第4話 目覚め―4

 ヨーゼフとラインハルトが治癒魔法で怪我人たちを癒し、家々の損傷を直し、街の西が恐怖と混乱から立ち直りつつある頃―――。

「ヨーゼフ!ライニ、ぽこ!無事か?!」

 男の鋭い声が響き、石塀を修復していたラインハルトは覚えず顔を上げた。

「アドルフ!アドルフも無事だったのかっ」

「アドルフさんっ!」

 声の主は茶褐色の髪、射るような青い目、引き結ばれた唇が特徴の、精悍な顔立ちの男だった。ソードベルトの片手剣、黒いきょうこう、スパイク付きの黒いガントレットから騎士と知れる。黒いズボン、ダークブラウンのブーツという暗い色合いの服に、紫紺のマントがよく映える。洒落っ気に付けた紫水晶の耳飾りが、足取りに合わせて大きく揺れている。名をアドルフ・リュディガー・ホルンというこの騎士は、ヨーゼフの幼なじみだ。街の東で剣術道場を開いており、ヨーゼフ同様、シャッハブレッドの顔役である。

「貴方も無事で何より……と言いたいところですけどね。頬が切れていますよ、アドルフ。街の人を庇った時に瓦礫でやったんですか?」

 ヨーゼフは言葉こそ皮肉めいているが、アドルフの頬に手を当て、治癒魔法をかけてやっている。アドルフはヨーゼフのさり気ない気遣いで平静さを取り戻したようで、

「かすり傷だ。東地区の奴らを聖堂に避難させていたんだが……。その時に鉤爪でやられた。奴らが放つ異様な禍々しさ、死の穢れに気付いたんで、貴様がくれたじゃタリスマンが役に立った。仕留めはしたが、俺も動揺していたんだな」

「あの魔物は、貴方の住む地区にも現れたんですか?」

 ヨーゼフの顔色が明らかに変わった。アドルフはにわかに疲労を感じたようで、

「……俺が住む東だけじゃない。ここに来る途中聞いた話だと、南の地区にも現れたそうだ。もっとも住人の大半は聖堂に避難して無事だったようだし、魔物の数も多くはなく、それも直ぐに消えたらしいが……」

「……では魔物が現れていないのは北の地区だけですか。メルヒオールの住まいに近い……」

 ヨーゼフが考える顔つきになった。アドルフは駆け寄って来たぽこを抱き上げながら、

「ここのところ、地震や雷雨が頻発しているからな。それに加えて今日は魔物ときた。俺は繊細と程遠いたちだがあまり気味の良いものじゃない」

「地震と雷雨の頻発はこの街だけじゃありませんよ。ヴァイスブルグも御同様と聞きます。もっともヴァイスの方々は、わたしたちにそれを隠しておきたいようですね。ですから白い街のお偉い方々は隠蔽のための街の修理、怪我人の手当て、仮の住まいの割り当てに大わらわのようです」

 ヨーゼフの言葉に、アドルフは苛立った口ぶりで応じた。

「連中のやりそうなことだ。下らん見栄だ」

「彼らはヴァイスブルグは豊かで幸福な街、シャッハブレッドは貧しく惨めな街という『神話』を語り継ぎたいんでしょうよ。だからこの街に地震が起きたからって、ヴァイスのお偉い方々は気にも留めやしません。彼らに言わせれば、わたしたちは取るに足らない駒―――フィグなんですから」

「………」

 ラインハルトとアドルフは黙し、ぽこも項垂れている。「取るに足らない駒」にヴァイスたちがした仕打ちを、ラインハルトたちは身をもって知っている。知らされ続けている。

 愛弟子たちの屈託に気付いたのだろう。ヨーゼフはアドルフを見つめ、

「話が逸れてしまいましたね。気味が良くないのはそれだけじゃないんです。ライニに聞いたのですけれど、南方にも災害が頻発していて、シュヴァルツたちは土地を見限りつつあるようです。それから―――」

「何があった?」

「大地震が起き、ドラッヘの神殿が地割れに呑まれたそうです。さっき――ライニたちがお使いに行っている間に――メルヒオールが手紙で教えてくれたんです。南の魔力を探っていたらこの異変に気付いたと、彼は言っていますが……」

「……地割れに呑まれた……」

 絶句したアドルフに、ヨーゼフは折りたたまれた紙をポケットから取り出し、

「メルヒオールの手紙です。彼が転移魔法で送ってくれました。貴方にも見て欲しいんです、アドルフ」

 手紙に素早く目を通しながら、アドルフは半ば呟くように、

「シュヴァルツブルグの竜の神殿が地に呑み込まれた……。この世界を創り出し、シュヴァルツの力を司り、彼らを守護するとされる、黒い竜。その竜を祀る神殿が……。そして地震と雷雨、―――黒い魔物たちか……」

「ヨーゼフはこの出来事をどう思っているんだ?」

 黙していたラインハルトが口を開いた。己を見上げる空色の瞳に、ヨーゼフははっとしたようだ。ややあって言葉を選びながら、

「……これはあくまでわたしの勘ですが。わたしはこの一連の出来事に、何者かの意志を感じるんです。それも好ましいものではない……。先刻の魔物が放っていた、憎悪と怨嗟、死の気配に似た……。黒い意志を……」

 ラインハルトとぽこが顔を見合わせた。アドルフは素っ気なく、

「貴様の魔術師としての勘どころは確かだからな。その貴様がそうまで言うんだ。疑う材料はない」

「えーっ、疑ってくださいよお!地震や雷雨を起こして魔物を出現させる意図の持ち主がいるとか、困りますし怖いですよお!」

 ぽこがあからさまに不満そうな顔を見せた。アドルフの黒い胸甲にしっかとしがみつきながら。ラインハルトは憤った様子で、

「ぽこ!ヨーゼフがああ言ってるんだし、アドルフも信じてるんだぞ!ヨーゼフの使い魔なのに、勝手なこと言うなっ!」

「だってボク、ちゃんと繊細な感受性ありますから」

「私が繊細じゃないって言いたいのかっ!」

「あらあら、悪口には繊細だよ」

「頭きたっ!アドルフから離れろっ、馬鹿ぽこっ!」

 ぽこに掴みかかろうとするラインハルト、アドルフの胸元にいっそうしっかとしがみついたぽこ。両者に挟まれたアドルフは意味のない咳払いをし、

「……ともあれ、一度メルヒオールのところに行かなくてはならんようだ。ヨーゼフ、俺はこの世界の異変について詳しい話を聞いて置きたい。何よりその原因を知りたい。シャッハブレッドにこれ以上傷と痛みを増やしてたまるものか」

 せいえんが凝るアドルフの目を、ヨーゼフは真っ直ぐに見つめ返した。

「わたしも同じ思いです。アドルフ、貴方さえ良ければ、今からメルヒオールのところに行きませんか?その前に東と南の区域を回って怪我人の手当てをし、魔物と地震の痕跡を見たいんですが」

「無論俺もその心算だ。だがメルヒオールが住まうのは北の地区の外れ―――ドラッヘの尾だ。帰りは遅くなるだろうが、この街を放って置くのは不安だ。今のシャッハブレッドには、いつ何が起きるか分からん……」

 茶褐色の細い眉をひそめたアドルフとは対照的に、ヨーゼフはにっこりと笑い、

「そういうわけで、お留守番をお願いします。ライニ、ぽこ。夕食にはじゃがいもを茹でてハムを焼いてください。パンとバター、チーズは台所にありますから」

「なんでだっ?!私だって異変の理由を知りたいし、メルヒオールにも会いたいぞっ!メルヒオールはヨーゼフとアドルフのお父さん代わりで、私のお父さん代わりでもあるんだからっ」

 憤慨したラインハルトの言葉も、故のないことではない。

 経緯は違えど、幼くして白い街からチェス盤の街に捨てられたヨーゼフとアドルフを育て、一人前の魔術師と騎士にしたのはメルヒオールだ。そのヨーゼフが己と同じ街に捨てられていた赤ん坊のラインハルトを庇護し、今また魔術師に育て上げようとしているのだ。アドルフ、メルヒオールと助け合いながら。血のつながりこそないものの、ラインハルト、ヨーゼフ、アドルフ、メルヒオールは互いを家族だと思っている。無論、ぽこも。

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