第6話 第一皇子は知る
第一皇子 セルフィン・ダン・ガルディスタン。
帝国でその名を知らぬものなどいないだろう。
文武に秀で、人望厚く、民に寄り添うその姿勢は高く評価されている。西部戦線での戦功や南部の災害復興など、若くして様々な功績を打ち立ててきたその名声は、今や帝国全土に轟いている。
やや冷たい印象はあるものの美しく整った顔立ちに、見るものを魅了する特徴的な赤い瞳。
皇帝の地位を約束された将来性、見目麗しい容貌、さらには物腰も柔らかく丁寧であり、帝国中の女性の憧れとなっている。
人が望むあらゆるものを全て備え、
誰もが称賛し、羨む、最高の皇子。
(まったく、どいつもこいつも鬱陶しい)
そう思われるように、
――――――
(まったく、度し難いな)
生誕祭の幾日か前、会議の場でセルフィンは内心で毒付いていた。
自分の利益のためだけに動く者、他者の成功を妬み足を引っ張る者、自己保身に走り強者に媚び諂う者。
互いに牽制し合うだけで、何も進まず、決まらない。
長いだけで意義のない会議だ。
極めつけは、そんな馬鹿どもを放置し、自身の欲のみを優先する現皇帝。
民のために動こうとするものなど、この場にはいないのではないか。
「それでは、時間となりましたので本日の会議は終了とさせていただきます」
無意味な会議の閉会が宣言される。
もっと話し合うべき内容がいくらでもあるはずなのに。
煮えたぎるような内心を押し殺し、優秀で穏和な第一皇子という仮面を被る。
それが、セルフィンの日常だった。
己の執務室に戻り、物思いに耽る。
最近は、これまでのことを振り返ることが多くなってきた。
幼い頃に亡くなった母に言われたことを覚えている。
『民のために力を尽くしなさい』
その言葉を胸に刻み、ここまで生きてきた。
とある人物に言われたことを覚えている。
『周囲の評価は、貴方を守る盾となるでしょう』
その言葉を信じ、最高の皇子を演じてきた。
第一皇子の責務として、あらゆる努力を怠らず、民のために様々な行動を起こしてきた。
貴族の利益に反することが多いため、実らなかった施策がいくつもある。内心でセルフィンのことを苦々しく思っている貴族連中は多いだろうが、これまでの実績と評判のおかげで、表立って対立してくるものは驚くほど少なかった。
だが、それはまだ権力を持たない未成年の第一皇子であるからに過ぎない。
セルフィンが次の皇帝になることを良しとしない者は大勢いるはずだ。会議に出ていた馬鹿どもはほとんどが敵だと断言できる。
更には、現皇妃ネラエラの勢力にも怪しい動きがある。自らの子である第二皇子エーゼルトを皇帝の座につけようとする動きだ。
味方など、数えるほどだ。
(この命も、もってあと2年か……)
帝国は20歳で成人と認められる。あと数日で18歳を迎えるため残りは約2年だ。
成人となれば正式に皇太子と認められ、次期皇帝にであると見做されるため、今とは比べものにならないほどの権力と発現権を得る。
それまでに、まず間違いなく、いずれかの勢力もしくは全ての勢力が手を組み、己を亡き者にしようと画策するだろう。それを防ぐだけの力は、持っていない。
それまでにできるだけのことをしなければならない。
最も重要なことは、若く優秀で民のために行動できる人物を登用し、己の意思を引き継ぐ者を見つけ出すこと。
やるべきことはいくらでもあるのだ。
民のために、命を使い切る。
セルフィンは己の死を受け入れていた。
――――――
(はぁ……毎年のことではあるが、面倒だ……)
生誕祭当日。
そもそも生誕祭というものの存在意義がわからなかった。いや、生誕を祝うというのはわからないでもない。誕生を喜ぶというのは尊いことなのだろう。
だが、ここまで盛大にやる必要はないだろう。
ここに費やす金を公共事業にでも注ぎ込めばいい。
費用を削るように足掻いてみたが、皇室の威厳だなんだとよくわからない理由をつけられ毎年跳ね除けられている。
(まあ、やると決まっているものは仕方がない。せめて有意義な時間となるように努力しよう)
皇室との繋がりを期待できる盛大なパーティーであるため、参加者はかなり多い。
将来有望そうな人物には当たりをつけておいたので、自ら声をかけていくとしよう。
パーティーが始まる。
皇帝と共に登壇し、参加者に向けて言葉をかける。
お決まりの文句だ。特に意味はない。
その後は、うんざりするほど長い挨拶の時間だ。
だが、気合を入れ直す。
未来の帝国を支える優秀な人物には声をかけておきたい。特に気になる人物が三人ほどいる。
東部ザクレスト男爵家のナイゼル。
先代が傾けた男爵領の財政をたった20歳という若さで建て直したと噂される傑物だ。
北部スーザニア子爵家のレイバル。
精鋭揃いの北方軍において、若くして戦功を上げ続けている豪傑だ。今後の北部を率いる存在となるだろう。
中央マンノーラン家のスルトザ。
少なくともこの三人には、己のことを印象づけておきたい。他にも目ぼしい者がいないか、目を光らせておこう。
……
挨拶は、半分ほどを終えたところだろうか。
マンノーラン家のスルトザには声をかけることができた。あまり響いていたようには見えなかったが。
今年は参加者が例年よりも多いため、休憩のために中座することとなった。流石に疲れがでていたため、ありがたかった。
奥の部屋に通されたが、皇妃などもいるあの部屋にいてもさらに疲れるだけだ。
静かに動き、そっと裏口から出て庭園に向かう。
誰も気にする者はいない。
生誕祭にはうんざりしているが、ここの庭園の雰囲気は気に入っていた。
大きく息を吐き、伸びをする。
思っていたよりも、疲れが溜まっていたようだ。
ぼんやりと、空に浮かぶ月を眺める。
この庭園に来られるのも、あと一度か二度か。
感傷に浸っている自分自身に苦笑する。
こんなことを考えても仕方がないのに。
不意に月明かりが雲で隠れ、闇に覆われる。
突如背後で発生する激突音。
振り返ると、おそらくは自分を狙ってきた襲撃者と、守るように立つ女性と思われる人影があった。
(暗殺だと……??どういうことだ読み違えたか?こんなに早い段階でどこかの勢力が仕掛けてくるとは……!!)
唐突な窮地に、高速で思考が巡る。
(この女性がいなければ間違いなく死んでいた……!!いや、まて、それにしてもこの女性は誰だ?何故、俺を守っている。この状況は一体……)
「な……んだ……?」
思わず声が出てしまった。
それが聞こえたのか、女性がこちらを振り返る。
その一瞬、天から漏れた光が淡く女性を照らす。
宵闇に溶け込むような黒い髪。
そして、輝く金色の瞳がこちらを見据えていた。
あまりの幻想的な美しさに目が離せなくなる。
「安心して?あなたは私が守るから」
ドクン、と心臓が跳ねた気がした。
身体が熱くなり、これまでに感じたことのない衝撃を覚え、戸惑う。
だが、危機的状況はまだ過ぎ去っていない。
目の端で襲撃者が短剣を投擲するのが見える。
(……ッ、危ない!!)
あまりの急展開に声を上げることもできなかった。
しかし、目の前の女性はまるで予測していたかのように、流れるような所作で短剣を叩き落とす。
ほっとしたところで、再び襲撃者を見やるとすでに逃走を開始していた。
窮地を脱したことで、少し落ち着きが戻る。
「その、貴女は……」
守ってくれた女性に声をかける。
正式にお礼を、そして名前を聞きたい。
「無事でよかったですそれでは私は用事があるのでここで失礼しますね。このことは忘れるか誰にも言わないでもらえると助かります」
引き止める間もなく女性が去っていく。
「なっ……」
瞬きの間に、その姿はもう見えなくなっていた。
(ま、待ってくれ……!!)
無意識に手を伸ばす。
それは、紛れもなく執着だった。
これまで、民のために己を削り、自身の命すら諦め、何も欲することのなかった男が初めて抱いた感情。
掴み取ろうとした自身の手を見つめる。
その感情を理解した瞬間、思わず苦笑してしまう。
自分自身にまだこんな熱が残っていたのかと。
掌を握り締め、生を実感する。
あの女性にもう一度会わなければ。
セルフィンの赤く美しい瞳に活力が満ちる。
死にたくないと、強く思ってしまった。
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