宝石獣の森と番人

風雅ありす@『宝石獣』カクコン参加中💎

第一晶、宝石獣と泉の精霊

 青玉ザフィーア紅玉ルビーン翠玉スマラクト蛋白石オパール柘榴石グラナト…………そして、金剛石ディアマント


 歌うように宝石の名を口ずさみながら歩く一人の男がいた。暗い森の中で、手に持つ松明の灯りが、男のギラつく虎のような目を浮かび上がらせている。


 男の名は、ザヒト。褐色の肌に彫の深い顔、そして縮れた黒髪が、外の国の人間であることを告げていた。


 ザヒトは、東南から海を渡ってやって来た商人の息子だ。父の商いを傍で見て学ぶため、ここヴァルト国へとやって来た。


 ヴァルト国は、国土の半分を森に覆われているものの、大陸のほぼ中心に位置することから、周囲にある国々の要衝の場として栄えている。


 市場には、ザヒトの見たこともない珍しいもので溢れていた。その中で一際ザヒトの目を惹きつけたのが〝宝石獣〟だ。


 露台の庇から目立つように吊るされたイタチの死骸は、背中から尾の先にかけて白く半透明な水晶クリスタルに覆われ、日の光を反射して光っていた。


 ザヒトが片言のヴァルト語で店主に尋ねると、それは〝宝石獣〟と呼ばれ、ヴァルト国の北側にある森の奥深く――宝石の森エーデルシュタイン・ヴァルト、または水晶の森クリスタル・ヴァルトとも呼ばれる森に生息しているという。


 その生態は謎に包まれており、なぜ身体の一部が結晶化しているのか知る者はいない。多くの狩人ハンターたちが宝石獣を狙って森へ入るが、なかなか捕まらず、市場に出回るのは稀なことらしい。


 ザヒトは、美しいものに目がなかった。それに職業柄、王や貴族らが美しいものを求める性質もよく知っている。これを自国へ持ち帰れば、王や貴族相手に金儲けができると考えた。大金が手に入れば、妻を娶り、子をつくることができる。そうすれば、家も安泰だ。


 売られていた宝石獣は、あまりに高価すぎてザヒトの懐で賄える額ではなかった。そこでザヒトは、店主から水晶の森がある場所を聞き出すと、自分の足でそこへ向かうことにした。宝石獣を自分の手で捕まえようと考えたのだ。



 💎✧💎✧💎



 水晶の森は、人の手が一切入っていない原生林で、一歩その内へ足を踏み入れれば、昼間でも明かりなしに進めないほど暗い。その上、宝石獣らはとても用心深く、なかなか姿を現さない。


 ザヒトは、かつて砂漠で何日も遭難した時のことを思い出していた。砂漠に金の湧くオアシスがあるという噂を聞き、居ても立っても居られずに砂漠へ出たのだ。飲み水が底を尽き、もうダメだと思った頃、幸運なことにたまたま通りがかったキャラバンによって救われたのだが、結局そんなオアシスは見つからなかった。


 あの時と比べれば、森の中は涼しく、しっとりと湿気を含んでいて、少なくとも干乾びる心配はない。それに、宝石獣の存在は、自分の目で見て確かにあることが分かっている。行かなければ商人の息子失格だ。


 ザヒトは、何日か森を彷徨い、どんどん森の奥へと入って行った。帰る道を見失わぬよう、木の幹にナイフで印をつけてある。三日が経ち、人の声が恋しくなってきた頃、暗い木の根元に赤く光る何かが見えた。


 松明の灯りを向けてみれば、そこには小さな兎に似た生き物がいた。金色に光る二つの目と、ちょうど額のあたりに赤い宝石が松明の灯りに照らされてゆらゆらと輝いている。


 紅玉ルビーンだ。


 市場で見たものとは形状が違えど、これも宝石獣の一種なのだろう。


 ようやく見つけた獲物に、ザヒトは、ごくりと唾を飲み込んだ。


 しかし、ザヒトが捕まえる前に、宝石獣は背を向けて闇の中へと逃げて行く。


 ザヒトは、慌ててそれを追った。


 しばらく森の中を走って行くと、目の前の木々が途切れ、小さな泉のある場所へ出た。澄んだ泉の水面には、満天の星が宝石のように瞬いている。


 目の前に現れた美しい光景に目を奪われ、ザヒトは宝石獣を見失ってしまった。


 ひとまず泉で乾いた喉を潤そうと泉へ近付いたザヒトの目に、一人の女の姿が映った。泉の中に半身を浸けたまま白い手で顔を覆い、肩を震わせ泣いている。


 こんな所に何故女が一人でいるのだろう、と思わなくもなかったが、それよりも数日ぶりに見た人の姿が嬉しくて、ザヒトは女に向かって声を掛けた。


 女が顔を上げる。涙で濡れた長い睫毛が、泉の色を映したように碧い瞳を縁取っている。金糸のような長い髪が、透き通るほど白い頬にかかる様が絵画のように美しい。純白の薄衣が泉の水で濡れているのも、ザヒトの目にはなまめかしく映った。


「ああ、カナン……戻って来てくれたのね」


 女の声は、喜びに満ちていた。ザヒトは驚いた。


「カナンとは誰だ? 俺の名は、ザヒト。ここから東南へずっと行った海の向こうにある国から来た商人タージェルの息子だ」


「ザヒト……そう……カナンじゃないのね…………」


 女は目を伏せると、ごめんなさい、と悲し気に呟いた。そして、再び顔を覆って嗚咽する。


 ザヒトは、女がなぜ泣いているのか分からず狼狽えた。女の泣き声は、ザヒトの心を惹きつけ波立たせる。


「どうして泣いているんだ? カナンとは誰のことだ?」


「カナン……ああ……私の愛しい人……再びここへ戻って来てくれると約束したのに、まだ見えないの……」


 ザヒトは、女を可哀そうに思った。カナンという男に捨てられたのだろう。


 それにしても、目の前にいる女は美しかった。まるで御伽噺に出てくる精霊のごとく神秘さと清廉な空気を纏い、この世のものとは思えない。


 ザヒトは、一目で女を気に入った。そうだ、この女も国へ連れ帰って妻にしよう。それか、王や貴族らに見せれば、彼らは喜んでこの女に大金を出すだろうとも考えた。


 ザヒトが女に、行く宛がないなら自分の国へ来ないか誘うと、女は、はっと顔を上げた。女の涙に濡れた碧い瞳がきらきらと輝いている。


「あなたは、私の傍にいてくれる?」


 ザヒトがそれに頷くや否や、女は、花が咲き零れるような笑みを浮かべた。


 女の碧い目を見ているうちに、ザヒトの意識が徐々に朦朧となっていく。


 最後に、女の唇が〝うそつき〟と形作るのを見て、ザヒトは気を失った。


 次に気が付いた時、ザヒトは、自分の視線がやけに低くなっていることに気付いた。不思議に思い自身の身体を見回してみると、肌がてらてらと黒く光っている。


 蛙だ。大きく膨れた腹部には、白い真珠ペルレが輝いている。


(なんだこれは?! まさか、あの女の仕業か……?)


 辺りを見回してみるも女の姿はなく、ただ清涼な泉だけが静かに横たわっている。


 夢でも見ているのかと信じられない思いでいるところへ突然、目の前に見知らぬ男が飛び出してきた。手には弓矢を持っている。男は、ザヒトに目を留めると、にやりと口角を上げた。男の考えが自分のことのように分かり、ザヒトは血の気が引いた。


「ちがうっ、俺は人間だ!!」


 そう叫んだつもりだったのだが、ザヒトの口から出たのは、人の言葉ではなく、蛙の鳴き声だった。

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2024年11月30日 07:03
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2024年12月2日 07:03

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