第8話 第一皇子は語る


 シュトロエム殿が帰国した。

 セルフィンにとっては、決戦の日だ。


 表立ってマンノーラン邸に向かうことは、敵対勢力にいらぬ刺激を与えてしまうため、内密に会談の約束をとりつけた。


 闇に紛れ、帝城を出発する。

 様々な偽装工作を施したものの、油断はできない。


 細心の注意を払い、マンノーラン家の敷地に辿り着く。内側からの案内があり、ようやくシュトロエム殿の執務室の前まで来れた。


 かつてないほどに緊張している。


 扉を軽く叩き、来訪を告げる。

 入室の許可を得て、室内へと入った。


「これはこれは、ようこそおいでくたさいました」


 にこやかに、迎え入れられる。

 表面上は歓迎している様子だが、果たして。




「それで、本日は一体どのようなご用件ですかな?」


 柔らかい調子でさっそく問いかけられる。

 密談である以上、それほど時間はなかった。


「すでにご存知かと思いますが、先日のパーティーでご息女のサラマリア様に命を助けていただきました。そのお礼と、お願いがあって参った次第です」


「その話は聞いておりましたが……その人物がまさか第一皇子殿下だったとは」


 シュトロエム殿が驚いているようだ。

 あの暗闇では判別はつかなかっただろう。


「命を救っていただき、感謝申し上げます。

 事件の性質上、正式にお礼をすることができず、大変申し訳ありません。また、立場上ご息女本人に伝えることができないことも謝罪いたします」


 深く、頭を下げる。

 本来、皇室の者が頭を下げるなど許されないが、今は非公式の場だ。本心から、誠意を示したかった。


「……受け入れましょう。頭をおあげください。

 殿下の立場もおおよそ見当はついております」


 一息つく。

 ここまでは、常識の範囲内だろう。


「して、お願いとはなんでしょうかな?」


 空気が重くなった気がする。


 だが、ここまできて弱気になるわけにはいかない。

 もう、覚悟は決めてある。


 本人の意思を尊重しますが、と前置きした上で、


 


「サラマリア様には、皇室護衛部隊インペリアル・ガードとして、私の専属護衛の任についていただきたいのです」




 その言葉を言い切った瞬間。


 目の前から信じられないほどの圧を感じ、全身の肌が粟立った。


 目の前から発せられる威圧感に冷や汗が止まらない。



「ほう…………?

 娘を、専属護衛に……?」


 あまりの急変に言葉も出なくなる。


「サラの才能を知った途端にこれか……!!」

 

 鋭い視線が、己を射抜く。


「私たちはね、サラの持つ才能を知った時から、悪用されることのないようにと、守っていくことを誓ったのです。


 それを、よりにもよって、皇室の人間が、


 私の大事な娘を、利用しようというのか……?」


 これほど静かな怒りを見たのは初めてだ。

 言葉の一つ一つから、激情が滲み出している。


 無意識に一歩下がりそうになっていることに気づき、グッとこらえて、前を向く。


「そうではっ……ありません!!」


 なんとか声を絞り出す。




「では、なんだというのだね?


 第一皇子よ、返答には細心の注意を払うといい。


 その言葉次第で、我らマンノーラン家は、


 殿下の敵となる」




 息をのむ。

 非公式とはいえ、皇室に対する明確な敵意。


 娘のために、帝国を敵に回すことも厭わないとは。マンノーランを甘く見ていたかもしれない。

 

 

 絶句していると、圧力がわずかに和らいだ。


「今、何も言わずに立ち去るのであれば、この話は聞かなかったことにしましょう。


 もう一度だけ問います。


 何故、私の娘を専属護衛に望むのですか?」


 威圧感の緩急に心が疲弊する。

 並の精神力ではすぐにこの場を去っているだろう。


 だが、こんなところで引くつもりはない。

 

(サラマリア様に、私のことを知ってもらわねば)


 そして、いずれは想いを伝える。

 

 そのためならば、恥も外聞もかなぐり捨てよう。ここで引き返すということは、生を諦め死んだように生きていたあの頃に戻るということだ。


「私は……」


 この熱い感情を知った今、そんな選択肢など存在しない。


 この思いを、封じ込めることなどできない。


 故に、嘘偽りのない言葉を、正直に伝えよう。

 

 






 



「惚れてしまったのです……!!!」





 ……



 ……





「……は?」


「側にいてほしいと、願ってしまったのです!!」


「あ、ああ……」


「月光が照らすその姿を見た時になんて美しいのだろうと見惚れてしまいました。優しく言葉をかけられかつてない衝撃を受けました今も鮮明に思い出せます。もはや死を受け入れていた心に火が灯り生きたいとまで思うようになったのです。そう、サラマリア様はこの命だけでなく心まで救ってくれました。これまで生きてきてこんなにも強い感情を持ったことは初めてで戸惑いましたが日に日に想いは強くなっていくばかり。信じていただけないかもしれませんが利用する気など全くなく、ただ側にいてほしいと願って………」


「わかった!わかりました……!!そのあたりで落ち着いてください!!」


 シュトロエム殿から静止される。

 ……まだ、語り足りないというのに。


 しばしの沈黙。

 シュトロエム殿は頭を押さえている。


「ええと、つまり、殿下はサラマリアを側におくために、専属護衛になってほしいと……?」


「その通りです」


 まだ、信じてもらえていないのだろうか。

 それならばいくらでも語るのみ。


「ああ、いえその気持ちはわかりましたが……。それならば、なぜ婚姻の打診ではないのですか?皇室とは確執がありますが、それも払拭できるでしょうに」


 婚姻の打診……?

 そんな、とんでもない!


「それでは無理強いになってしまいます。嫌われるようなことをするはずがないでしょう!」


「ああ、そうですか……」


 シュトロエム殿からの圧がだんだん弱まっている? これは、押し通せるか。


「そこで、専属護衛になってもらい私のことをよく知ってもらおうと考えたのです。しっかりと見定めてもらった上で、この想いを伝えようと思います」


「……なるほど……サラマリアのことを考えてくれていることもわかりました。侍女などではなく護衛を選んだのも、娘に活躍の機会を与えるためなのでしょう」


「では……」


 気持ちが逸る。

 しかし、シュトロエム殿がこちらに手を向けた。


「一つ、確認しておきたいことがあります。

 第一皇子殿下、貴方は皇帝になるのですね?」


 その問いかけは、重い。

 だが、今の自分なら応えられる。



「私は、必ず生き抜き、皇帝になります」



 真っ直ぐに相手の眼を見て、そう宣言した。



 



「ふっ……あっはっはっはっは!!面白い!」


 シュトロエム殿が唐突に笑い出す。

 

「いいでしょう!あの、諦観しか感じさせなかった皇子がここまで変わるとは!さすがは我が娘といったところでしょうかね?」


 突然のことに、心底驚いた。

 いつのまにか、威圧感も消えている。


「そ、それでは……」


「ええ、娘の返答次第ですが、許しましょう。私の方から専属護衛の打診があったことは伝えておきます」


 や、やりきったのか……!!

 

 肩の力が抜ける。

 どっと疲れが押し寄せてきた。


「それと、もう一つ。娘の返答の内容にかかわらず、マンノーラン伯爵家はセルフィン殿下の後ろ盾となりましょう」


 その言葉に姿勢を正す。

 これは、思わぬ贈り物であった。


「私は、貴方のことが気に入りました。まあ、あの皇妃たちに実権を握らせたくないという気持ちもありますがね?それでも、以前の殿下であればこのような申し出はしなかったでしょうな」

 

 本当に、ありがたい申し出だ。

 皇帝を目指すにあたって、大きな助けとなる。


 どの派閥にも属していなかったマンノーラン伯爵家が介入することで、勢力図は大きく変わる。その影響は多くの派閥に波及し、敵対勢力の動きを鈍らせるだろう。


 それほどまでに、マンノーラン伯爵家というのは大きな存在なのだ。

 

「感謝いたしますシュトロエム殿。このご恩は忘れません」


「皇帝となるために、存分に活用すると良いでしょう。さて、今後について、少しお話をしましょうか」


 シュトロエム殿が真剣な表情になる。


「まず、当面の目標としては、正式に皇太子として認められることですね?」


 頷く。

 なんとしても生き延びなければならない。


「よろしい。娘が専属護衛になるのであれば、大いに力となることでしょう」


 それは間違いないだろう。

 利用することは極力避けるが。


「では、皇太子になれたとして。そこから五年以内に皇帝になるか、同等の実権を握ることです。


 娘を守るためには、そのくらいの力が必要でしょう?結婚適齢期を逃すのも不憫ですから、五年でお願いしますね?」


 かなり無茶な要求ではあるが、サラマリア様のためならば、やってやれないことはない。


「最善を尽くします」


 シュトロエム殿が頷く。


「そして、最後にですが……。

 サラマリアへの想いを周囲に悟らせてはなりません」


 思わず顔が引き攣る。

 これが一番の難題かもしれない。


「想いを知られることは、殿下の弱点となるでしょう。そして、サラマリアの危険にも繋がります」


 言っていることは、わかる。

 守れる力を持つまでは、隠し通さなければならない。


「……できる限り、努力いたします」


 シュトロエム殿が苦笑している。

 期待を、裏切ってしまっただろうか。


「今日の様子を見るに、かなり難しいかもしれませんが……。あくまで、娘の才能を見出し登用したのだと、そう思わせておくことです」


 深く、頷く。

 己の浅はかな態度で、サラマリア様を危険に晒すなどあってはならない。


 その後も、細かな話し合いは続いた。


「さて……思いのほか長くなってしまいましたな」


 話が一段落し、息をつく。

 気づけばもうすぐ夜が明ける時間にまでなっていた。

 

「サラマリアについては、明日にでも本人の意思を確認します。まあ、断られても、気落ちせぬように」


 いや、気落ちはするが?

 まあ、そうなったとしても諦めるつもりはなく、次の手を考えるだけだ。


「最後にお伝えしておきましょうか。


 私たちはね、本当にサラマリアのことを愛しているんです。


 ですから、セルフィン殿下が今日のその想いを胸に、娘の幸せを願って行動している限り、マンノーラン伯爵家は貴方の味方です」


 なんとも心強い限りだ。

 これほどの味方はそうそういないだろう。


「そして、その逆もまたあり得るということも胸に刻んでおくことです。


 私たちは、敵に回すと恐ろしいですよ?」


 笑いながら脅されている。

 だが、なにも恐れることはない。


「そのようなことは、あり得ませんね。

 必ずや、幸せにしてみせましょう」


 そう言い切ってみせると、シュトロエム殿の笑みが深まった。


 その後は言葉もなく、執務室を後にする。


 なんとも、清々しい気分だ。

 天が己を祝福しているかのようだ。








 

 冷静になったところで今日の醜態を思い出し、羞恥のあまり声にならない叫びを上げるまで、あと少し。

 

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マンノーラン伯爵家の落ちこぼれ次女が、殿下の専属護衛になるようです。 綾丸音湖 @ayayayaya0805

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