第5話 目覚め―5

 そのぽこは案の定、

「ボクだって、粗暴なおちびと留守番なんていやですよお!メルヒオールさんに会いたいですよお!おちびはいっつも、ボクの安眠を妨害するんですから」

「人聞きの悪いこと、言うなっ!お前が私のベッドに入り込んで、寝ようとするのが悪いんだろう!布が布をかぶるなっ」

「腹立つわ~。ぬいぐるみのビーグル犬使い魔的に腹立つわ~」

「貴様ら……」

「喧嘩は止しなさい、ライニも、ぽこも」

 アドルフは呆れているが、ヨーゼフはてきぱきと二人を宥め、

「ライニ、貴方はシャッハブレッドの魔術師ヨーゼフ・クラインの一番弟子です。ぽこはわたしの使い魔です。師であるわたしが留守の間、わたしに代わって街の人たちを守るのは、二人の役割なんです。貴方たちにはそれが出来ます。魔力と優しさと勇気―――ライニ、貴方にはそれがあるんです。ぽこもどうか、ライニを助けてあげてください」

「分かったぞ。私は街の人たちを守る。私はシャッハブレッドの魔術師ヨーゼフの一番弟子だから!」

 ラインハルトの空色の瞳が魔術師を見つめる。ぽこはアドルフの腕からぴょんと飛び降り、

「おちびばっかりずるいですよお!ボクも守りますよう!」

「よろしい」

 ヨーゼフは鹿爪らしく頷き、片目を瞑ってみせた。アドルフは何かを考え込むようだったが、ややあって、

「……ライニ」

「ん、どうしたんだ?アドルフ」

ドラッヘのあぎと―――この街とヴァイスブルグを隔てる巨大な塀と門だが」

「うん、あすこなら知ってる。シャッハブレッドの最南端の、すごく大きな塀」

 街の南の外れに位置する、無機質で巨大な灰色の塀。ラインハルトを拒むかのように閉ざされた冷酷な灰色の門が脳裏に浮かぶ。アドルフは頷き、

「竜のあぎとの門番には、くれぐれも気を付けろ。あの男―――オイゲン・ゲオルクは、シャッハブレッドの住人を皆殺しにしても顔色一つ変えん男だ」

「………」

 豪胆さと沈着を兼ね備えた武人アドルフが、これほどの警戒心をあらわにすることは珍しい。覚えず身を硬くしたラインハルトだったが、

「そんなに悪く言うこともないでしょう」

 ヨーゼフは物憂げに言い、埃っぽくなった前髪をかき上げた。

「オイゲンは不器用で口下手だから誤解されやすいだけです。根は悪い子じゃありませんよ。そう、貴方みたいな子ですね、アドルフ」

「貴様の人物評はいまいち分からん……」

 アドルフが首を傾げる。ヨーゼフは些か腹立たしげに、また些か楽しげに、

「心外ですねえ。わたしの人物評は極めて正確ですよ。そしてアドルフ、貴方は自分より男前の相手には点が辛くなるんですよ」

「……張り倒すぞ」

「やってご覧なさい。焼き殺しますよ?」

 好んで消し炭になりたい者はいないので、アドルフは黙った。幼なじみが激怒した時の容赦のなさは知悉している。

 そんな二人をきょとんと眺めていたラインハルトとぽこだったが、ともあれ竜のあぎとには不用意に近付かないこと、ヨーゼフを不用意に怒らせないことは決めたようだ。微妙な沈黙の中、

「出支度をして来ます。薬草や魔道(まどう)具(ぐ)なんかも持って行った方が良いでしょう」

 ヨーゼフは淡々と言い、黄色い煉瓦造りの家にさっさと入って行った。残されたラインハルトはアドルフに、

「……なあアドルフ。ヨーゼフってやっぱり怒ると怖いのか?」

 アドルフが心もち声をひそめた。

「俺の家の前でどんちゃん騒ぎをしていたヴァイスの若造たちを、奴らが散らかしていた酒瓶、つまみもろともに、ふうじゅつ魔法で吹き飛ばす程度には、な。ちゃんとヴァイスブルグの方角に飛ばしたから大丈夫ですよと、ヨーゼフは言っていたが……」

 ラインハルトとぽこが絶句したまさにその時、家のドアが開いた。


「じゃあ、わたしはアドルフと出かけて来ます。貴方たちが会いたがっていたって、メルヒオールにちゃんと言っておきます」

 真紅のクラヴァットに金の飾りボタンの付いたダークレッドのウエストコート、赤い蔓薔薇の刺繍が施された黒いコート、トレードマークの真紅のマント……身支度を済ませたヨーゼフは、いつにも増して瀟洒だ。

 洒落者の魔術師はラインハルトの頬を軽く叩き、ぽこの頭を撫でた。ヨーゼフの言葉にラインハルトは頷き、

「うん!メルヒオールに会いたいって、よろしくって言って欲しいぞ。私とぽこはヨーゼフとアドルフの留守をちゃんと守るから!じゃがいもも茹でてハムも焼くしっ」

「ハムとじゃがいもは少し多目にお願いします。わたしとアドルフが帰って来た時に食べられるように。貴方も今夜はここに泊まってゆくでしょう、アドルフ」

 なんやかんやで幼なじみに気遣いをするヨーゼフである。アドルフもそれが嫌ではないらしく、

「……そうさせてもらおう。メルヒオールの話をライニたちに伝えたいと思うし、俺たちが何をすべきかを話したいとも思うからな」

「貴方ってやっぱり律儀っていうか、真面目ですねえ」

 ヨーゼフは呑気なことを言っているが、それも束の間のこと。直ぐとラインハルトとぽこを見つめ、

「行って来ますね、ライニ、ぽこ。出来るだけ早く帰って来ますから、お留守番をよろしくお願いします」

「うん、分かった!シャッハブレッドの人たちは私とぽこが守るからっ」

「お任せくださいっ、ヨーゼフ様!」

「無理はするなよ、ライニ、ぽこ」

 アドルフは持ち前の無造作な調子で言い、踵を返した。その後にヨーゼフが続く。

 騎士と魔術師の姿が小さくなり、建ち並ぶ古びた家々と泥濘の道の彼方の黒い点になるまで、ラインハルトとぽこは手を振り続けていた。

 四人は知る由もなかった。

 この夜の出来事がその後の各々の運命に、そして世界の運命に、大きな影響を及ぼす契機となることを。

 ラインハルトは曇天を見上げ、

「空気が湿っぽくなってきた。風も雨の気配を運んでる。ぽこ、家に入ろう」

「そうですね!じゃがいもとハムの支度、多目にしましょ」

 黒い雲が灰色の空を覆い隠そうとしている。澱んだ風がラインハルトの明るい金髪をなぶる。


 四人は、―――知る由もなかったのだ。


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