夕日の丘で
冬部 圭
夕日の丘で
佑はいつも痩せ我慢しすぎた。詩織はいつもそう言って拗ねた顔をする。僕は適当に相槌を打ちながら少しだけ佑に同情する。その他の残りの感情は嫉妬なわけだが。実際、佑はいろいろとやせ我慢していると思う。だけど、それだからこそ詩織と付き合っていけるわけで。ユウとコウ。カタカナなら僅かな違いなのにねと詩織は笑うが、こちらにとっては大きな違いだ。
放課後の生徒会室。佑は生徒会の役員でもないのに毎日生徒会長の詩織を手伝いに生徒会室に来てくれていた。書記や会計といった肩書は形骸化してしまって、僕たち下っ端が、雑用に追われているのを見かねて、手伝いを申し出てくれた。様々な議題に関して、意見は言わないが、出された意見の取りまとめをして、議事録のベースとなるメモ書きを作ってくれたのでとても助かっていた。
あの日の議題は私服登校の可否についてだった。詩織はどっちがいいとも言わなかったけれど、生徒から要望があるから、生徒総会で取り上げようか迷ってはいたようだ。普段から詩織は、「学校における生徒の自由とは何かを追求したい」と言っていた。そんな詩織の揚げ足をとるように「制服は不自由だ。だから、私服登校とするように校則を変えよう」という意見が出ていた。
僕らはこれが、どのくらい真剣な意見なのか測りかねていた。だから、全校生徒にアンケートを取ろうというところまではすんなりと意見がまとまった。
問題は、アンケートを記名にするか無記名にするかだった。生徒会の中で意見が割れた。広く本音を聞くために無記名がよいのではないかとか、自分の意見に責任を持ってもらうためには記名にするべきだとか、みんな好きなことを言って、意見がまとまる気配がなかった。
「アンケートは、記名にする」
お互いに歩み寄らない議論に対して、詩織がそう言った。彼女にとって自由とは、無責任に言いたい放題いうことではなかったので、彼女がそういう意見をもつことに納得した。
佑はその日も自分の意見は言わず、出来上がったメモ書きをそっと僕に渡してくれた。
「佑は、制服のこと、どう思ってる?」
帰り際にどうしても気になったので、佑に声をかけた。
「私服登校になったら、着てくる服がなくて困るな」
と、佑は軽い口調で自身の窮状を笑った。それから、
「校則改定を考える前に、校則をよく読んだほうがいいんじゃないかな」
と、具体的なアドバイスを付け加えてくれた。
家に帰って生徒手帳に書いてある校則を読んでみた。制服の項には、
登下校を含む学校生活の際には、学校指定の標準服を着用することを基本とする。標準服を着用しない場合は、理由を申告すること。
とあった。佑はこのことを知っていたんだ。でも黙っていた。みんなが私服登校するようになったら困るからか? そんな個人的な理由ではないような気がする。校則を変えようといっているくせに今がどうなっているのか確認していない迂闊さを指摘しただけなのかもしれない。
翌日、放課後、早速詩織にその話をしてみた。
「理由を申告することという部分が問題だと、みんな理解していたんじゃないの?」
生徒会の中でもその部分を理解していたのは詩織だけだった。「理由を申告すること」だと、どんな理由だと通るのかわからない。教員によって判断が分かれるかもしれない。詩織はそこを問題視していた。
拡大解釈すれば理由を申告すればそれでいいのではとも思ったが、それは無理筋なので、口には出さなかった。
結局、生徒会では私服登校が認められる理由を明確にすることを求める方向で、学内のアンケートをとることにした。
生徒会の中で予めどちらが良いかは決めずに、集められた意見に誠実に向き合うこととしたため、大きな混乱なく、意見を取りまとめることができた。
「佑、ありがとう。おかげで論点が整理できた」
生徒総会の後でそうお礼を言うと、佑は
「そんなにたいそうなことじゃないよ」
と笑った。
生徒総会が終わって、次の生徒会への引継ぎを終わらせた。
「康、帰ろう」
帰り支度を済ませた佑が声をかけてくれる。詩織も鞄を用意している。
生徒会室を出て鍵をかける。鍵を後輩たちに渡して、僕たちの生徒会活動が終わる。佑と詩織は同じ方面だから、二人は仲良く肩を並べて帰っていく。
今日まで当たり前だったことが、明日からは変わっていく。いつまであの二人は一緒にいられるのだろう。
秋になって、僕は受験の準備をしていた。
「康、聞いて」
ある日のこと、昼休み、詩織が怒ったような、困ったような、微妙な顔をして僕のクラスを訪れる。
「佑は進学しないって。就職するって言ってる」
それは知ってた。
「私の邪魔をしないように、しばらく一緒に帰らないって言ってる」
邪魔なんて思っていないのに。詩織はそう言って溜め息をつく。
「僕が話をしてみるよ」
どうにかなるとは思わないけど、この場を収めるためにそう提案した。
「佑、一緒に帰ろう」
一緒に帰るには方向が全く逆だけど、そんなことは気にしない。
「詩織に何か言われた?」
訝しげにしながら、佑は「いいよ」と答えてくれた。
佑の家のほうへ歩いて帰る。
「佑には言わなかったけど」
歩きながら話しかける。
「僕、詩織のことが好きだ」
「知ってる」
僕の渾身の告白に対して、佑は短く答える。そうか。知ってたか。
山の向こうに夕日が沈もうとしている。
「詩織が何か気に障ることをしたんじゃなければ」
あと少しだけでも好きにさせてあげてほしい。そんなの僕のわがままだ。佑の葛藤はわかるような気がする。詩織の葛藤もわかる。いつまでも一緒にいられない。
どうすればずっと一緒にいられるか答えが出ない。そんなところだと思う。
「夕日がきれいだよ」
本当に夕日を見ていたのかわからないけれど、佑がそんなことを言った。
「そうだね」
佑のペースで会話が進んでいるのを感じる。
「いつまでも一緒にいられるわけじゃなくても」
少しでも伝えたいことを伝えなければ。何のために僕はいるのかわからない。
「できる限り一緒にいてほしい」
「康と?」
わかっているくせに佑はとぼけた。窘めようとしたら、すぐに、
「ありがと。よく考えてみるよ」
と佑は笑った。
それから、卒業までの間、詩織と佑は一緒に帰っていたみたいだ。二人の関係を取り持つのに少し関わることができて、僕はほっとした。
高校を卒業した後、不人情な僕は高校のクラスメイトとはあまり連絡を取らなかった。詩織と佑がその後どうしたのか知りたくなかったからかもしれない。
大学を出て落ち着いたころに、高校の同窓会の案内があった。僕はようやく二人への気持ちに整理がついたので、同窓会に出ることにした。
残念ながら、詩織も佑も同窓会には来ていなかった。だけど、欠席者からのメッセージのコーナーに二人の名前を見つけることができた。
名前と短いメッセージを見つけただけだったけれど、高校を出た後の二人のことがおおよそ分かったような気がして、少し涙が零れた。
夕日の丘で 冬部 圭 @kay_fuyube
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