冒涜者
後ろにはカーチェが立っていた。足を斬ったのだ。宗十郎しか見えていない彼女の隙を突いて。既に絶命してもおかしくないほどの傷。だというのにその闘志は不滅。足が斬られてなお這って宗十郎へと向かっている。痛覚などとうに消え失せているように見えた。
「宗十郎ォ……!私を見下すな……!」
青白い液体はなおも流れ続ける。ボタボタと。液体は蠢き、まるでヒルのようだった。
「もうよせ!リノン!もう良いんだ!そこまでして、戦う必要なんてなかったのに!」
カーチェは叫ぶ。その声にリノンはピクリと動きを止めて周囲を見渡す。
「カーチェ……様?カーチェ様!どこですか!?私は大丈夫です!ああ、卑劣な異郷者はまだここに残っています!カーチェ様!カーチェ様!どうか、どうか逃げてください!!」
リノンは叫ぶ。カーチェの無事を願いながら。自分のことなど構いなしに、カーチェを逃がそうと。
胸が締め付けられる思いだった。リノンは今も必死に自分に対して逃げろと叫んでいる。目の前に、先程からずっと目の前にいるというのに。彼女にはもう自分は見えていない。聞こえた声だけを頼りに、自身の傷を無視して、カーチェの身を第一に叫んでいる。
「あぁ、分かった。すぐに立ち去ろう。感謝するリノン。だから早く逃げるんだ」
「カーチェ様!カーチェ様!早く逃げてください!逃げて!!」
雨は降り注ぐ。地面は青白い不気味な液体に染まっていく。最早、カーチェの声すら届かず、ただひたすらに叫び続けている。明らかに異常なものであった。
「リノンとやら、答えろ。貴様のその施術誰がした」
宗十郎はサムライブレードを突きつけて問いかけるが返事はない。その姿が痛ましくて、カーチェはリノンを抱きかかえようとする。しかし止められた。宗十郎にだ。
「よせ、アレに近づくな」
「宗十郎、何をする!?もうリノンには戦闘能力はない!せめて最後くらいは看取ってやるのが人というものだろう!」
「確かにそうだ。リノンには戦闘能力はない。しかしあの青白い液体。あれは駄目だ。本能が警告している。あれはカーチェ、絶対に触れさせない!この生命にかえても!!」
カーチェは思わず黙り込む。初めてかもしれない。彼のこのような真剣な物言いは。
「カーチェ……様?いるんですか……寒い、寒いんです……。ああ、ここはどこですか。私は一体……嫌だ、一人は嫌だ……助けて……助けて……ください……」
思えばリノンは昔からそうだった。共に騎士として鍛錬をし、辛い時、悩みを聞いてあげたこともある。
ただの同僚ではない。大切な後輩でもあるのだ。そんな彼女が今、自分を必要としている。最早助からない命、せめて最後くらいは!
反射的にカーチェは駆け出す。だが宗十郎は許さなかった。羽交い締めにして無理やり抑え込む。
「離せ宗十郎!!貴様には分からんだろうがリノンは私にとって妹のようなもの!!例え袂分かれようとも、死に際くらいは共にいさせてくれ!!」
カーチェの懸命に訴える。
しかし、宗十郎の目には、リンデとは別のものが映っていた。歯ぎしりの音がした。宗十郎が己が歯を食いしばっているのだ。
そして静かに、口を開く。
「───お前は誰だ」
───え?
カーチェは宗十郎の言葉に耳を疑った。しかしそれは自分に言った言葉でないことがすぐに分かる。宗十郎は自分を羽交い締めにしている。今も絶対に離さないという強い意思のもとに、その強い力で。
そしてじっと睨んでいるのだ。リノンに対して。
「宗十郎……!許さない……殺す……!宗十郎コロス!」
「猿芝居はやめろ」
ただ冷たく、そして深い怒りが込められたかのような言葉で、宗十郎は冷たくリノンを見下していた。
「外道め。俺はリノンのことなど、ほとんど知らぬ。しかし、今のお前の言葉はまるで別人。死に際に心変わりすることは確かにあるだろう」
死とは原初の恐怖。全てが終わる間際。人が変わるものもいる。それは仕方のないこと。
だが、だが宗十郎には見えていた。それはブシドーがブシドー足る所以。
「リノンは、自分の身よりもカーチェの安全を優先していた!そこに嘘偽りはなく、ただ純粋なものだ!それを、助けて……だと?よくもそのような心にもない言葉を放てるものだ。魂の叫び読める相手を見るのは初めてか、この詐欺師風情がッッ!!」
ブシドーとは魂と魂のぶつかり合いである。死の間際、人は今まで取り繕っていたものを捨て去り、本心を言い放つものだ。リノンにとってそれは、最後の最後で、カーチェの安全を祈るものだった!
決して無様に助けを求めることではない!故に宗十郎は怒りを感じたのだ。リノンの想い、その崇高たる精神を侮辱したことに!リノンの身体に混ざっている何かに対して、怒りを感じたのだ!
「コロ……ス!ソウジュコロ……!コロロ!!アハ、アハ!!キャハハハハ!!」
意思疎通は不可能だった。リノンの瞳には狂気が宿っていた。最早、彼女には何も見えていない。目の前の宗十郎すら、分からないくらい。
彼女はただ、彼女の記憶に刻まれた"ソウジュウロウ"という言葉を放っているだけだ。そこに感情などない。
サムライブレードに介錯モードをエンチャントする。ただで死なぬならば、トドメを刺すだけのこと。
「リノン。仇はとる。貴様の魂を凌辱した輩は、必ず俺が殺す。眠れ。安らかに」
サムライブレードを突き刺した。消滅、リノンは生命活動を停止し、絶命したのだった。
リノンの豹変からカーチェは愕然としていた。腰が抜けていた。力が入らない。
「何が、何が起きているのだ……私の都市で……私が生まれたこの都市で……」
「知らぬ。だが、一つだけ確かに言えることがある。リノンとやらは、最後までお前のことを慕っていた。命よりも大切な存在だと思っていた。ならば……無駄にするな。二度とこのようなことを起こさないためにも」
後味の悪い戦いだったと思った。だが今は感傷に浸る暇はない。リノンが使っていたと思われる通信装置を手に取る。オルヴェリン全体に流される通信音声。
「全員聞こえるか。私は今、オルヴェリンに攻め入っている亜人連合軍のカーチェ・フルブライト。今、オルヴェリン軍の戦線を突破し中央庁を目前としている。これ以上の戦いは不毛だ。降伏しろ。繰り返す。降伏しろ、オルヴェリン」
端的に伝えた。戦いはこれで終わり。亜人連合軍の勝利。あとは中央庁を制圧するだけだった。時間は限られている。二人は駆け出す。目指すはオルヴェリン中央庁へと!
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