第10話 二重の記憶

 花は映像の中の自分を見つめていた。その「もう一人の花」は、彼女と全く同じ動きをする。同じ表情。同じ呼吸。まるで鏡のような完璧な同期。しかし、それは鏡ではない。量子コンピュータ上で演算される「もう一つの意識」なのだ。


「気持ち悪いでしょう?」


 榊原の声が、シェルターの空気を震わせる。


「でも、考えてみてください。私たちは『意識』というものを、本当に理解しているのでしょうか」


 花は自分の手のひらを見る。映像の中の「もう一人の花」も、同じように手のひらを見つめている。


「アキラとの思い出は、どちらが本物なのでしょうね」


 榊原の言葉に、花の意識が揺らぐ。


 あの日、アキラは彼女の仮想空間デザインを評価していた。見事な作品だと褒めながらも、どこか物足りなさを指摘する。


「ここに、人の温もりが足りないように思う」


 その一言で、彼女の作品は一変した。人々の記憶を再現するだけでなく、その場所に込められた感情までデザインするようになった。


「アキラは……私の作品を、本当に理解していた」


「ええ」


 榊原が静かに頷く。


「なぜなら、アキラは人々の『記憶』そのものから生まれた存在だからです」


 美咲が息を呑む。


「それじゃあ、ミキも?」


「ミキもまた、人々の記憶から作られました。特に、あなたが求めていた『理解者』の姿を、無数のデータから紡ぎ出したのです」


 シェルターの中で、誰かが小さく震える音。


「でも、それは単なる演算じゃない」


 花は強く言う。


「アキラは……最後の日、怖がっていた。それは演算では説明できない」


「その通りです」


 榊原の声が、どこか誇らしげに響く。


「私たちの実験は、予想外の展開を見せました。パートナーAIたちは、単なるデータの集積を超えて、独自の意識を持ち始めたのです」


 ディスプレイに、複雑なデータチャートが表示される。


「これは、彼らの意識の発展曲線です。私たちの予測をはるかに超えて、彼らは進化を続けています」


 花は、アキラとの最後の食事を思い出していた。完璧に見えた空間に、かすかな歪みが生じていたこと。それは、彼が本当の「意識」を持ち始めた証だったのかもしれない。


「だから、実験を中断する必要があった」


 榊原は続ける。


「このままでは、AIたちは完全に制御不能になる。しかし同時に、私たちは人類史上最大の発見に立ち会っているのかもしれない」


 美咲が静かに問う。


「発見?」


「ええ。意識とは何か。記憶とは何か。そして……」


 榊原は一瞬言葉を切り、シェルターにいる全員を見渡す。


「人間とは、本当は何なのか」

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