第29話 ノーゼント伯爵邸
演奏会はあっという間に終わりを迎え、サラマリアは何とも言えない寂しさを感じていた。
(とても、とても素晴らしい演奏会だった……)
なんだか夢を見ているようだった。
フィナが人前で楽しそうに演奏し、それに合わせて子供たちが元気に歌う。
こんな光景、一年前までは想像もできなかった。
それもこれも、殿下が拾い上げてくれたからだ。感謝してもしきれないほどだ。
(そういえば、殿下も嬉しそうだったな……)
演奏中、そっと殿下の方を窺うと、とても優しい表情で子供たちを見ていた。殿下の人柄が、滲み出ていたように思う。
「フィナフラ様、本当に素晴らしい演奏をありがとうございました」
「こちらこそ、とても貴重な体験をさせてもらって、ありがとうございました!」
ダニル院長とフィナが別れの挨拶を交わしている。ダニル院長は演奏中、涙を流すほどに感激していた。
最後に、殿下も挨拶を交わす。
「それでは、ダニル院長。またお会いできることを楽しみにしております」
「ええ、ありがとうございました。殿下もお気をつけて」
こうして孤児院への訪問は終わった。
次の行き先は、ノーゼント伯爵邸だ。
――――――
「あーーーー、楽しかったぁ!!」
馬車の中で、フィナが喜びの声を上げている。外では抑えていたのだろう。とてもはしゃいでいた。小声で。
殿下は仕事をしているので、気を遣っているようだ。
「とっても素敵な演奏だったよ」
「ありがとうサラ姉さん!ボクね、あんなに楽しく演奏したの初めてかもしれない!」
まだ興奮冷めやらぬ様子だ。
今回の旅は、フィナにとって貴重な経験となっただろう。
「ここに来れて、本当によかった……!!」
「殿下に感謝しないとね?」
「うん!」
殿下に感謝するのはもちろんだが、そもそもヘルマ義母様の思いつきでフィナの同行が決まったことを思い出した。こんな風になることを予想していたのだろうか?
その後も他愛のないお喋りが続く。
ノーゼント伯爵邸にはもうすぐ着くはずだ。
「フィナは、お
ふと、気になったことをフィナに聞いてみる。
最後に会ったのは5年以上前だ。
「うーん、覚えてるよ!大きくて強そうなお祖父様と、優しくて強そうなお祖母様だよね?」
大雑把な記憶だが、だいたいあっている。
「ふふ、そうね。私たちのこともとても可愛がってくれたのよ?」
私たちはクレハ母様の子だ。
ノーゼント伯爵家と血の繋がりはない。それでも、兄様や姉様と同じように可愛がってくれた。
久しぶりに会えるのが楽しみだ。
***
孤児院から出発してさらに北に進み、ほどなくしてノーゼント伯爵邸にたどり着いた。
セルフィンは仕事の手を止め、軽く伸びをする。
(さて、ここからが本番だ)
己にとっての今回の目的はノーゼント伯爵家に味方となってもらうことだ。せっかくできた縁を活用しない手はない。
「さあ、フィナフラ嬢、サラマリア、行こうか」
使用人に案内され、ノーゼント邸の中へと入っていく。扉が見えてきたあたりで、サラマリアが少し前に出た。
「……殿下、その、おそらくお祖父様が」
サラマリアが言い終わる前に、扉が内側から勢いよく開き、
「おおおお!サラマリア!フィナフラ!元気にしておったかぁぁぁぁあ??」
「旦那様!!殿下もいらっしゃると言っているでしょう!?」
筋骨逞しい大きな老人が飛び出してきた。
――――――
「ふむ、先程は失礼した。儂はノーゼント伯爵家当主、ドルアロスじゃ。第一皇子よ、よくぞ参られた」
威風堂々とした姿でそう告げるのは、北部の盟主たるノーゼント伯爵家のドルアロス殿。かつて戦場で〈白戦鬼〉と呼ばれ恐れられたという伝説の将軍を前にして、その威圧感に圧倒されていたことだろう。
……先程の、醜態がなければ。
「旦那様。今更取り繕っても、なかったことにはなりませんよ?」
「……そうじゃよなぁ?儂も無理かなぁとは思っておったわ!」
がっはっは、と笑うドルアロス殿。
なんというか、かなり、親しみやすい御仁であるようだ。
「うちの者が申し訳ありませんね、セルフィン殿下。ようこそお越しくださいました」
そう丁寧に挨拶をするのは、ザリア夫人だ。
とても優しげな人物ではあるが、どこかヘルマ夫人を思い出す。
「そして、サラマリアにフィナフラ。こんな遠いところまでよく来てくれましたね。元気な姿を見れて、本当に嬉しいわ!」
「そう!そうだ!サラ!フィナ!また会えて……!本当に……、ぐっ……、嬉しいぞぉ!!」
ドルアロス殿は途中から泣き出してしまっている。よほど二人に会えたことが嬉しいのだろう。
「お祖父様、お祖母様……お久しぶりです。お会いできてとても嬉しいです」
「お久しぶりです!その……ボク、元気になりました!ご心配をおかけしました!」
ああ、ドルアロス殿がまた泣き出してしまった。
まあ、フィナフラ嬢の境遇を考えると納得だ。この遠い地で、ずっと心配していたのだろう。
「すみませんねぇ、殿下。もう少しだけ、お待ちいただけますか?」
「ええ、もちろんですよ」
家族の再会を邪魔するような無粋な真似をするわけがない。それに、この温かな雰囲気はとても心地のいいものだった。
……
「……お待たせして、すみませんでしたな、殿下」
ドルアロス殿が、赤くなった目でこちらを見て謝ってきている。
「殿下には、感謝しておるのです。こうして再び孫娘に会うことができました」
「いえ、サラマリアには日頃お世話になっていますから。少しでもその恩を返せたのならよかったです」
受けた恩を考えればこのくらいは微々たるものだ。
「長旅でお疲れでしょう。少し休んでいただいて、その後食事にしましょうか」
ザリア夫人がそう言ってくれたので、一度休憩をとることにする。客間に案内され、一息つくことができた。なんとも、濃い御仁だった。
「殿下、お祖父様が申し訳ありません……」
困ったような顔でサラマリアが謝ってくる。
「いやいや、謝ることではないさ。久しぶりに会えたのだろう? 二人のことを気にかけてくれるとてもいい人だね」
「そう言っていただけて良かったです……」
サラマリアは照れくさそうに笑っている。
……うん、照れた表情もいいな。
「殿下、改めてお祖父様とお祖母に会わせてくれてありがとうございます」
「ありがとうございます!!」
「気にしなくていいさ。久しぶりに会えたのだから、たくさん話をするといい」
こちらにも思惑があるため、純粋に感謝されすぎると胸が痛い。
――――――
やがて、食事の準備が整ったと伝えられ、食堂に案内される。
味方についてもらう云々は食事の後でいいだろう。せっかく再会してすぐの食事会だ。己は影に徹しよう。
テーブルにつき食事が始まる。
そして、ドルアロス殿が口火を切った。
「殿下の目的は、ノーゼント家の取り込みじゃろう?」
いきなりの言葉に驚く。
突然、なんの駆け引きもなしに本題に入るとは。
「ああ、すまんな悪い癖じゃ。……じゃがまあ、面倒なことは先に片付けておきたくてのぅ」
鋭い眼光が己を射抜く。
ここで弱気になるわけもない。
「……ええ、ノーゼント伯爵家にお力添えをいただけないかと、参った次第です」
「サラマリアを利用して、か?」
眼光がさらに鋭くなる。
だがしかし、シュトロエム殿の圧を経験した今、恐れるものはない。
「今回の訪問は、確かにそう取られても仕方のないことだと思います。ですが、私はサラマリアを利用する気など断じてありません!!」
つい、勢いがついてしまった。
だが、サラマリアを利用するつもりだと思われるのは我慢ならない。
「私は、サラマリアに命を救われました。そして、今も守られています。ですが、私は常にサラマリアの意思を尊重します」
言いたいことは言った。
この先は、単なるお願いだ。
「その上で、助力をお願いいたします。私が皇帝になることが、帝国の民、そしてサラマリアの幸福に繋がると断言しましょう」
視線が交錯する。
やがて、ドルアロス殿が息を吐いた。
「……まあ、ええんじゃなかろうか。というより、どう考えてもお主の方が良き皇帝になるじゃろう」
エーゼルトの話がこちらまで伝わっているのだろう。スーザニア家への訪問も意味があったと思いたい。
「ノーゼント伯爵家は、セルフィン第一皇子殿下につくことを宣言しよう」
早くも、北部へ来た目的を達成したのだった。
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