一章 旅立ち②

「イブリース様、まもなくファブリーゼ家の領地です」

 それからどれくらいの時間が経ったのだろうか。

 気付けば夢の中に落ちていたイヴは、馭者アンバーの声でふと目が覚めた。

「……もう、そんなところまで来たのね」

 目を擦りながらそっと窓から外をを覗くと、そこには立派な城壁と広大な土地が広がっている。周囲には色とりどりの花も咲いており見ていて心が和んだ。城下町へと入ると、喧騒は大きくなりそれでもその場所で生きている人々は笑顔が溢れとても幸せそうだった。

 富める者も貧しい者も平等だと思わせるような、空腹と乏しさとは縁遠い世界が、窓ガラスを隔てた先にはあった。

(民が明るく元気なのは、統治しているファブリーゼ家の御力があってこそだわ)

 暗い顔をしている民は一人も見当たらない。

 もしかしたら上辺だけで道を外れればそういった人達もいるかもしれないが、少なくとも馬車が道行く先々ではそうは見かけなかった。

「素敵な街」

 リセッシュ家ではどうだっただろうか。

 ろくに外にも出られなかったからか、街並みの変化に意識を向ける余裕などなかったと思う。

 憶えているのは、そう。とても小さな頃、まだ実母が生きていた時に街の市場に連れて行ってもらったことがあった。街頭で売られている小さな花束とチョコレート菓子を買って貰い一緒に食べたな、とそんなことを思い出しては密かに懐かしんだ。

「お母様……」

 心細さから微かに瞳を細める。

 愛情を向けてくれた相手は、もういない。

 それはきっと嫁いでからもそうだろう。

 愛情なんてものは……分からないままでいい。そうすれば幸せでいられるのだから。

 ガタン……!

 一際大きく馬車が揺れたかと思うと、馬車は止まりアンバーが慌てて馬車の扉を開けた。

「長旅お疲れ様でございました、イヴリース様。ここが我が屋敷ファブリーゼ家でございます!」

 そう言って、まずはイヴの手を取るとそっと外へと連れ出した。途端、まるでイヴのことを歓歓迎するかのようにフワリと一陣の風が吹き、イヴの長い黒髪が空へと流れて舞い上がる。キルシェブリューテの髪飾りが、陽光に照らされて綺麗に瞬いた。

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