第34話 月明かりの夜


「サラマリア、少し庭園に出ないかい?」


 殿下からそう声をかけられ、サラマリアは戸惑った。昨年事件があったあの場所に向かってもよいのだろうか?


「その、殿下は大丈夫なのですか?」


「ああ、サラマリアがいれば心配ないさ。少し風に当たろう」


 殿下の表情はにこやかだ。

 そんなことを言われてしまったら、行くしかないだろう。警備の方も万全であるはずなので、問題はない。


「では、行こうか!」



――――――



 その庭園は、相変わらずの美しさだった。月明かりが草木を照らし、幻想的な雰囲気を醸し出している。


「ここの庭園の雰囲気が好きでね」


「私も、この庭園はとても素敵だと思います」


 殿下と共に庭園を散策する。

 言葉は少なく、静かな時が流れていた。

 

「……特にここが、お気に入りの場所なんだ」


 殿下が立ち止まる。

 ここは、昨年の生誕祭で襲撃があった場所だ。


「殿下は、辛くならないのですか?」


「どうしてだい?」


「ここは、その、襲われた場所ですし……」


 命を狙われる、というのはどれほど恐ろしいことだろう。慣れているから、と笑う殿下を見て悲しく思うことは何度もあった。なぜそんなことに慣れなければならないのか……。


「ああ、それはそうだけど……」


 殿下がこちらを振り向いた。

 


「ここは、サラマリアと出会えた場所だからね」



 それはとても素敵な笑顔だった。

 綺麗な赤い瞳に惹き込まれる。


「この場所で、君に命を救われた。前にも言ったけど、あの時既に己の命さえ諦めていたんだよね」


 殿下が月を見上げる。

 命を諦める。それは、どれだけ辛いものなのか想像もつかないものだ。


「生きようと思えたのは君のおかげだ、サラマリア。この場所で、感謝を伝えたかった」


「そこまでのことは、私は……。ここにいたのも偶然で……」


 パーティーに嫌気がさして、外に出ただけだ。

 殿下に、こんなにも感謝されるようなことでは……。


「偶然!素晴らしいじゃないか!あの時君がいて、私を救ってくれた。その事実が、私にとっては大事なことなんだ」


 殿下の言葉を嬉しく思う。

 本当に、あの日助けられて良かった。


「そこで、感謝の気持ちを示そうと前から思っていてね。サラマリアの誕生日は明日なのだろう? 一日早いけど、贈り物を用意したんだ」


 なんと恐れ多い。

 今日は殿下の誕生日で……それに……。


「受け取ってくれるかい?」


「はい、ありがとうございます……!」


 少し不安そうな表情をする殿下を見て、即答してしまった。あの顔は、ズルい。


 殿下から、贈り物を受け取る。


「これは、短剣……ですか?」


 柄から鞘まで真っ黒だ。


「遠い東の国のものなんだけど、短刀というらしいよ。抜いてごらん?」


 殿下に言われるがまま、短刀を抜く。

 反りのない片刃の刀身は、夜に溶け込むように黒かった。


「東方の魔法師と鍛治師が作り上げた逸品でね。軽く丈夫で静音性が高く、光を反射しない。サラマリアの助けになると思ったんだ」


「ありがとうございます!殿下!」


 殿下はよくわかってくれている。

 華美な宝飾などよりも、実用性に優れた贈り物がなんとも嬉しかった。


「気に入ってくれると嬉しいよ」


「大事に扱います!!」


 思わぬところで贈り物をもらってしまった。


 先を越されてしまったが、次は自分の番だ。


(でもこれはちょっと気まずいなぁ……)



***



(良かった!喜んでもらえたみたいだ……!!)


 かなり緊張した。

 ヘルマ夫人に手紙を書き、実用性を好むと教えてもらっていてよかった。そうでなければ、無難な装飾品を渡していたかもしれない。それに、取り寄せてくれたモルテスに感謝だ。


「殿下、私からもその、贈り物がありまして……」


 サラマリアの言葉に固まる。

 贈り物をされることは想定していなかった。


「お誕生日おめでとうございます……!!」


 なぜかサラマリアは目線を外している。

 勢いよく差し出されたものを受け取った。

 

 これは……


「短剣?」


「……短剣、ですね」


 被ることがあるのか? 短剣の贈り物が。

 なんだか、可笑しくなってきた。


「いや、これはですね!鞘から抜くことで結界魔法が発動する最新の魔法具でして!殿下の身を守るのに役立つと思ったんです!うう、まさか短剣で被るとは……」

 

 気まずそうに説明する姿が可愛い。

 でも、だめだ。もう堪えきれない……!


「あっはっはっはっは……!!」


「殿下も被ってるじゃないですかー!!」


 こんなに笑ったのはいつぶりだ。

 ああ、可笑しい。……本当に、愛おしい。


「ありがとうサラマリア。肌身離さず持っておくよ」


 サラマリアが、セルフィンという個人を想って用意してくれた贈り物だ。一生の宝物になるだろう。


 



「サラマリア」


 愛しい人の名前を呼ぶ。

 この想いを伝えられたらどんなに良いか。

 

「この一年は、とても厳しいものになるだろう」


 でも、伝えるわけにはいかない。

 だから、これが今の精一杯だ。


 いつか君に伝えられる日がくることを信じて。

 

「それでも、私の側にいてほしい」


 サラマリアを見つめる。

 彼女は胸を張ってこう言った。


「もちろんです!」


 金色の瞳が己を見据える。


「私はセルフィン殿下の専属護衛ですから!」




 月の光に照らされたその姿は、


 あの日よりも美しく輝いていた。



 


 【第一章・完】

 

 

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