第7話 第一皇子は決意する
衝撃的な生誕祭から一夜明け、セルフィンは通常の業務に戻っていた。
庭園での事件の後については、あまり記憶にない。一応、声をかけるべき者とは言葉を交わしたと思うが、上手くできていたかは自信がない。
あれほどの大事が起こったにも関わらず、帝城は静かだった。暗殺者を差し向けた勢力が秘密裏に処分し、情報を封殺したのだろう。
そんな大それたことが可能なほど、敵の勢力は力を持っているということだ。そして、そんな連中が一度の失敗で諦めるはずもない。
(まあ、もうこの命をくれてやる気はないがな)
セルフィンの心に灯った火は燃え上がっていた。
昨夜の情景は鮮明に脳裏に焼きついている。
かつてない衝撃を受けたその美しい姿を思い出し、心が震える。
『安心して?あなたは私が守るから』
その言葉を思い出すたびに、身体が熱くなる。
昨夜から何度、思い返していることだろう。
(まったく、我ながら度し難い)
思わず苦笑が漏れるが、心の内は晴れ渡る。
こんなに活力が漲るのはいつ以来だろうか?
まったく集中できていない有様だ。
これでは仕事が進まないな、と思っているところで扉が叩かれた。
呼び出していた人物がやっと来たか。
「入れ」
「失礼しまーす」
軽薄な返事をしながら小柄な男が入室してくる。
カーデン・モルドラ。
地方の文官としてこき使われ、その才能を腐らせていたところを補佐として登用した男だ。
驚異的な事務処理能力と卓越した記憶力。
南部の復興支援に向かった際に偶然その才能を目撃し、すぐさま引き抜いてきた。今では数少ない、本音で話をできる味方となっている。
何故あんなところで燻っていたのか聞いたことがあるが、本人曰く「僕が有能だと知れたら、馬鹿どもに仕事を押し付けられるじゃないですかー」とヘラヘラ笑っていた。要するに自分の能力に見合った仕事がしたいのだと解釈し、毎回大量に仕事を任せている。
「なんの用事でお呼びでしょうかー?僕結構忙しいんですがー?主に殿下のせいでー。あ、お誕生日おめでとうございましたー」
……ふざけているが、仕事はできるのだ。
「調べて欲しい人物がいる」
早速本題に入る。
昨夜出会った女性の特徴を伝える。カーデンの記憶力をもってすれば、候補は絞れるはずだ。
「長い黒髪に、金の瞳ねぇ……」
頭をトントンと指で叩き、カーデンが記憶を探る。どちらの特徴もそれほど珍しい方ではないが、組み合わせとなれば数人には絞り込めるはず。
「その特徴に若い女性で、昨夜のパーティーに参加していたとなると……」
そう、あの場にいたということは、おそらくはパーティー参加者だ。だというのに、己の記憶にはない。
固唾を飲んで見守る。
この結果によって、調査の難易度が大きく変わってくる。
「マンノーラン伯爵家の次女、サラマリア様ですかねー?」
(まさか、一人に絞れるとは……)
大きく息をつく。
神など信じていないが、今は感謝しやってもいいぐらいには気分が高揚している。
サラマリア。
それがあの女性の名前か。
とてもいい響きだ。
しかし……
「マンノーラン家か……」
代々優秀な人物を輩出する名門伯爵家。目を付けていたスルトザもこの家門だ。あの女性も挨拶にきていたのだろうが、スルトザに集中していたため共にいた女性は覚えていなかった。悔やまれる。
それにしても、マンノーラン家とは……。
「なぜその女性を調査するんですー?」
当然の疑問だろう。
しかし、正直に言うわけにもいかない。
「稀有な才能を持つ女性だ。登用し、役職を与えようと考えていたが……」
「あーなるほど。皇室とマンノーラン家は確執がありますもんねー?」
カーデンの言う通りだ。
マンノーラン家の才能を恐れる皇室は、その力を利用しているにも関わらず、働きに報いてこなかった。本来なら侯爵に叙されていてもおかしくないほどの貢献をしているのだ。それどころか、何代か前にもともとあった領地を取り上げ、帝都近辺に縛りつけるなどしている始末だ。
マンノーラン家が今も帝国に貢献してくれていることが奇跡に思えてくる。
スルトザについては既に帝城に勤めているため味方に引き入れることに然程問題はない。しかし、家を出ていない未婚の女性となれば話は変わってくる。皇室の権限で自由を奪ったと思われては、敵対してしまうことは間違いないだろう。
(シュトロエム殿のことだ。必ず激怒するだろう)
帝国の誇る外交官が家族をとても大切にしていることは知れ渡っている。その娘を登用するとなれば、彼を説得することは大前提となるだろう。
「それで、どうしますー?調査しますかー?」
「いや、やめておこう。コソコソと嗅ぎ回っていることが知れれば、それこそ不審に思われる」
自身が赴き、誠心誠意説得するしかない。
交渉の専門家を相手にするのは気が重いが、諦める気は全くない。
「そうですかー。それでは仕事に戻りますねー?」
「ああ、助かった。感謝する」
カーデンが扉に向かうが、何か思い出したのか途中で立ち止まり、振り返った。
「殿下ー?なにか嬉しいことがあったのか分かりませんが、死んだ魚の目に戻しておいた方がいいですよー?」
……死んだ魚の目?
よくわからないが、貶されていることはわかる。
「あ、こっちじゃそんな言い方しないかー。
えーと、目がめちゃくちゃギラギラしてて別人みたいなんですよねー」
気づく人は気付きますよ?、と首をすくめている。
「……わかるのか?」
「そりゃー分かりますともー。
なんせ、記憶力がいいんでね」
カーデンが言うならば、そうなのだろう。
周囲に敵対者が多いこの状況で、変化を悟らせるのは避けたい。
「……忠告、感謝する」
いえいえー、とカーデンは言いながら今度こそ本当に扉から出て行った。
(目、目か……)
果たして、どうすれば戻るのか。カーデンは死んだ魚の目と表現していたが、言い得て妙だ。
今の自分からすれば、これまでの自分など死んでいたに等しい。
(さて、あのシュトロエム殿を説得か……)
そこで、はたと気づく。
シュトロエム殿の説得が成功したとしよう。その次は、本人の意思を確認することになるだろう。
断られる可能性も、もちろんあるではないか。
(浮かれていた……本当に頭が回っていない……)
己の傲慢さに腹が立つ。
いくら冷静でなかったとはいえ、相手が受け入れてくれることを前提に考えてしまうとは。
本人の意思を尊重するのは当然だ。
その上で、選んでもらうにはどうすればいい?
(飛躍しすぎているな……お互いに何も知らないというのに)
そう、まずは知ってもらうことからだろう。そのためには、己の側に立ってもらい、見定めてもらわなくては。
今気づけてよかった。
あのような傲慢な考えで、説得などできるはずもない。
なにはともあれ、まずはシュトロエム殿の説得だ。
現在は西側の隣国に出ているはずだが、幸いなことにあと2日もすれば帰国する予定であったはず。
万全の状態で、説得に臨むとしよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます