりあれだ、お前たちは動物園の猿が無礼な態度をとってきたからといって、本気で怒る口か?」


 笑いながらノイマンは答える。皆がそれに合わせて引きつりながら笑った。


 「そして私は心も広い。愚者の意見だろうと耳を傾ける。先程の意見、極めて合理的だ。無論天才の私も考えていた。理論だけはな?だが倫理観というのは大事だ。人の生命を犠牲にするなど非人道的……そんなものは許されない……だが」


 失った腕を抱えてうずくまるビルの前にノイマンは立つ。


 「他ならぬ本人がそれに賛同しているのだ」


 そのとき、ビルはノイマンの意図を理解した。


 「ひっ……!た、助けて!」


 逃げようとするビルの足が切断。だが出血はない。ノイマンの無詠唱回復魔法で瞬時に止血されたのだ。ビルはわけも分からず手を伸ばすが、最早腕一本では満足に動けなかった。


 「あぁそれと補足だがな?人間一人の命ではアレを動かすのは無理だ。だが幸いにもここにはこの男の意見に賛同してくれたものがたくさんいる。科学者としてはとても嬉しいぞ!こんなに科学のために命を犠牲にしても構わないというものがいるだなんて!」


 一瞬なにを言っているのか全員が理解できなかった。しかし分かった。分かってしまった。この男はここにいるもの全員を皆殺しにして機械の燃料にする気だ!

 悲鳴があがる。阿鼻叫喚。虐殺だった。その様子を一番後ろでアリスは見ていた。腰が抜けたようで床にぺたんと崩れている。目は恐怖に満ちて、震えが止まらない様子だった。ノイマンと目が合う。ビクンと肩を震わせる。一瞬にして震えは収まった。人は恐怖の臨界点を迎えると身体の震えすらなくなることを彼女は知った。

 

「な、なんでもしますから!お、お願いします!た、助けてください!!わ、わたし知らないんです無理やり連れてこられて!おかあさんにもプレゼント買わないとあぁ収穫もあるんですいや、これは違くてそのと、とにかくなんでも……!」


 恐ろしい異郷者を前にアリスはただ命乞いをするしかなかった。無様に頭を床にこすりつけ、ただただ許しを乞う。


 「ん?今、何でもすると言ったな?」


 その言葉にノイマンは反応する。アリスの目に一筋の光明が入る。


 「ひゃ、ひゃい……ど、どうかたすけてくださいぃぃぃ!」

 「それは良かった!天才に肉体労働はこたえる!こいつらを運ぶのを手伝ってくれ」

 「え……え……?」


 アリスは困惑した表情で四肢をもがれた同僚たちを見る。当然全員は生きていて、口を封じられているわけではない。怨嗟の声がアリスにぶつけられる。なんで、ずるいと。


 「音よ、静まり返れ」


 だがそんな声もノイマンの音魔法で静まり返る。


 「まったく低能どもはこれだから……彼女を燃料にしないのはシンプルな理由だよ。少し考えたら分かるだろう。彼女だけは先程の議論でお前達が提案した人の命を燃料にするという案に賛同しなかったからだ。ならば私は人道的見地にもとづいて……彼女を生贄にするなどとてもとても……」


 事実、アリスは彼らの後ろでひたすら困惑していた。いくら非常時とはいえ人の命を犠牲にするのはどうかと思っていた。でも空気が読めないことを言うのもまずいと思っていて黙っていたのだ。


 「それとも君は……彼らと同じ賛成派だったのかな?それならすまない!いやはや、よく人の心が分からないと言われるのでな!どうなんだい"アリス"くん?」


 胸の名札を見て、ノイマンは名指しでアリスに尋ねる。

 同僚たちの無言の視線がアリスを突き刺す。


 ───でも……でも……状況とか関係ない!


 ノイマンの問いかけに心の奥底から真正面に彼女は答えた。


 「ひ、人の命を犠牲にするのはやっぱり間違っています!そ、それは私だけじゃなくてその……み、皆を犠牲にするのもお、同じですぅ……」


 確かに伝えた。自分の考えを。無言で見つめるノイマンの視線が恐ろしかった。


 「なるほど、なるほど。私と同じ意見のように見えて、賛同派の者たちも犠牲にするのはいけないと?これはこれは困ったな……意見が対立してしまったぞ」


 全員の目に希望の光が灯る。助かる。殺されずに済むという希望が。


 「よし!ここは民主主義的に決めようじゃないか!命を犠牲にしてもアレを動かすことを是とするのは残念ながらアリスくん!君と私以外全員そうなのだ!いや私とて悲しい……こんな数の力で意見が封殺されるなど……」


 だが、それは容易く潰される。

 彼らは抗議するが、音魔法により音声は遮断されている。自分たちの主張はノイマンの耳には決して届かない。アリスはもう無理だと察した。流されるままにノイマンに従い、台車を用意して、同僚たちを積み上げ運んでいく。

 恐らく今夜からしばらく悪夢にうなされるだろうなと思いながら。横でノイマンの話す世間話に適当に相槌をうちながら、転職も視野にいれていた───。

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