第8話 あぎと―3

 ラインハルトの耳に、オイゲンの冷淡な声音はなおも響いている。それに似た声をラインハルトはどこかで聞いたように思ったが、オイゲンに対する反感がその考えを打ち消した。

「貴方たちは竜のあぎとを通ってはならない。貴方たちはヴァイスブルグに行ってはならない」

「そんな……」

「私たちはヴァイスの方々に助けを求めようと……」

「ヴァイスの方々の魔力で魔物たちを退け、怪我人を救っていただきたいと……」

「竜のあぎとを……どうか……!」

 人々の懇願に、オイゲンは何ら表情を変えることはなかった。柔らかな輪郭を描く美しい唇は、拒絶の言葉を繰り返すだけだ。

「貴方たちは竜のあぎとを通ってはならないし、白い街に行ってはならない」

「……」

 オイゲンの無感動と冷酷に対する反感が怒りへと変わってゆくことを、ラインハルトは感じていた。―――なんで、こんなに困っているシャッハブレッドの人たちに、冷たいことばかり言うんだ。オイゲンも白い街のヴァイスたちと同じで、私たちフィグを見捨てることしかしないのか……。

 ラインハルトの胸中を知る由もないオイゲンはなおも、

「私は貴方たちを通すわけにはゆかない。貴方たちは白い街に行ってはならない。シャッハブレッドにも魔術師はいるだろう、―――魔術師ヨーゼフ・クラインという。彼は貴方たちを助けるだろう。貴方たちは彼を頼れば良い」

「シャッハブレッドのヨーゼフ様……!」

「そうだ……。竜の尾のメルヒオール様……!」

 ヨーゼフの名を聞いた途端、狼狽する人々の間にどよめきが走った。シャッハブレッドの魔術師ヨーゼフ、その師であるメルヒオールの存在を思い出したらしい。どよめきは次第に一つの流れを形作り、

「ヨーゼフ様の許へ行こう……!」

「メルヒオール様の許へ行こう……!ヨーゼフ様の朋友で騎士のアドルフ様も、我らに力を貸してくださる筈だ……!」

 人々は冷え切った体をようよう動かし、シャッハブレッドへと踵を返しかけた。

ラインハルトはなんとなく釈然としない思いでいた。オイゲンの言葉が人々の混乱を鎮めたことは否定出来ない。しかしオイゲンの冷酷は好きになれないと思う。―――オイゲンは街の人たちを落ち着かせてくれたみたいだけど……。でもオイゲンは白い街のヴァイスと、結局は同じなのか……。

 それでもシャッハブレッドに向かう人々を治癒魔法で助けようと、ラインハルトは塀の陰から姿を現した。その時だった。

「やはりフィグは愚かだ。事あるごとにヴァイスを頼ろうとし、縋りつこうとする。フィグはヴァイスたちのやり方を理解していない」

 オイゲンの氷雨の声が、ラインハルトの耳を打った。ラインハルトは怒りを抑えかねた。ぽこの腕をふりもぎるようにし、竜のあぎとの扉に突進した。灰色の扉を背にした金髪の青年を、空色の瞳が睨み据える。

「なんでそんな冷たいことを言うっ!竜のあぎとの門番オイゲンっ」

「貴方は……」

 細い金色の眉を、オイゲンは訝しげに顰めた。シャッハブレッドに向かう人々の列が動きを止め、ラインハルトを見やる。頬をなぶる雨足にも構わず、ラインハルトは声をあげていた。

「私はシャッハブレッドの魔術師ヨーゼフ・クラインの一番弟子、ラインハルト・ハイデル・ブロイエフリューゲルだっ!ヨーゼフから街の人々を守るように言われているっ!」

「ならば貴方がこの人々を助ければ良いのではないか。私に無駄口などを叩かず」

オイゲンの切れ長の目には、冷淡と軽蔑の色合いがあった。いや増す怒り、悔しさを感じながら、ラインハルトは叫んだ。

「助けるっ!魔物から守るし、怪我した人も助けるっ!今だって魔物を退治して来たっ。だからこんなに困って怖がって、寒くって痛い思いをしている街の人たちに、ひどいことを言うオイゲンからも助けるっ」

「それで良いのではないか。魔術師ヨーゼフの弟子とやら」

 ラインハルトに氷の一瞥を寄越し、オイゲンは灰色のマントを翻した。灰色の扉、灰色の塀と化したかのようなオイゲンの背を、ラインハルトは睨み続けている。いつの間に駆け寄って来たのだろう。ぽこがふかふかの前脚を、ラインハルトの腕にそっと当てていた。

「……オイゲンはなんで、街の人々を拒むんだ。私たちフィグを」

「私は竜のあぎとの監視者だ。ヴァイスたちは私に、フィグを白い街に入れるなと命じた。彼らの命令は私の思いと一致している。だから私は貴方たちを通さない」

 オイゲンの声音には何の感情も込められていない。ラインハルトは激した。

「オイゲンは冷たいっ、すごく冷たい心しか持ってないっ!」

「……心?」

 オイゲンは振り返り、横顔だけを見せて笑った。そこに浮かぶものは嘲笑ではなかった。切れ長の碧眼の静かな寂寥に、ラインハルトは胸を突かれる思いがした。

「下らん。ヴァイスの道具のフィグに、心などあるものか」

「……オイゲンが、フィグ……?私たちと同じ……」

 思いもよらぬオイゲンの言葉に、ラインハルトは呆然とした。ぽこはラインハルトの腕を遠慮がちに叩き、

「…ラインハルト様。やっぱりヨーゼフ様やヘルマンさんが言ってたみたいに、この人は悪い人じゃないんじゃ……」

 ぽことラインハルトの会話はだが、そこで断ち切られた。

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