第12話 第一皇子は歓喜する
セルフィンの元にその知らせが届いたのは数日前のことだった。
あの、シュトロエム殿の前で醜態を晒した日から落ち着きのない日が続いていた。あまりにソワソワしていたことに呆れたのか、補佐のカーデンから苦言を呈されたほどだ。
そして、待ちに待ったその時がやってくる。シュトロエム殿からの封書が届けられたのだ。あれほど待っていたというのに、内容を見るのが怖くて封を開けるのに時間を要した。情けない。
そして、意を決し、震える手で封を開け、内容を確認する。
雄叫びをあげそうになった。
かろじて堪えたが、室内に他の誰かがいれば間違いなく何か勘付いたことだろう。しばらくは誰も通さないように通達しおいて本当に良かった。あまりの喜びに、にやけた表情が戻るまであんなに時間がかかるとは。
その後、様々な調整と手続きを済ませ、サラマリア様が着任する日を指折り数える日々を過ごしていたが、今朝いきなり皇帝からの呼び出しがかかった。
(まったく、こんな忙しい時に一体何の用だ)
もし、難癖をつけてくるようなら反論の準備はできている。どれだけこのために準備をしてきたと思っているのだ。
皇帝の私室までやってきた。護衛に来訪を伝え、室内へと入る。できるだけ早く終わらせてしまおう。微笑を浮かべ、完璧な皇子の仮面を被る。
中に入ると皇帝の他に皇妃ネラエラまでいた。
(チッ……面倒なことにならなければいいが)
皇妃は己のことを蛇蝎の如く嫌悪している。第二皇子を皇帝につけるためには、優秀な皇子を演じる己はさぞかし邪魔なことだろう。
「皇帝陛下にご挨拶申し上げます。この度は、何用にてお呼び出しでしょうか」
内心は隠し通し、丁寧な対応を心がける。今はまだ、表立って敵対する時ではない。
「……ああ、専属護衛の件で確認しておきたいことがあってな」
「セルフィン殿下!何を考えているのですか!よりにもよってマンノーランの者など……」
早速キャンキャンと喚いている。
昔は美人ではあったのだろうが、内面の醜悪さが表に出てしまっているかのようだ。
「ネラエラ、口を挟まぬと言うから同室を許したが、喚くというなら去るがいい」
「で、ですが……!」
皇帝と意見が合うとは珍しい。
「くどい、出ていけ」
皇妃はまだ躊躇う様子を見せていたが、皇帝が何も言わないため諦めたのか出ていった。去り際にセルフィンを憎々しげに睨んでいたが。
「ふん、少し前までは大人しくしていたが、最近はうるさくなってきよったわ」
皇帝が鼻を鳴らしている。皇妃との仲はそれほど良くはないのだろう。
そして、皇帝がセルフィンを見据えた。
「セルフィン、マンノーラン家の娘を専属護衛としたそうだが、その真意を直接聞こう」
「かの娘は非常に優れた才能を持っております。故に、登用したまでのこと」
これまでも有能な人材の登用は行ってきた。特に不自然なことはないはずだ。
「……ふん、言い張るか。まあ、よい」
面白くなさそうに皇帝が呟く。
「しかし、よくあのマンノーランが未婚の娘を護衛などに差し出したものだ。もう少し風聞を気にすると思っていたがな?」
痛いところを突いてくる。シュトロエム殿ともその辺りは頭を悩ませた。己が望むような展開になれば、なんの問題もないのだが。……そこはもう、サラマリア様の心次第なのでどうしようもない。
「その点については、ご理解いただきました」
「ふむ、そうか。……なにも話す気はないと見える」
皇帝の目が鋭く細められる。
だが、なにも情報を渡す気はない。
「一つ宣言しておこう。余は、貴様の味方をするつもりはない」
そんなことは言われるまでもない。
「……だが、敵に回り、邪魔をする気もない」
……これには少し驚いた。
「存分にやり合うがいい。それが、我が帝国にどのような結果をもたらすか、見届けてやろう。
その、
危うく仮面が剥がれるところだった。
これだから、この皇帝は油断ならない。普段は馬鹿な貴族を放置しているが、ただの凡愚ではない。曲がりなりにも、大国であるガルディスタン帝国の皇帝という座を勝ち取った男だ。
「……帝国のため、力を尽くします」
こちらに失態はなかったが、負けたような気分だ。だが、皇帝が邪魔をしないと宣言したことは、収穫であった。
「もうよい、下がれ」
話は終わった。私室を後にする。
皇帝の言葉に従うわけではないが、存分にやり合うとしよう。
――――――
そして、その日がやってきた。
今日は、サラマリア様が着任する日だ。
表情を崩してしまわないように何度も何度も練習してきた。初日から、この想いが伝わってしまうなどあってはならない。
今は落ち着き、微笑みを浮かべたいつもの第一皇子の仮面を被れている。
(き、緊張する……)
もういつ現れてもおかしくない時間だ。補佐のカーデンが連れてきてくれる手筈となっている。
コンコン、と扉が叩かれる。
(き、来た……!!)
「……入れ」
声は上擦っていなかっただろうか?いや、平常心を意識するあまり、ぶっきらぼうになっていなかったか?
「失礼しますー。本日着任されますサラマリア様をお連れしましたー」
カーデンの声がかかり、扉が開かれる。
そして、夢にまで見たあの女性が、目の前に。
「ほ、本日からセルフィン第一皇子殿下の専属護衛として着任いたしますサラマリアです!よろしくお願いいたします!」
鮮明に覚えているあの声と同じだ。
黒を基調とした真新しい
やっと、出会えた。
顔が火照っている気がする。直視できていない。
なんとか、返事をせねば。
「……ああ、よろしく頼む。期待しているよ」
「はい!殿下は必ず私がお守りいたします!」
(あ、これは、無理かもしれんな)
『安心して?あなたは私が守るから』
何度も思い返していたあの言葉が重なる。さっそく、表情が崩れそうになってしまった。
「それでは、僕は失礼しますねー。殿下、あとの説明はお願いしますー」
そう言って、カーデンが出ていく。カーデンの存在も忘れていたのだから重症だ。
そして、部屋に二人になってしまった。
「改めて、よく引き受けてくれたね。これからよろしく頼むよ……サラマリア」
名前を呼ぶ練習を何度したことか。流石に護衛に対して様付けはおかしいと思って特訓していたのだ。
「……それでは、護衛任務の簡単な説明と、今の私の状況を伝えておくよ」
「はい!」
対面に向かい合って座る。
ようやく落ち着いてきたため、目を見て話をすることができた。……あの日見た、綺麗な金色の瞳だ。
(女性が好みそうな茶菓子も念の為用意したが、今から出すか?いや、流石にいきなりはおかしいか?)
目の前に、惚れた女性がいる。
そして、その感情は絶対に隠さなければならない。
……なんの拷問だ、これは。
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