第9話

 それから一週間が過ぎた頃。

 とある休日に僕は、美琴から人気のない近所の公園へ呼び出される。

 あれからなにも悪さはしていないはずなのだが、もしかして今度こそフルボッコにされるのかもと内心恐怖していた僕。

 しかし、美琴が最初に発した言葉は予想外のものだった――。


「失敗したわ」

 僕は彼女がなんのことを言ってるのかまったく理解できず、五秒ほど固まってしまう。

 すると美琴は片方の眉を吊り上げ、少しイラついた様子で質問してきた。

「ちょっと、玲央。聞いてる?」

「……え。あ、ごめん。えっとぉ。なんの話かな?」

「なんの話って、この前話したでしょ。圭太のスマホの件」

「ああ、あれの話ね。圭太から聞いたよ。ちゃんと会話できたんだよね」

「そう。会話はうまくできたんだけど……」

「あ、そうだ。圭太に聞いたけど、美琴も自分のスマホ見せたんだって? 圭太が『パスワードが自分の誕生日だったのを当てたら逃げられた』って恥ずかしそうに言ってたよ。美琴がそこまで準備してたなんてびっくりしたな。でもアピールとしては完璧――」

「違うのよ!」

「え? なにが違うの?」

「あれは作戦とかアピールとかじゃないの。パスワードを圭太の誕生日にしてたのは、スマホ初めて買ったときからずっとだったから……」

「あははは。乙女だね。でもそれじゃ、パスワードは偶然当てられたってことだったんだ。それはパニクるか。だから恥ずかしくなって圭太の前から逃げたんだ。あははは」

「失敗したわ……」

「それが失敗ってこと? 僕は逆に成功だと思ったけどな。圭太、あれからずっと美琴のこと意識してるみたいだし」

 そう。ここ最近の圭太は美琴の話ばかりだ。それで僕も少しイラついていた。

「そ、そうなの? これって成功なの? でも、これからどうしたらいいのかわからなくなって。だから玲央に相談しようと思って呼びだしたの」

「ええ? なにがわからないの? なにも問題ないように思うけどなぁ」

「違うのよ! あれから圭太が毎日のようにあたしを追い回して声をかけてくるんだけど、絶対パスワードが誕生日だった理由を聞きたいから決まってるわ! 偶然一緒だったとか言い訳して通用するかな」

「そんな嘘つかなくても、正直に説明したらいいじゃん」

「正直にってどういう……」

「圭太の誕生日にしてたんだよ、って言えばいいじゃんか」

「え? いいの?」

「え? 駄目なの?」

「だってそれって、あたしたちの協定を破ることになると思って……」

「ああ、そっか……。なるほど。確かにまずいかも。猫とチョカが聞いたら黙ってないかもね」


 ――そう。僕たちには守るべき協定がある。

 正しくは圭太を除く、幼馴染四人で取り決めた協定。

 それは小学校の卒業式の日に皆で話し合ったことなんだ。

 その約束に僕たち四人はずっと縛られて生きている――。


「ねぇ、玲央! ちょっと聞いてる?!」

「あ、ああ。ごめん。なんだっけ?」

「だからぁ。なにかうまい言い訳できないか一緒に考えてよ。あれからずっと気まずい雰囲気でさ。それと、なんとかまた、話すきっかけ作れないかな」

「いやいや、ちょっと待ってよ。協力するのはあのときだけって言ったよね」

「でも、スマホ作戦は結果的に失敗したんだし」

「失敗したのは美琴の――えっ?!」

 僕が反論しようとしたのを見計らって、美琴はスマホの画面を見せてきた。なんとそこには、美琴の制服を着てニヤついている僕の姿が映っていたのだ。あんな暗い教室だったのに、ばっちり鮮明に。スマホの性能が良すぎるのも考え物だ。

 しかし、その写真ちょっと欲しいかも――。

「い、いつの間に……」

「そりゃ、あんな場面に出くわしたら撮るに決まってるでしょ。通報するにも証拠がいるんだから」

「全然気づかなかったよ……」

「これは別に脅してるわけじゃないのよ」

「脅す人は皆そう言うんだよ」

「だって金銭要求したりしないし。ただ、ちょっとアイデアが欲しいだけだから。玲央ってあたしより賢いしさ」

「わかったけど……協力したらその写真消してくれるんだろうね」

「協力してくれるの?! わかった。消す、消す。今消す。ほら、ごみ箱からも消した。だから、なにか考えて!」

 美琴はスマホのカメラロールを僕に見せて、証拠写真が消えたことを証明してみせた。それを見て思わず『こっちが協力する前に消したら駄目でしょ』とアドバイスしてしまったが、天然な美琴はおそらくよくわかっていないだろう(というか気にしてない)。

 彼女は昔からそういう駆け引きとか姑息なことを考えるのが苦手で、だから圭太とのこともわざわざ僕に聞きに来るのだ。そんなことを考えている間も、彼女は目を輝かせながら、祈るように両手を組んで僕を見ている。それは、エサを目の前に出され『待て』と言われている子犬のようだ。

 僕は写真を撮られていたことにショックを受けながらも、その姿を見て反論するのも馬鹿らしくなってきた。そして結局、協力することに決めた。彼女とは昔からずっとこんな感じだ。困ったら僕に相談してきて、最終的にはいつも彼女を突き放すことができない。僕が甘いのか、意思が弱いだけなのか……。でももしかすると僕は美琴に憧れているのかもしれない。ずっと純粋で真っ直ぐで自分に嘘をつけない美琴のことを。

 もし僕が美琴みたいな女子だったら、圭太も僕のことを……彼女を見てると、そんなことをふと思ってしまう――。


「玲央。なにか思いついた?」

「そんな簡単に言わないでよ……。えっとぉ。整理すると、パスワードが圭太の誕生日と同じだったことへの言い訳と、もう一度圭太と会話するためのきっかけ作り、の二つだったよね」

「そうそう。その通り」

「まずはパスワードのことだけど……。これは『どうしてだと思う?』作戦でいこう」

「なによそれ」

「漫画とかでもよくあるでしょ? ヒロインが主人公に大事なことを質問されたら、『どうしてだと思う?』って逆質問するやつ。答えを言わずに思わせぶりな態度をとって、相手にいろいろ想像させるという、ヒロインだけに許される究極奥義さ」

「た、確かに聞いたことある」

「もし圭太がパスワードのことを聞いてきたら、はにかみながら少し意地悪な感じで『どうしてだと思う?』って答えるんだ」

「はにかみながら少し意地悪な感じ……って、どんな感じ? ちょっとやってみて」

「え? 僕が?! 嫌だよ!」

「だって、見てみないとどうやったらいいかわかんない。ほら。一回だけでいいから」

「わ、わかったよ……。一回だけだよ?」

「うん。いいから、早くやって」

「……どうしてだと思う?」

「……」

「……ちょっと。なんか言ってよ」

「ごめん。本来なら『おぇぇぇ』って吐く流れだったんだけど、あんたが可愛いすぎてちょっと自信を失ってたのよ。同時にあたしには絶対無理だとわかった」

「……無理なら普通に言ったらいいよ」

「でもさ。『どうしてだと思う?』って聞いて、『わからない』って返されたらどうする?」

「そのときは、『いいから、考えてみて』だよ」

「それでも『わからないから教えてよ』と言われたら? 『しつこいわね』でいい?」

「いいわけないでしょ! それなら最終手段の『うふふ。教えてあげない』だよ」

「な、なんだか、あたしの嫌いなタイプの女子なんだけど……。大丈夫かな」

「大丈夫だよ。心配しなくても圭太は女子に対してチキンだから、たぶんパスワードのこと聞いてくることもないって。それともう一つは……会話のきっかけがあればいいんだよね」

「うん。自然に会話できるようなきっかけがあればね。あとは自分で頑張るから」

「ホントかなぁ……。この前もそう言ってたよね」

「大丈夫。次は失敗しないから。あたし、やればできる子だから」

「わかった。それじゃあ、もう正面突破でいこうよ」

「どういうこと?」

「次の月曜に部活あるからさ。放課後、部室に来てよ。そこで僕が美琴を呼び出したって圭太と猫に説明するよ」

「え? 圭太と猫が同じ部活なの? なに部?」

「ああ、そっか。美琴は知らなかったっけ。二年になって三人で創ったんだ。まだ同好会だけど。『デジ研』っていう、パソコンでイラスト描く部」

「やられた……。猫ったら、あたしに黙ってそんなことしてたなんて。とんだ泥棒猫ね」

「いや、なにも盗ってないし。猫は、僕と圭太がデジ研に誘ったんだよ。だから、猫と衝突しないで……ね」

「衝突なんてしないわよ。それで、あたしがその部室に行ってどうするの?」

「もうそのままさ。『圭太と美琴が気まずいみたいだから僕が呼び出した』って言うから」

「なるほどね。それは確かに正面突破だわ。それに、玲央から呼び出されたっていう設定だと、あたしも行きやすいかも。そこに猫がいるのが、ちょっと気にくわないけど」

「ま、まあ、あとは状況みながら、ね。なにかあれば助けるからさ。あ……でも駄目か。美琴は部活あるよね」

「部活? 二年になって辞めたわ」

「そうだったんだ……。なんで?」

「だって、高等部で圭太も剣道部入ると思ってたのに帰宅部になってたから……」

「なんで圭太が帰宅部なら、美琴は陸上部辞めることになるの?」

「い、い、一緒に頑張ろうと思ってたのよ! 中等部のときも圭太の大会とか、こっそり見に行って励みになってたし、一緒にインハイ目指したいなとか、一緒に表彰されたいなとか、いろいろ……。悪い?!」

「いや、悪くないよ。でもほんと、乙女だね」

「う、うるさいし!」

「あははは。それで、僕が協力するのは、ここまででいいかな」

「十分よ。話すきっかけができたら、あとは自分でなんとかする。無理言ってごめん」

「前もまったく同じこと言われたような気がするんだけど……」

 そして次の月曜日、美琴は緊張した面持ちでデジ研の部室に来訪したのだった。

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