第9話 再会―1
「……な……!」
ラインハルトは絶句した。―――地の奥底に潜む巨大な何かが、黒い激情のおもむくままに猛り狂っている……!
嘗てない凄まじさの地震に、ラインハルトは漠然とそう感じた。立っていることさえ難しく、ぽこを左腕に抱いたラインハルトは泥濘の地面に両膝を付いた。右腕を掲げ、素早く呪文を詠唱する。手のひらが白い光芒を帯びるや否や、ラインハルトはその光輝を真闇に放った。幾筋もの白光が夜空を照らし人々を、灰色の扉、灰色の塀を、そしてオイゲンを柔らかに包む。揺れが収まる気配が見えたので、ラインハルトはほっと吐息をついた。そして竜のあぎとの傍らで震える人々に、
「治癒魔法と防御魔法をかけた。だから街の人たちも体力は回復している筈だし、竜のあぎとは次の地震が来ても衝撃に耐えられる筈だ」
「……ラインハルト様……!」
「ヨーゼフ様のお弟子様の……!」
ラインハルトの言葉に、シャッハブレッドの人々が感嘆の声をあげた。ぽこはあくびをしながら、
「んー、まあ、おちびの魔術の腕はそこそこ確かだと思います。十人中、七、八人が生き残れたら良いとこでしょ」
「馬鹿ぽこっ!皆を怖がらせるようなこと、言うなっ!」
例によってラインハルトはぽこの頭をごつんとやり、ぽこは例によって大仰に泣き始めた。そんな二人に、オイゲンはのろのろと歩み寄った。金髪に細かな水滴が付くことも厭わぬ様子だ。
「……貴方は、竜のあぎとと私にも防御魔法をかけたのか……」
「…ん。オイゲンのことはまだよく分からないし、まだあんまり好きじゃないけど。でもヨーゼフはそんな理由で人を助けなかったりしないし、私はヨーゼフの一番弟子だから!」
ラインハルトが言った、まさにその時だった。地面が再び大きく揺れ、ラインハルトの足元と視界を脅かしたのだ。
「…また、地震が……。地の奥に何かがいて、暴れている……っ」
「ラインハルト、伏せるんだ!シャッハブレッドの人々、竜のあぎとから離れろ!伏せろ!頭を守れ!」
泥濘んだ地に足を踏み締めながら、オイゲンが声を張り上げた。人々は考える暇すらなくそれに従った。抜き放った片手剣の切っ先を、オイゲンは闇と泥濘に向けた。……泥濘?
「あー、今日何回目の遭遇なんですかコレ!もうイヤ!たまには違うのが良い!」
ぽこが悲鳴とも愚痴ともつかぬことを言った。窪んだ眼窩に赤い目を爛々と光らせ、ザンバラ髪の頭部を連ねた、異様な長さの腕に鉤爪の、―――漆黒の魔物たちが現れた。憎しみと怨み、穢れを放ちながら。
しかし魔物が向かう先はラインハルトではなかった。黒い魔物たちは濁流さながらに竜のあぎとに押し寄せた。口をがぱと開けた泥濘の魔物たちは、黒い毒液を闇雲に放った。毒液を浴びた灰色の塀は、鉄板に置かれた氷のように溶けてゆく。ぐずぐずに脆くなった塀を、漆黒の鉤爪が狂気に似た激しさで切り裂く。
地響きがラインハルトの身を揺らした。魔物の猛攻に耐えきれず、竜のあぎとの塀が倒壊してゆく。
「………!」
鉤爪もろとも、腕が宙を舞った。次いで、ザンバラ髪を乱した髑髏の頭部が。
オイゲンが魔物の腕に凄まじい刺突を加え、返す刃で頭部に斬撃を加えたのだ。赤い目がぎらりと光った。鉤爪と汚濁の黒い魔物たちは今や、オイゲンに狙いを定めていた。
「ラインハルト、逃げろ!人々を連れ出せ!」
魔物に矢継ぎ早の刺突を加えながら、オイゲンが叫んだ。鉤爪に左足を切りつけられ、腕を切りつけられても、なお。
「オイゲン!」
ラインハルトは叫び、泥濘を踏み締めた。両腕を掲げ、手のひらに魔力を注ぐ。両手が白光を帯びる。純白の光弾は見る間に大きさをいや増した。魔物たちが明らかに怯んだ。
「オイゲンから……、離れろっ!!」
渾身の力を込め、ラインハルトは光弾を漆黒の魔物たちに叩き付けた。
「………!!」
声にならぬ叫びをあげ、黒い濁流は消えた。オイゲンにまつわりつく濁流が。
「……やった……。オイゲンは、無事……。治癒魔法で、傷も……」
魔力を使い果たし、泥濘に崩折れるラインハルトの目に、数体の魔物の姿が映じた。―――鉤爪を、私に向けてる……。
「ラインハルト!」
「おちび、―――おちび!」
オイゲンが駆け寄る気配、ぽこが鉤爪に身を投げ出そうとする気配を、ラインハルトは微かに感じていた。不思議と恐怖はなかった。
―――オイゲンのこの声、やっぱりどこかで聞いたことがある……。誰かのために、必死の声……。
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