第14話
その日の学校帰り。俺たちデジ研部員は部活動が終わったあと、近くにある大型書店に足を運んでいた。美琴が体験入部したこともあり、デジ絵の入門書を買おうかという話になったのだ。そして四人で相談しながら二冊ほど購入したあと、個人的に買いたい本もあったため一旦解散し一時間後に入り口で集合することに決めた。
そのあと、玲央は漫画、美琴はファッション誌、俺は参考書コーナーへと移動する。
そして猫は……ずっと俺の後ろをついてくるのだった――。
「えっとぉ……。猫はなにか買いたい本とかないのかな?」
「別にない」
「でも、俺の横で参考書ばかり見ててもつまんないだろ。なにか適当に興味ある本でも見てきたらどう?」
「特にない。迷惑だったら行くけど……」
いつもの調子で言葉少なに返答する猫だが、これは不機嫌モード突入直前だとわかる。
「い、いや、全然迷惑じゃないけど! だったら、一緒に良さそうな参考書探してよ」
「うん。探す!」
危なかった。俺の提案に、なんとか上機嫌モードへ移行してくれたようだ。無表情のままだが声のトーンや目の輝き具合で、猫の心境の変化はある程度わかる。しかしこのスキルは、長年の付き合いである俺たちでないと会得できないだろう――。
そのあと一時間ほどかけて、一冊の参考書を選んで購入した俺と猫。そして『そろそろ約束の時間だし、待ち合わせ場所に行くか』と言いながら書店の入り口へと向かって進むその道中、猫は棒付きキャンディを舐めながら不思議そうに確認してくるのだった。
「圭ちゃんは、どうしてそんなに勉強ばかりしてるの?」
「勉強ばかり? 俺が? 塾も行ってないし、そんなこともないと思うんだけど……。俺ってそんなガリ勉なイメージか?」
「だって学年末も五位だったし。中等部でもずっと上位だった」
「中等部で上位だったのは三年の途中からだよ」
「でも剣道部でいっぱい頑張ってたのに、勉強も頑張るなんてすごい」
その言葉を聞いた俺は周りを見渡したあと、猫に小声で耳打ちする。
「……なぁ、猫。勉強できる奴って、格好いいと思うか?」
「うん。格好いいよ」
「そうか……。なるほど、なるほど。うん……。猫には言ってもいいか」
「どうしたの?」
「……実はな、猫。……ここだけの話だぞ。絶対誰にも言うなよ」
「うん……(ごくり)」
「俺が勉強頑張ってるのには、理由があるんだ」
「……そうなの?」
「テスト結果って、上位だけが毎回廊下に張り出されるだろ?」
「うん」
「そこに名前があったら格好いいだろ?」
「うん?」
「だから勉強してるんだ。誰にも言うなよ」
「……へ? それだけ?」
「それだけってなんだよ。俺は格好いい男になりたいんだ」
「どこか行きたい大学があるとか、なりたい職業があるとか――」
「ないよ。全然。今はね」
「ほんとに格好よくなりたいだけ?」
「本当だよ。だって部活ってさ。どれだけ頑張っても校内で発表されるのって全国行ったときくらいだろ? だから年一、二回しか格好よくなれるチャンスがないじゃん。でも、テストなら年に何回もチャンスがあるだろ?」
「くっ……。くくく……」
「だってさ。なにか目立った特技がないような俺でも、教科書と参考書読んで暗記するだけで格好良くなれるなんて、こんなヌルゲー、他になくないか?」
「ふふふ……。うふふふ……」
「あれ? なんだよ、笑ってるのか? 猫が声出して笑うって珍しいな」
「だって……。それって、めちゃ格好悪い。くくく……」
「ええ?! 格好悪い?! マジか!」
「うん……。でも、めちゃ格好いい」
「どっちなんだ?!」
「やっぱ圭ちゃんでよかった」
「なんだよそれ。どういう意味だ?」
「どういう意味だと思う?」
なんだよ、そのラブコメのヒロインみたいなセリフは――と言いかけたそのとき、猫が一人の男性客と強くぶつかってしまった。
その場に強く尻餅をつく猫。相手の男性は少しよろめいて一歩だけ後ろへ下がるが、その上着には猫が舐めていた棒付きキャンディがべったりと張り付いているのが見えた。
これはまずいと察知した俺は猫の手を取り立たせたあとで、二人揃って頭を下げる。
すると突然、俺の頭に強い痛みが走った。
驚いたことに、相手の男が俺の頭を上から殴りつけたのだ。
「圭ちゃん!」
珍しく大声を出した猫に、俺は手を上げ大丈夫だからと合図する。そして殴られた頭を手でさすり、血が出ていないことを確認しながらも、こんな状況にも関わらず俺は冷静だと自覚できていた。なぜなら、知らない男に突然殴られたのには驚いたが、怖いという気持ちよりも『なんで俺が?』という疑問が先に立っていたからだ。
まずはその疑問を相手にぶつけてみようかと思ったのだが、興奮した男は額がつくほど顔を近づけこちらを睨み始める。所謂『ガンを飛ばす』というやつか。
ここで気づいたのだが、彼は俺たちと同じ制服を着た学生――すなわち天河学院の生徒だったようだ。しかし、彼の染めた長髪や両耳のピアス、そして派手なネックレスが、容易にお友達にはなれないことを物語っていた――。
「てめえら、どこ見て歩いてんだぁ!」
書店内に男の怒声が響くと、猫は俺の後ろに隠れながら小さく声を出した。
「ご、ごめんなさい……」
怯えた子猫のように震えている猫。俺もこれ以上騒ぎになってはまずいと思い、もう一度謝罪しながら頭を下げる。しかし彼の怒りは治まらない。
「お前、A組の渋谷だろぉ。なんだぁ? その詫びの入れ方はよぉ」
「え……俺?」
「そいつぁ、お前の連れだろがぁ! 土下座だよ! そこに土下座ぁ! 調子に乗ってんじゃねえぞ! ったく……。マイプリにあんなことしやがって……」
――うん? マイプリ? 今最後に小さな声でマイプリって言ったよな。
マイプリンセスってことは、あの桜川蝶花のことか? チョカの知り合い?
あんなことってなんのこと? ってまさか、この前のお姫様抱っこのことか?!
もしかして嫉妬? ってことは、この男はチョカの彼氏?! マジ?!
しかしまあ、あんな超絶美人のチョカに恋人がいない方がおかしいし、それに自分の彼女にあんなことされたらキレるわな……。彼氏がいるのに俺に惚れてるとか勘違いしてたなんて恥ずかしい! また調子に乗って勘違いしてしまった。
よしわかった。猫に被害が出ることなく、俺が詫びて済む程度の話なら、土下座くらいいくらでもくれてやる――。
そんなことを思いながら、膝をつき綺麗な土下座をお見舞いしようと頭を下げ始める俺。ついでにこの土下座には『彼女にあんなことしてごめんなさい』の意味を込めることにした。
するとそのとき、猫も隣で膝を付くのが目に入る。彼女も俺に並んで土下座しようとしていたのだ。しかし猫にそんなことをさせてはならないと考えた俺は、猫を静止しようと頭を上げた。と同時、男が俺の顔面に向かって蹴りを放つのが見えたのだった。
――まずい。今俺がやられると猫を守ることができなくなる。避けて反撃するか――そんなことが脳裏によぎった瞬間。
男は突如、膝をつき崩れ落ちる。
そしてその背後から現れたのは、倒れた男を冷たい表情で上から見下ろす勇者様――ではなく美琴であった。
「ちょっと、圭太。なに好きなようにやられてんのよ」
いつの間にか待ち合わせ場所に来ていたようだが、男の背後にこっそり近づき股間を蹴り上げたらしい。結果、その男は床に転がりながら、脂汗をかき始めている。
「こいつ、去年あたしと同じクラスだったよ。名前は……なんだっけ?」
「俺に聞かれても知らんし。もろに入ったけど……大丈夫かな」
「なに相手の心配してんのよ。それより、なにがあったの?」
「猫がちょっとぶつかったら、からんできてな。でも、猫というより俺のことが気に入らなかったみたいだ」
「圭太のことが? なんで?」
「それは――」
その一瞬――俺たちが目を離した隙をみて男が立ち上がる。
そして鬼のような形相で、俺の前に立つ美琴に殴りかかる姿が見えた。
それに気づいた美琴が、両手を上げて身構える。
このままでは俺が前に出ても、間に合わない。
時間の流れがスローモーションのように感じる中、俺は咄嗟に美琴の襟首を掴み、後ろに引いて胸元に抱き寄せた。
同時に男のパンチが空振りし前のめりとなった瞬間、俺の拳がクロスカウンターで顔面にヒット――すると同時に、美琴の蹴りが再び股間に直撃していた。
そして男は白目をむいて気を失い、膝から崩れ落ちる。
俺の拳にはあまり手ごたえがなかったので、完全に美琴の蹴りが有効だったと言えよう。
それは彼の将来が心配になるほどの、見事なクリティカルヒットだった。
ご愁傷様――。
「あ、ありがとね。圭太……。助けてくれて……」
俺はその言葉で我に返り、慌てて美琴から離れた。
「い、いや、別に俺はなにもしてない……って、そんなことより! 美琴はどうしてアソコばっか蹴るんだよ!」
「だって男は……痛いんでしょ?」
「いや、痛いなんてもんじゃないから! ほんとこの人、大丈夫かな……」
すると猫が美琴の袖を摘まみ、今にも泣き出しそうな声を出す。
「美琴っち。ありがと……」
「ま、まあ、無事でよかったし」
美琴は照れ臭そうにしながらも、やれやれという顔で猫の背中をポンポンと叩いた。
小学生の頃も、こんなシーンを何度か見たような気がする。言い争うことは多くても、美琴はここぞというときは猫を助けてあげるのだ。頼れる男……いや女だ。
「圭ちゃんも、ごめんね」
「いや、猫のせいじゃないよ。俺に個人的な怨みがあったみたいだし」
そう言いながら、涙目の猫の頭を撫でる俺。すると、美琴がその手をぐっと掴み、怪訝な顔をしながら確認してくる。
「ちょっと、なに撫でてんの……じゃなくて、なによ、個人的な怨みって。原因は圭太だったの? これになにかやったの?」
「そ、それは……。また今度話すよ」
美琴に『これ』呼ばわりされているその男は、床に倒れたままだ。それなのに書店の店員は我関せずで誰も近寄ってこない状況。小心者の俺は、このまま放置したままでいいのか、救急車を呼ばなくてもいいのか、本当に心配になってきた。
しかし、美琴は涼しい顔で他人事のように提案してくる。
「ここは店員さんに任せて早く離れた方がいいんじゃない? 警察呼ばれたらいろいろ聞かれて面倒でしょ」
俺は『面倒起こしたのはお前だろ』と突っ込みを入れたくなったが、ここから離れた方がいいという意見には同意だった。
しかしもう一人、ここにいるはずのデジ研部長がいないことに気づく。
「あれ、玲央は? もう待ち合わせの時間過ぎてるのに」
「玲央なら、ずっとあそこにいるじゃん」
美琴がそう言って指差した先には、柱の影から顔だけ出して白い顔で除き見している玲央の姿があった。
「玲央……」
「お、お待たせぇ!」
玲央は、デートの待ち合わせに遅れてきたかのような軽いノリで、片手を振りながら小走りでこちらに近づいてきた。そしてもう片方の手にはなぜか『新春大売出し!』と書かれた旗のついたノボリを持っている。
「それ、なに持ってんだ?」
「あ、これ? 圭太に竹刀の代わりになるもの渡してあげようと思って探してたんだ。でもこれしかなくてね。遅かったかぁ……」
「そういうことか……」
「いや、僕もなにかあれば加勢しようと思ったんだよ? でも、リアルPvP負けなしの圭太と美琴もいるし、戦闘力ゼロの僕がいても邪魔になるだろうし……。で、でも、すぐに警察呼べる準備はしてたから!」
「玲央っち、全然格好よくない……」
猫の冷たい突っ込みで玲央は『ごめん』と頭を下げた。
小学生の頃も、たまに同級生にからまれたりして争いごとが起こることもあったのだが、前に出るのはいつも俺と美琴だった。しかし、俺はそれで玲央を責めたことはない。なぜなら玲央は、人一倍怖がりだと知っていたからだ。
それに身体も小さく運動も苦手で腕力も弱い。逆にどこかに隠れてくれている方が俺や美琴にとっても都合がよかったのだ――。
「でもさぁ、猫も気をつけないとね。昔からほんと、トラブルメーカーなんだから」
「玲央っちも人のこと言えない。それより早くここから――」
と、猫がそう言いながら鞄から二本目の棒付きキャンディを取り出し一舐めした、その矢先――彼女は再び別の客に衝突し、強く尻餅をついてしまう。
「おい……。もう勘弁してくれ……」
俺は心底疲れ果てた状態で猫の両脇を抱え立たせたあと、これは土下座程度ですまないかもと覚悟しながら猫と一緒に頭を下げる。なぜなら今度の相手は同級生ではなく、黒いスーツにサングラスをした体格のいい男性で、見るからに堅気ではない様子だったからだ。
そして最悪なことに、その高そうなスーツの上着には、舐めたばかりの棒付きキャンディーがべったりと張り付いているのだった。
「猫……。あのキャンディ、もう外で舐めるのやめような」
「りょ……。次からはガムにする」
俺たちが頭を下げながらそんな言葉を口にしたとき、思わぬ助けが入るのだった――。
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