第9話 フィナフラ
生誕祭の日から数日が経った。
サラマリアはいつものようにアトリエで過ごしていたが、なんだかフィナの様子が落ち着かない。
昨日から父様が帰ってきているのだが、今朝珍しくフィナに呼び出しがあり、なにやら話していたようだ。そして、戻ってきてからフィナの表情がいつもより暗い気がする。
「サラ姉さん!今度、サラ姉さんの絵を描いてみたいんだけど、いいかな??」
かと思えば、妙に元気になったりもしている。
父様が何か変なことを言ったのだろうか?本人に聞くのは、なんだかよくない気もするし……。
悶々とした気分でいると、父様から自分にも呼び出しがかかった。
――――――
「やあサラ。わざわざ来てもらってすまないね」
いつも通り、父様はにこやかだ。
「お久しぶりです父様。今回は西の方に行っていたのでしたか?」
他愛もない雑談に興じる。
父様と二人きりで話すのは本当に久しぶりだ。
「さて、サラとのお喋りは大変魅力的だが、呼び出した本題を片付けてしまわないとね?」
そうだった。
一体なんの話だろう?フィナとも関係があるのだろうか。
「先日の、生誕祭であった出来事を覚えているかい?」
忘れるはずもない。
庭園で起こった事件の話だろう。
「あれは、勝手なことをして申し訳ありませんでした。咄嗟に助けようと体が動いてしまいました」
「ああ、いや、誤解させてごめんね?責めているわけじゃないんだよ」
むしろよくやった、と褒めてくれる。
叱られるのかと思ったが、違ったようだ。
「その日に助けた人物なんだけど、記憶にあるかい?」
少し考えるが、思い出せない。
そもそも家族以外の顔を覚えるのは苦手だった。
「いえ、覚えていないですね……」
「そうか。いや、実はね?
その助けた人物がなんと第一皇子殿下だったみたいで、昨夜お礼に来ていたんだよ」
(だ、第一皇子……!?)
まさかそんな大物だったとは!
……顔を覚えていなかったのは、不味かっただろうか。
「サラにとても感謝していたよ。
……いや、なんというか本当にすごく褒めていたよ」
父様が何故か苦笑している。
助けられて良かったと素直に思う。
しかし、第一皇子が暗殺されかかるとは物騒な話だ。
「まだ続きがあるんだ。
実は、サラの働きに大層感激されていてね。その才能を見抜いた彼は、サラに
驚きの内容だった。
「わ、私が第一皇子様の専属護衛に……!?」
皇帝直属の精鋭中の精鋭部隊だ。実力、人格、教養を兼ね備え、厳しい競争を勝ち抜いた者だけが選ばれる名誉ある部隊。
その中でも、専属護衛はまた特殊だ。
すなわち、皇族個人を守ることに特化した護衛だ。常に皇族の側につくことを許された存在であるため、皇族からの絶大な信頼を寄せられている証ともなる。
(第一皇子様の、専属護衛に、私が……)
突然のことに混乱してしまう。
申し出については光栄なことであるし、認められたようで嬉しくもあった。しかし、そんな責任のある立場に自分がなっても良いものか、不安もある。
そしてなにより、フィナのことがある。
(この話を、父様から先に聞かされていたのね)
今朝の様子も納得がいった。
自分がいなくなるかもしれないと思い、不安定になっていたのだろう。
「その、ありがたい申し出ではあるのですが、フィナのこともありますし……」
一番大事なのは家族だ。フィナを一人にすることなんて考えられない。
「そう言うと思ったよ」
父様が優しく微笑んでいる。
「でもね、今朝フィナともこの話をしたんだけど、あの子は不安そうにしながらも、サラマリアのやりたいことを優先して欲しいと言っていたよ」
……フィナがそんなことを。
「わたしとしてもね、以前から考えていたことではあるんだが、今回の件で改めて思ったよ。才能が悪用され、不幸になってしまうことを恐れるあまり、サラの自由を奪っているんじゃないかとね」
「そ、そんなことありません!私は幸せです!」
慌てて否定する。
みんなのおかげで、幸せに暮らせていることは間違いないのだから。
「そう思ってくれているのは嬉しいよ。まあ、そのあたりも踏まえて、戻ったらフィナとゆっくり話すといい。
覚えておいてほしいのはね、サラが家族を大事に思うのと同じように、みんなもサラのことを大事に思っているということだよ」
ああ、この温かさが本当に大好きなんだ。
でも、このままでいいのか、考える時がきたのだろうか。
「まあ、本当に突然の話だ。すぐに決断できるものでもないし、ゆっくり自分と向き合って決めるといい」
父様の言葉に頷く。
自分のやりたいことってなんだろう。
――――――
アトリエに戻ると、フィナが出迎えてくれた。
「おかえり、サラ姉さん。……父様からお話、聞いたんだよね?」
顔を合わすなり、問いかけてきた。
きっと、朝からずっと気になっていたのだろう。
「うん、聞いたよ。フィナ、少しお話をしよっか」
「わかった。ボクも話したいことがあるんだ」
二人でそっと笑い合う。
なぜだろうか、フィナが随分と大人びて見えた。
客間のソファに座り、向かい合う。
なんとなく、話し出しづらい。
「フィナ、あのね……」
「待って、サラ姉さん。ボクの方から話をさせて?」
覚悟を決めたように、フィナが真っ直ぐこちらを見つめる。
「今回の件の前からね、時々、考えてはいたんだ」
ぽつりぽつりと、フィナが噛み締めるように話し出す。
「あの事件から、もう5年くらい経ったんだよね……」
あの事件。
フィナが、その話題を口にしたことに驚く。思い出したくもない記憶だろうから。
5年前、マンノーラン伯爵家で起こった誘拐事件。
その被害者が、当時8歳だったフィナだ。
伯爵家の警備は厳重だった。外部からの侵入など考えられない。そんな中、事件は起こった。
使用人の一人が金に目が眩み、フィナを連れ出しのだ。その使用人を信頼していたフィナは、なんの疑いもなくついていく。そこを、誘拐された。
誘拐に最初に気づいたのはサラマリアだった。遊ぶ約束をしていた場所に、フィナが現れなかったからだ。そこから、総力をあげた大捜索がはじまった。
サラマリア自身も周囲の制止を振り切り、捜索隊に加わった。そして、才能が開花したのは、まさにこの時だっただろう。街中を走り回り、フィナの気配を見つけ出したのだ。
開花した才能は、それだけにとどまらなかった。気配を殺し、単独で誘拐犯のアジトに忍び込み、十人を超える誘拐犯たちを片付けてみせたのだ。
フィナを見つけた時、あまりの怒りに目の前が真っ赤に染まった。
信じていた者に裏切られ、殴られ、猿轡を噛まされたフィナの眼は虚だった。フィナは、泣くこともできず、身動きすらせず、ただ茫然と、絶望していた。
助け出したフィナを抱きしめて、誓ったのだ。これから先、何があろうと絶対に守ってみせると。
「実はね、事件から一年くらいの記憶がほとんどなくて、最近になって思い出してきたんだ。家族以外は全部、悪者だと思っていたあの頃を。
それでね、気づいたんだ。あの時、サラ姉さんはボクを救ってくれて、守ってくれると言ってくれた。その時の姉さんと、同じ年齢になったんだなって」
……もう、そんなに経っただろうか。
「でね?思ったんだ。ああ、サラ姉さんはほんとにすごいなぁって。こんな年齢から、ボクのことを守ってくれていたんだなぁって。今のボクに、そんなことができるだろうかって。
それから、このままじゃダメだなって思った。サラ姉さんは優しくて、温かくて、いつまでもこんな生活を続けられたら、なんて思っていたけれど」
フィナが大きく息を吸って、
「サラ姉さん!ボクはもう大丈夫!」
泣きながら、笑いながら、そう叫んだ。
「今まで守ってくれてありがとう!ボクの心を、救ってくれて本当にありがとう!」
涙が、溢れ出てくる。
フィナは強く、強く、成長していたのだ。
「そして、長い間、とても貴重な時間を奪ってしまってごめんなさい。ボクが今、楽しく生きていられるのは、サラ姉さんのおかげです」
「そんな、奪われたなんて、思ってないよ……?」
「サラ姉さんは、やっぱり優しいね。でもボクは、これ以上サラ姉さんの自由を奪うことなんてできないと思った。そんなことはボク自身が許せない」
今まで見たことがないような、決意に満ちた瞳がそこにはあった。
「大好きなサラ姉さん、これからは自由に生きて。いまさら、ボクが言う資格はないのかもしれないけれど。
サラ姉さんが望むことを、望むようにしてほしい。
それが、今の、ボクの願いです」
フィナは、とても、とても可愛らしい笑顔で、そう言ってくれた。
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