これは悲しく辛い愛の物語

@sink2525

願いが叶うなら

 沈んでいく太陽を眺めながら、彼女は言う。

「ねぇ、なんでも願いが叶うっていわれてる場所知ってる?」

「知らないな」

「そっかー、結構有名だよ!?」

「そうなのか? そんな場所あったすぐに行きたいけどな」

「何を願うの?」

「なんもないな」

「えーじゃー行っても意味ないじゃん」

「まあ、今が一番幸せだってことだよ」

「そっか」

 彼女は、そっと俺の手を繋ぐ。指を絡ませて深く、恋人繋ぎをする。

「そっちは、何を願うの?」

「んーとね、この時間がずっと続きますようにかな」

「願わなくてもずっと続くよ」

「そうだと良いな〜」

「でもさ、永遠はないよ、きっと」

 悲しい顔をしながら言う彼女。

「永遠って、いいことなのか?」

「うーん、いいとは思うよ。誰だって死にたくないし、私は、君と一緒にいたいよ」

「確かに、死にたくないな。まあ、ずっと一緒にいるよから大丈夫でしょ」

「ありがと」

 楽しそうな顔をして、また、暗い表情をする彼女。

「もしさ、私がこの世界からいなくなったら、どうする?」

「もちろん、見つかるまで探すよ、どんなに辛いことがあって、探して、探し続けるよ」

 彼女は突然泣き始める。俺は、慌てて言う。

「どうしたの?大丈夫?」

「いや、格好いいなって思って」

「なんだよそれ」

 少し照れながら言う。

 そして、彼女はこの世からいなくなる。


 美波志保がいなくなってから四日が経っていた。

 志保は俺の彼女だ、そんな大切な人がいなくなってから俺は、ずっと不安に満ちていた。毎日電話をしても出る様子はない。

 大丈夫なのかな。不安になる。もしかしたら、なんて考えてしまう。

 志保のいない学校はいつも通り騒がしくて、志保がいてもいなくても変わらなかった。

 窓から見える景色を眺める。なあ、志保、どこにいるんだよ。

 学校に居る時何度もスマホを確認する。志保から連絡があるんじゃないかって。そう思ってしまう。それくらい追い込まれている。

 お願いだ、電話をしてくれ。

 ずっと暗い画面のままのスマホを眺める。もう、怖いよ。もしかしたら、志保。君は死んでいるんじゃないか。

 教室は騒がしいのに俺の心は沈む一方だった。誰か俺を助けてくれ。現実から目を背けるため俺は机に伏せた。

 こんなの現実じゃない。


 やがて、夏が来た。夏の暑さは毎年異常だ。この凍り切った心まで溶かしてくれたらどんだけ楽なんだろう。

 志保は学校に来ていないため、不登校と噂された。そんな子じゃない、志保は真面目な子だ。真面目の子だよな。確信が持てない。もう、わからなくなっていた。

 スマホの壁紙を見る、俺と志保のツーショット。二人とも幸せな顔をしている。

 なんでだよ、なんで、なんで、消えたんだよ。教室はクーラーで冷えているのに、なぜか顔が汗で流れる。

 大丈夫、志保は生きてるよな。スマホに映る自分の悲しい顔を見ながら、そう自分に言い聞かせた。

 

 夏休みが来た、長い長い夏休み。でも、こんな長い夏休みでも、志保がいない期間の方が長い。

 俺は、志保に電話をする。今日で百回目だ。

 もちろん、出ることはなかった。

 夏の暑さにスマホが熱くある。いっそ、俺を壊してくれ。雲ひとつない空を見る。

 あ、ああ、空飛びてえな。空を飛んで君を探したいよ。

 経済力もない、学力もない。志保もいない、俺は何が残るんだ?

 溶け始めているアイスを力いっぱいかじった。


 そして、秋が来た。なあ、志保。話したいことが沢山あるんだ。クラスで人気にカップルができたとか。俺が、テストで学年一位だったとか。

 話さしてくれよ、頼むから。お願い。

 紅葉が綺麗に咲いているとか、読書の秋とかどうでもいいんだ。ただ、君がいたらそれだけでいいんだ。お願いだ。お願い。

 志保が来ていない学校は、もう志保なんていない存在になっていた。なんで、みんな忘れるんだよ。忘れちゃだめだろ。

 志保がいないんだぞ。志保が。八つ当たりをしているのは自覚している、だけど、こうしていないと、もうダメなんだ。すぐに崩れてしまうだ心が。


 今日ね、面白いことがあったんだよ、聞いてくれよ志保。先生がね、みんなの前で君が死んだっていうんだよ。そんな酷いこと言える先生なんて初めてだよ。

 よく、そんな冗談言えるよな。最低だよほんと。志保が死んだって。なんだよそれ。なんだよ、それ。

 濡れゆくスマホ。教室は俺しかいなかった。

 外は大雨で、うるさかった。

 なあ、嘘って言ってくれよ。頼む電話をしてくれ。じゃなきゃ、もう、もう無理だよ。

 滲む視界のなかスマホを眺め続ける。

 「うわあああああああああ」

 叫び声が響く、どこまでも、どこまでも。ずっと遠くに。

 机を叩く。どうしてだよ、どうして、どうして、志保なんだよ。強く叩いてるのに全く手は痛くなかった。

 志保、頼むよ。お願いだ。



 やがて冬が来た。俺の顔は酷く老けていた。高校生とは思えないほどの目のくまに、膨れている瞼。

 ずっと、頭の中で何かが動いているんだ。いくら、洗っても、消えないんだ。

 洞窟? 海? トンネル?  みたいな、わけのわからないのがずっと頭に動いているんだ。

 もうおかしくなっている。

 冬の寒さは、本格的に寒く、マフラーを着けなきゃ首がやられそうになる。

 志保からもらったマフラーを巻いて、家を出た。

 雪が降っていて、その雪一つ一つに意味なんてないのに、特別な感じがする。綺麗だな。

 雪が積もって重くなる足が、さらに重く感じた。

 マフラーに触れ思い出す。あの時、最後に会ったあの日、志保は何を考えていたんだよ。どうすればよかったんだよ。

 うす暗い空を眺めながらゆくっりと歩き始めた。倒れそうになりながら。



「おい、おい、山田優紀」

「は、はい」

 山田優紀? あ、ああ俺の名前か。俺は先生に呼ばれ通知表を受け取った。

「お前大丈夫か」

「は、はい」

 大丈夫、大丈夫だよ。揺れる体。揺れる視界。おぼつかない足。次の瞬間俺は倒れる。


 初めて見る天井。きっと病院だ。重たい体を起こす。手に力が入らない。

 ノック音が鳴り、ドアが開く。優しそうな看護師が俺の所に来る。

「大丈夫ですか?」

 目の前で手を振り、俺の生存確認をする。生きてますよ。生きてるけど生きた心地がしないんだよ。

 どうやら、学校で倒れて病院に運ばれたそうだ。そのまま、死んでもよかったのに。は、はは。

 本当に壊れてしまった。ずっと出口のないトンネルを歩き続ける感覚になっている。光なんてどこにもない。

 誰か、俺を、俺を。

「体温測りますねー」

「うわー結構高いですね。ゆっくり休んでくださいね、後でまた来ますから」

 看護師の声が耳を通らなかった。

 ドアの奥側の病室の名札に目がいく。

『美波志保』

 い、いや、まさかな、まさか。

「ダメですよ、今動いたら」

 ただ前に進む。ゆっくりと、ゆっくり。

 もしかしたら、まだ、生きてるのかもしれない。

 全部が嘘で、生きてるかもしれない。ベットから落ちる。四つん這いになりながら前に進む。はあ、はあ。呼吸を忘れるほど。

 手に力が入らない。足に力が入らない。痛い、体中が痛い。けど、だけど、一番心が痛い。壊れそう。吐きそう。泣きそう。

 ゆっくり、ゆっくりと。前に進む。

 足に力を入れて立ち上がる。震える足。震える手。

 取っ手口に手を掛ける。このドアを開ければ。すべてが分かる。けど、もし、もし、違ったら俺は認めないといけない。志保は死んだと。

 力が入らない手で勢いよくドアを開ける。

 全身の力が抜け、崩れ落ちる。全部。なにもかも全部。生きているよりよっぽど辛い彼女がいた。

 志保は生きてる。今目の前で寝ている。いや、意識がないんだろう。ずっと寝ている。もう目を覚ますことはないと思ってしまうほどの状態だった。

 前までの志保とはすべてが違った。

 やせ細った腕。顔の筋肉が無くなって浮かぶ骨、細くなっている顔。骨しか残っていない体。すべてが違う。

 視界がぼやける中、俺は頭を床に当て続ける。これは夢だ。夢だ。

 周りの人たちが俺を止めようとする。

 こんな世界滅んでしまえ。



 意識がもうろうとするなか、ある考えが浮かぶ。死のうかな。

 志保は見た感じ、意識が戻ることはない。だから、死んだと学校に伝えたんだろう。なんだよそれ、まだ生きてるんじゃん。生きてるじゃん...。

 お昼の検査が終え、志保の病室に向かう。

 誰にもバレないように中に入る。

 志保の横に座り、そっと手を握る。志保、何があったか俺に教えてくれないか? そしたらさ、救えるから。助けるから。なあ、頼むよ。強く握っても返事はない。いくら叫ぼうが、 いくら名前を呼んでも、届くことはない。俺が代わりに死ぬから、志保、君は生きて欲しいよ。

 どうせ俺はもう少しで死ぬんだ。小さい頃から心臓が悪くて、高校を卒業できるか怪しいと言われてる。

 だから、頼む、俺が代わりに死ぬから、志保を生き返らしてくれよ。なあ、頼むよ神様。

 届くことはなく、太陽は沈んで行く。



 入院をしてから、三日目 今日は心臓の検査があるみたいだ。どうせ、やっても意味ないのに。

 検査は数秒程度で終わった。いつもは、数時間必要なのに。どうしてだ。

 医者に呼ばれ検査結果を伝えられる。

「異常なしだね」

「え? そんなわけありません、だって昔から心臓が悪いって」

「いや? 別に異常なんてないよ」

「そんな、そんなわけ、ちょっと待ってください、紙もってきます」

 前に診察を受けた紙を持っているはず、その紙に、余命数年と書いてあったはずだ。俺は急いで病室に向かう。

 鞄を漁る、ない、紙がない。どこかに忘れたのか。

 まさか、俺は志保の部屋に向かう。

 ごめんね志保少し鞄を漁らして。鞄を開ける。

 中には紙が入っていた。

 俺が余命数年と書かれている紙が。どうして持ってるんだよ、いつの間に。やっぱり、君には叶わないな。

 俺は、志保のスマホを持ち病室を出た。自分の部屋に戻り、私服に着替える、そして自分のスマホと早百合のスマホを持つ。

 必ず救うよ。

 俺は病院を出た。



 あの日の出来事を思い出す。あの時志保は言っていた。『なんでも願いが叶う場所って知ってる?』こんなことを言っていた。

 つまり、俺の心臓のことを知って志保は願いが叶う場所を探した。そして、見つけたんだ願いが叶う場所を。けど、犠牲が必要だった。だから、志保はあんな姿になったんだろう。

 これは、俺の考えだ。けど、全部辻褄が合うんだ。大丈夫俺が必ず救うよ。

 志保のスマホに電源を入れる。スマホは初期化されていた。

 やっぱりか、俺がこうすることは分かっていたんだろう。でも、無駄だよ、必ず見つける。そして、志保。君を救う。



 願いが叶う場所を探し続けて半年。

 俺は毎日志保の見舞いに行っている。いつ来ても、ずっと寝ている。本当に目を覚ますことはないんだな。

 願いが叶う場所は、ある程度目星がついている。けどさ、怖いんだ。行ってしまったら志保の顔を見ることも、一緒に映画を観ることもできない、ご飯を食べることも、放課後一緒に帰ることも、何もかもできなくなってしまうんだ。

 俺は今淡い期待をしてるんだ、もしかしたら、明日、目が覚めるんじゃないかって。馬鹿だよね、そんなこと絶対に起きないのに。

 俺のためにありがとね。頬を触る。筋肉が落ち。骨が浮かんでる顔をそっと、撫でる。

 俺は、病室を出ようとする。その時、志保のお母さんが病室に入ってくる。

「優紀さん?」

「はい」

「あ、ああああ」

 何か希望を見つけたようなに泣き始める。

「ずっと、これを渡したかったの」

 お母さんは俺に手を伸ばす。手には手紙を持っていた。

 俺は、手紙を受け取る。

 「ありがとうございます」

 手紙を受け取って病室を出ようとする。

「いつでもきていいからね、きっと志保も喜んでるでしょう」

「はい」

 多分、もう来ることはない。いや、もう来れない。受け取った手紙をポケットに入れて。病室を出た。



 〇〇市で降りるお客様、忘れ物に注意して降りてください。

 アナウンスの人っていい声だよな。どうでもいいことを思いながら降りる。

 首にマフラーを巻き、駅から出る。今年一の大雪ね。ありえない量の雪が降り、温度もマイナス近くになっている。

 全然寒くないな。あの日から、時間、体の体温すべてが止まっている。

 さて、向かうか。雪なんか積もっていないのに足が重く感じたが、そんなこと気にせず歩く。

 人の気配がない田舎。バスは一時間に一本あるかないか。畑は雪が積もりダメになっている。ふと空を眺める、綺麗な雪粒。今日は、より綺麗に見える。今日で終わりか...。

 マフラーを強く巻き、歩く。


 田舎に来て、さらに田舎に来ていた。バスも通っていなく人が住める場所ではない。ここにあるのか。願いが叶う場所。

 やがて、道は無くなり、山道しかなくなっていた。木々を遮り前に進んでいく。志保は一人でここに来たのかよ。立派な木がいくつもあって、この木を切るなら何か代償が必要なくらい。そんな立派な木が立ってある。

 立派な木なんかどうでもよく、ただ前に進み続ける。歩くこと二時間頂上が見えてきた。

 足は腫れそうなくらいパンパンになっていて。雪が降っているのに、汗が止まらなかった。

 そして、頂上に上る。

 凄まじい風が吹く。

 凄い。高いビル、人、車、全部が小さく見える。一緒に見たかったな。

 横を向く。

 横の景色は違っていた、暗いトンネルのような、海が見えそうなトンネル。頭の中で動いていたトンネルだ。神様は俺にヒントを与えていたんだな。

 少し休憩をしよう。

 素晴らしい景色が見えるベンチに座る。人は誰もいない。世界で俺と志保しか知らないんだろう。まあ、普通の人はここに来ないか。

 まだ、見ることができていない手紙を取る。

 もう、見てもいいよな。

 手紙を開く。

「おはよう! こんばんは! こんにちは! いつ手紙を見てもいいように工夫したよ。これでいつでも挨拶はできるね。

 まあ、この手紙を読んでるってことは、私はきっと死んでるんだよね。今優紀は願いが叶う場所にいるでしょ? いるんだったら今すぐ帰ってね。私の気持ちを踏みにじらないでね。お願い。優紀には幸せでいて欲しいんだ、たくさんの幸せを貰った。たくさんの思い出を貰った。たくさんの愛を貰った。本当に幸せだったよ。

 優紀と初めて会ったのは確か、中学の時だよね。私が転入してきてクラスに馴染めない時優しくしてくれた。そんな小さなことが嬉しかったよ。それから、毎日喋っていく中で私と、優斗は恋をしたんだよね。優紀からの告白、あれは一生の思い出だよ。ロマンチックな夜景をバックにしたら誰だって好きになっちゃうよ。まあ、私は最初から好きだったけど。

 でさ、覚えてる? あの夏祭り、人が多くて私が迷子になって迷惑を掛けたよね。ごめんね。あの時花火を楽しみにしてたのに。まあ、そのあと何回も祭りに行ったから許してね。

 それで、バレンタイン。いやー私って結構料理得意だと思っていたのにな~。あんな焦げてるクッキーを優紀は美味しそうに食べてくれて嬉しかったよ。本当は高校の時に進化して美味しいクッキー渡すはずだったのにな~。

 なんで願いが叶う場所を探してるかっていうとね、ある時、優紀が私の家に遊びに来た時あったでしょ? サプライズで鞄の中にプレゼントを入れようとしたの、その時だった一枚の紙を見つけたの。余命数年と書かれいる紙を見つけたの。最初はドッキリかなって思ったよ? けど、いくら待っても優紀はこのことを話すことはなかったそして思った。優紀は本当に後数年で死ぬんだって。

 どうにか助けることはできないのかって調べて、調べつくしたよ。そして、見つけたの。願いが叶う場所があるって。都市伝説みたいなもんだと思っていた。

 噂される場所に何度も行って。探し続けた。そして優紀。君が今いる場所がその願いが叶う場所だよ。

 願いが叶う場所は、本当に願いが叶うと思う。けど、犠牲が必要なんだ。なにか大きな代償が必要なんだ。私は怖かった。もし、願いが叶ったとしても、私はこの世にいないんじゃないかって、優紀と話すことも、遊ぶこともできなくなるんじゃないかって。怖くて逃げだそうとした。だけど、私は勇気を振り絞って、行くよ。だから、私のちっぽけな勇気を踏みにじらないで。お願いね。約束だよ。

 もし、今願いの叶う場所にいるなら今すぐに帰って。私が勇気を振り出してやったことだから優紀は何もする必要はない。幸せに生きて。私なんか忘れて。

 そして、最後に、愛してるよ』

 震える手。震える顔。震える体。

 無責任だよ。なにが幸せに生きてだよ。なにが私なんか忘れて生きてだよ。そんな、そんなの無理に決まってるだよ。

 死ぬ運命だったのは俺なんだよ。志保。君じゃなくて俺なんだよ。俺は、俺は、君に生きて欲しんだ。君はもっと生きるべき人間だ。この世に必要な人間なんだ。だから、俺の分まで生きてくれ。

 スマホと手紙をベンチに置き。トンネルに向かって歩く。

 雪が積もっている。一歩進むだけで、足がやられる。重たくなる。けど、どこか軽い。

 トンネルの前に立つ。

 志保は俺に生きて欲しいと願っていた。だから、俺の心臓は治っていた。長生きできるようになっていた。

 じゃあ、俺は何を願えば志保は幸せに生きることができる? 俺のことを忘れて幸せに生きて欲しい。俺の分まで生きて欲しい。こんな願いをすれば志保は俺を忘れて幸せに生きれるだろう。

 トンネルから風が吹く。

 深呼吸をする。怖い。死にたくない。二人で生きたい。二人で花火を見たい。また、クッキーを食べたい。

 怖い、怖い、怖い、怖いよ。志保はやっぱりすごいな。

 重たくて軽い足を動かす。さようなら。

 地面を蹴って走り出す。

 うす暗いトンネルに向かって。

 走って走り続ける。

 痛い、体が痛い。頭が痛い。目が痛い。全身が痛い。痛い、心が痛い。

 どうか、どうか、幸せに生きて、俺のことなんて忘れて。

 ぼやける視界。光がなくなっていくトンネル。

 さような...。




 焼くのに失敗したクッキーを片手にテレビをつける。

『今日の特集は願いが叶うと噂されているトンネルについてです』

 持っているクッキーが地面に落ちる。

「何か大切な...」

 落ちたクッキーを捨て、焦げているクッキーを一枚とる。

 クッキーを口に入れる。美味しくない。美味しく...。

 自然と涙を流す。

 こんな美味しくないクッキーを美味しそうに食べてくれた人がいた。

 私は、袋いっぱいにクッキーを入れ、家を出る。

 あの人に、あの人に。私の焦げて美味しくないクッキーを食べて欲しい。

 ちょっと進化したクッキーを。夏祭りを一緒に行って欲しい。

 あの人のいる場所に向かう、そして私の願いを叶えて欲しい。

 あの人がいる場所が、きっと願いが叶う場所だから。



 ある病室。

 ねえ、いつになったら私の、美味しくなったクッキーを食べてくれるの?

 握り返してくれることのない手を握り続ける、いつか、いつか握ってくれるかもしれないと信じて

 大丈夫私はいつまでも待つよ。だからゆっくりでいいから目を覚ましてね。



 今日はね、チョコクッキーを持ってきたよ。クッキーの中にチョコチップが入ってるの。前の私で考えられないほど上手くできてるよ。

 また、私のクッキーを食べて欲しいよ。まだ待てるよ。


 

 今日は、近くで夏祭があるんだって、懐かしよね。いつか行けるのかな? 今度は迷子にならないよ。もう大人になったからさ。 大丈夫だよ、多分待てるから優紀が目を覚ますまで。

 最近海の夢をよく見るの。なに、話してるだろう。もう時間だから行ってくるね。バイバイ。

 


 最近ね、大学の先輩がウザイの、私は誰にも興味ないのに先輩がしつこいのよ。私はずっと待っている人がいるのに。だから、早く目を覚ましてね。しつこい先輩を撃退するために。

 私と夏祭り行くために、一緒に遊ぶために。


 今年の冬は異常だよ。雪が大量に振ってね、足元も重たくて手も冷たくなるの。けどさ、どんなに冷たくても冷えていても、私の心の冷たさには勝てないの。

 どんなに寒くても、どんなに暑くても。凍り切った心を溶かすことができるのは優紀だけだよ。それじゃ、行ってくるね。その時、微かに動くのが見えた。

「優紀? 優紀?」

 微かに動く。ほんの少しだけ。私は手をそっと握る。やっと、やっとだよ。もう、目を覚ますことはないと思ってた。だから、今動いてるのは夢だと思ってしまう。

 優紀はゆっくりと体を起こす。何年も寝ていた体は、起こすことさえままならない。私は優紀の肩を支える。

「し、し、しほ」

 かすれた声で優紀は言う。何年も待った、もう、無理かとさえ思った。諦めようと思った。だけど、いつか目を覚ますと信じてた。

 久しぶりに聞く声は思った以上に変わっていなくて、あの日を思い出させる。

「志保が生きてる」

 力が入っていない手で、私の顔を撫でる。撫でている手はいつもより大きく感じた。全部を包みこんでくれそうなほど大きく感じる。

「ずっと、ずっと、待ってたよ」

「ごめんね」

 私は泣き始める、これからは二人で生きていける喜び。優紀と話せる喜び。優紀が起きてくれた喜び。

 あの日から止まってしまった時計が動き出す。

「なんか夢を見たんだ。志保がずっと泣いてる夢と、俺が手術を受けてる夢を」

「全部夢なんかじゃないよ、優紀は心臓の手術を受けたんだよ」

「そっか」

 優紀は心臓が非常に悪い状況だった。心臓がもたないと言われていた。けど、本当に奇跡的にドナーが見つかった。本当に奇跡だった。

 私がここにずっと来てたから、神様が私にプレゼントをくれたんじゃないかな。そう思ってしまうほどの奇跡だった。

「志保」

 何かが込み上げていそうな優紀が私を見つめる。

「優紀」

 私は優紀に抱き付く。その時、凍り切った心が溶けるように感じた。

「ずっと、ずっと会いたかった」

 強く抱きしめる優紀。私も負けないほど強く抱きしめる。もう、離さない。

「私のクッキーを食べて欲しい、また夏祭りに行って欲しい、また、また」

 やりたいこと口にする。今までできなかったこと。叶えたいこと。

「うん」

 私たちは泣く。今までの気持ちが溢れ出してくる。苦しさや悲しさ。すべてが涙と一緒に流れていく。

 私たちはきっと間違えていて、知っていなかった。信じ続けることが大切で。

 好きな人の隣が、願いが叶う場所だと。

 窓から見える、綺麗でどこか切ない海を眺めながら。

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