黒い男

 ───カーチェの放送は亜人連合軍たちに届いていた。当然幽斎の耳にも。


 「……なんでカーチェなの?勝鬨をあげるのはシュウだろう」


 不満げに幽斎は口をとがらせ呟く。とは言えこれで勝ちは決まったようなもの。爆撃機が次々と街に落ちてくる。上空に飛び上がったハンゾーが順調に撃墜している。

 あとは幽斎の懸念は宗十郎の安否が気になるぐらいだった。スマホに連絡しようと思ったが、用件もないのに連絡するのは流石にまずいと思い、理性で抑える。


 「いや待って……?勝ち確ならシュウのもとにかけつけてもおかしくなくない……?」


 ───ブシドーを使えばサムライブレードは検知できるわけで、軍師の役割は適当なエルフにでも任せて……ありじゃない?そうと決まれば善は急げだ。


 幽斎はエルフの代表であるエルヴィンに声をかける。エルフは頭がいい種族らしいので、まぁ何とかなるだろう。そんな考えだ。


 「エルヴィンさん、エルヴィンさん、ちょっといい?」

 「ん?幽斎か、どうした?」


 前線で戦う仲間たちの援護をしていたエルヴィンは幽斎の問いかけに振り返る。


 「いやね?あたしエルヴィンさんのこと、ずっと頼りになると思ってたんだぁ。リーダーシップに優れているし、かしこいし……」


 心にもないことを幽斎はエルヴィンに伝える。適当におだてて仕事を任せるという考えだ。その狙いどおりエルヴィンは気を良くする。


 「それでね?そんなエルヴィンさんなら今、あたしがしていることも問題なくやれるんじゃないかなぁって思うわけ」

 「そういうことか。なるほど任せろ」


 よしっ。幽斎は頭の中でガッツポーズを決めた。

 無論、此度の提案は決して無策でというわけではない。エルフの代表であるエルヴィンならプライドの高いエルフも従うのは明白。他種族も何だかんだでエルフの知能の高さは認めている。

 そして幽斎という戦力が戦場に投入されることで戦局は一変するのは間違いではない。


 「それじゃあエルヴィンさん、今からあたしの言うとおりに……ッ!?」


 その時、異様な気配を感じた。心臓が掴まれたかのような気配。

 幽斎は振り向く。その気配の出処に。冥い影が少しずつ迫ってきていた。その気配はまるで一つの闇夜のようであった。それでいて不思議と暁星のような輝き。

 エルヴィンは気がついた。彼らエルフは知識を引き継ぐ。古代からずっとずっと引き継ぎ続けていた。その知識が、その存在にいち早く気づいた。

 息が荒く冷や汗が垂れる。エルヴィンだけではない。エルフたち全員に緊張感が走っていた。


 その男は静かに、オルヴェリンの都市に降臨した。コツ……コツ……と何の警戒心もみせず、さも当然のように足音を立てて、平然と道を歩く。まるで彼にとって戦場の空気など、春のそよ風に等しいものであるかのように。

 それは黒き衣を身にまとった黒き王。それは原初の異郷者。それはただそこにいるだけで、他者を圧倒する存在性。それは亜人たちの宿敵にして大敵。それはオルヴェリンの祖として君座し続けた異郷者。その名をエムナ。異郷者エムナである。


 「な、なんで……なんであいつがこんなところに……!」


 エルフたちは恐怖と困惑の感情で満たされる。


 「知れたことだ。お前たちがどれだけ策を練ろうとも、俺がいる限り、お前たちの戦争に勝ちは無いのだ。俺一人いれば、お前たちなど簡単に制圧できるのだからな」


 虚言ではない。エルフたちは確信している。奴の力があれば単独で亜人連合軍を倒せる。


 「聞け亜人たちよ」


 それは透き通った声だった。酷く頭に響き渡る声。脳にいつまでも響き続ける。何故か聞き入ってしまう声。


 「みんな耳を塞げ!」


 エルヴィンは叫んだが既に遅かった。皆がエムナの言葉を聞いてしまった。


 「私はお前たちの中に間者を紛れ込ませた」


 皆がエムナの声に聞き入っていた。間者が紛れている。その言葉に動揺が走る。


 「ドラゴンが無惨に殺されたのを見ただろう?あの時の武器を持たせた。彼への命令は一つ。殺せ。ただそれだけだ」


 唐突な話。まるで根拠もない話。だというのに皆がエムナの言葉にまるで真剣に耳を傾け、動揺と不安は広がっていく。


 「はて……何人送り込んだかな……?今、彼らはどこにいるだろう……?お前だったか……?」


 エムナの視線が亜人たちとあう。目が合った亜人たちに注目が浴びる。間者、裏切り者……当然本人たちは否定する。身に覚えがないからだ。疑心暗鬼が戦場を支配する。何故かエムナの言葉には真実味があって、本当のことにしか思えないのだ。


 「……見つけた。お前か」


 エムナは見た。どこかを見て、そう呟いた。


 「うわぁぁぁぁぁああ!!」


 錯乱したコボルトの一人が近くの仲間をその爪で斬り裂く。何故かは分からない。殺さないと殺されると思ったからだ。


 「気をつけろ。俺が潜ませた間者は一人ではない、あぁそこに隠れていたか。いいやそこか!さぁ急げ!剣を手に取れ!急がなくては……裏切り者として殺されてしまうぞ?」


 その言葉がきっかけとなり、亜人たちは味方同士で殺し合いを始める。意味が分からなかった。何故突然こんなことになったのか。


 「違う!俺は裏切り者なんかじゃない!落ち着け!」

 「嘘だ嘘だ!そういって俺を騙すつもりなんだろう!おい皆!こいつだ!こいつが裏切り……」

 「はぁ……はぁ……!だって、だって殺さないと殺される!そんなこといってあなたが裏切り者なんでしょう!私は死にたくない!」

 「この……裏切り者が!人殺し!お前こそ裏切り者だ!」


 疑心暗鬼は伝播し、狂気が伝染していく。そこには最早連合軍の姿はない。


 「俺の言葉には特別な力がある。聞いたものはまるでそれが真実であると錯覚する」


 暴徒と化した連合軍を横目に、まるで散歩するかのようにエムナは歩く。

 突然、狂い出したように同士討ちを始める仲間たちに唖然としていたエルヴィンの目の前に気がつけばエムナは立っていた。

 その姿に、エルヴィンはハッと正気を取り戻す。


 「エムナァ!貴様ァッ……!!がっ……あッ……!」


 だが、もう既に遅かった。

 エムナの右手がエルヴィンの心臓を貫いた。即死だった。


 「これで終わりだ。エルフが軍略に通じていたのは意外だったが、策士は死んだ。あとは連合軍の自滅を待つだけ。他愛もないことだ」


 つい先程のことだった。幽斎がエルヴィンに軍師を示す装飾品を渡したばかりに、エムナはエルヴィンこそが軍隊の指揮者だと思っていたのだ。タイミングが悪かった。少し悪いことをしてしまったと幽斎は反省する。

 そしてこの目の前の怪物をどう対処すれば良いのかと思い悩んだ!そんなことを思っていたところに、ハンゾーが空から降りてきた。


 「爆撃機の全ロスト完了でござる。ブシドーが騎乗していない故、単調作業、まったくもって余裕千万でござったな……む?この様子は一体……」


 ハンゾーとエムナの目が合う。しばらくの沈黙。先に口を開いたのはエムナだった。


 「お前は噂のハンゾーとやらか。爆撃機を一人で撃墜とは並の所業ではない。ついでだ、持ち帰るか。」


 エムナは、ハンゾーに投降を促す。しかし、ハンゾーはエムナの言葉に屈せず、静かに答える。


 「お主……あの時の黒き矢の者!直接出向いたということは、相当余裕がないと見た」


 黒き矢。宗十郎とこの世界で争った際に放たれた世界を切り裂く凶矢。気配で分かった。目の前にいる男こそがその力を放ったものだと。


 「一応、聞いておこう。素直に捕虜となるつもりはないか?」


 再度、エムナは問いかける。エムナは異郷者の力を欲していた。それも戦闘型で極めて優秀な者を。宗十郎の世界はエムナにとっては未知であり、同じ世界を起源とするハンゾーに興味を持っていた。


 「無い。ニンジャマスターが簡単に敵の手に落ちるなどありえぬぞ!」


 だが、ハンゾーに口先は通じない。彼はブシドーではないが、ブシドーと渡り合う忍者である。戦場では精神攻撃の類は日常茶飯事。それに比べればエムナの甘言など取るに足らない。


 「そうか……では」


 突如鳴り響く甲高い金属音。

 何かがハンゾーに向けて放たれた。一瞬の反応、ニンジャブレードを取り出し弾いたのだ。金属音は瞬時にハンゾーが何かを弾いた時に鳴り響いたもの。いまだに刀身が震える。

 放たれたそれは小石だった。エムナが小石を弾いた、それだけだった。


 「いやはや器用なものだな」


 投石は戦場においてもっともポピュラーな攻撃手段。しかしエムナの放った小石は度が過ぎていた。弾いた小石は建物を貫き遥か彼方へと向かう。


 「大道芸を見せに来たのならばここまでにするでござる」


 しかしハンゾーはその技を大道芸と一笑に付す。強がりではない。彼の戦場ではかような小手先を山程見たからだ。


 「いや、面白い。そうだな、このような小手先では意味がない。ふん、殺さずして無力化する。丁度いいハンデだな」


 エムナは素手で構える。武器は持たない。舐められたものだとハンゾーは失笑した。二人の間に緊張感が走る。

 幽斎は冷静にエムナの戦力を見ていた。

 黒い男だった。黒い髪、黒い肌、纏う気配までもが黒く、どこまでも黒い。その逞しい腕はあらゆる障害を打ち砕き、その鋼のような肉体は並大抵の技も通さないだろう。

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