第5話 月明かりの夜


 サラマリアが気に入っている庭園は今年もよく手入れされていた。先客はいるようだが、この庭園はかなりの広さであるため、誰もいない方に向かって散策することにする。


(ここは本当に素敵ねぇ……)


 帝城にある庭園のような絢爛豪華な派手さはない。しかし、単純に見えて手の込んだ、職人のこだわりを感じさせるような作りが好みに合っていた。


 月明かりが照らす静かな庭園は非現実的で、どこか不思議な空間に迷い出したかのようであった。


 


(……ん?なんだか人の気配が増えたような)


 気持ちよく散策していると、不意に人の気配を感じた。先ほどいた先客に特に動きはないようだが、その近くに二人……?


(この感じ、なんだか嫌な予感がする……)


 唐突に現れた二人はどことなく不穏だ。


 気配を殺して片方に近づいていく。スルトザ兄さんが近くにいるこんな場所で、物騒なことを許せるはずがない。


……

 


 見つけた。

 その姿は明らかに招待された客ではない。先客の方を向き、気配を隠している。


 そして、手には凶器。


 間違いなく暗殺者。

 


 すぐさま頭は冷えていく。

 状況を整理し、最適な動線を計算する。


 侵入者は二人。

 標的にされているのは先客だろう。



 


 楽しい気分が台無しだ。


 まったくなんてことだろう。


 こんな日に、


 こんな素敵な場所で、

 


 





 サラマリアを守るため、マンノーラン伯爵家がひた隠しにしてきた才能が、今宵牙を剥く。


 

――――――


 いつも考えてしまうことがある。


 他の家族のみんなみたいに、

 

 世の中の役に立つ才能があれば、


 人に誇れる才能があれば、


 どんなに良かっただろうか。


 考えても意味はないとわかっているけど。


 望んでしまうのは仕方がない。


 それに、でも、


 大切な人を守ることができる。


 それでいいじゃないかと、自分に言い聞かせる。


 

――――――


 

 音もなく、声を上げることもできず、すでに終わっている。


 サラマリアは倒れた侵入者を見つめていた。


(武器を拝借して、と)


 皇室主催のパーティーということもあり、警戒が厳重で大したものは持ち込めなかった。まあ、侵入者がいる時点で、警戒なんて大した意味をなしていないが。


(もう一人も掃除してしまいたいけど、場所が悪い……)


 位置取り的に、標的となっている先客の向こう側にもう一人の侵入者の気配がある。回り込んでいる時間はないだろう。


 気配を殺し、先客を庇える位置に身を潜める。

 

 先ほどの侵入者の所持品は短剣くらいだったので、もう一人も同じであれば直接刺しに出てくるはずだ。ご丁寧に毒まで塗られていた。

 


 ゆっくりと時間が流れる。少しでも飛び出すのが遅れれば、間に合わないだろう。


 そして、雲が流れ、月を覆い隠し、辺り一面が暗闇に満ちた瞬間、気配が動いた。


(……今っ!!!)


 瞬時に飛び出し、先客と侵入者の間に割り込む。

 相手の短剣は特注の扇子で防ぎ、弾く。


 侵入者は驚愕し、少し硬直していたが後ろに飛び距離をとった。声もなくこちらを見つめる。


「な……んだ……?」


 背後から戸惑いの声が上がる。

 それはそうだろう。


「安心して?あなたは私が守るから」


 背後に振り返ってそう告げる。

 少し月光が漏れていたが、気が動転している上に暗闇で顔なんてよく見えないだろう。

 大きな隙を晒すことになるが、これは相手の行動を誘導するための釣り。さて、どう動く。


 侵入者はサラが振り返った瞬間に短剣を投擲。

 即座に身を翻して逃走を図った。


(潔いなぁ……向かってきてくれた方が楽だったのに)

 

 あそこで逃走を選択できるなんて優秀だ。

 顔を見られた可能性があるので、追わなければ。


(この暗闇なら見えてないとは思うけど……)


「その、貴女は……」


 先客が声をかけてくる。

 顔を見られる前に立ち去らなければ。


「無事でよかったですそれでは私は用事があるのでここで失礼しますね。このことは忘れるか誰にも言わないでもらえると助かります」


「なっ……」


 扇子で顔を隠しつつ、早口でそう言ってすぐにその場を離れる。何か言いかけていたが気にしない。

 

 何度か散策した際に、逃走に使用できそうな経路は頭に入れていた。侵入者の気配が向かった方向から、候補を絞り込む。

 


 まだお掃除は終わっていない。

 


――――――


 

(クソッ……クソッ……一体何がどうなってやがる……!!!)


 侵入者の男は予め準備していた逃走経路をひた走る。

 荒れ狂う心情とは裏腹に、その走りは正確だ。


(何から何まで完璧だったはずだ……!!あの時点で現れなかったってことは、あいつもやられたってのか!?)


 今回暗殺を任されたのは精鋭中の精鋭二人。

 長い年月をかけた事前の準備に抜かりはなく、協力者もいたため侵入は驚くほど簡単だった。あとほんの一歩で仕事を完遂できたのだ。


(それを……それを……!!なんなんだあの女は………!?)


 あの瞬間に割り込むことは偶然では不可能だ。動きを読まれていたと考えるのが妥当だが、そんなはずがない。隠密行動に長けた一流の暗殺者が、気配を断ち、身を隠していたのだ。同業であってもそうそう見つけられるものではない。


(ありえねぇありえねぇ……!!

 ……だが、ありえねぇことが起こったんならそれはもう逃げるしかねぇ)


 当然逃走経路は確保していた。現れた女が大きな隙を見せたあの瞬間、逃走を選択できたことは正解だったのだろう。


(依頼は失敗しちまったから消されるかもしれねぇな。まあ、追手がかかっても逃げおおせて……)


 離脱後の計画に頭を巡らせていると、突如として嫌な感覚が迫った。

 直感に従い立ち止まると、目の前にナイフが突き刺さる。


「なっ……」


 思わず声が漏れた。


「よく避けましたねぇ今の。当たると思ったんですけど」


 ありえねぇ。

 監視を掻い潜るために多少迂回したとはいえ、先回りされているだと!?

 どうなってやがる!!逃走経路まで読まれてたっていうのか……!?まさか裏切り者でもでやがったか!!


 裏切り者がいた方がまだ納得できる。それほどあり得ないことが立て続けに起こっていた。


「うーん、混乱しているようですね?まあ、それも仕方のないことですか」

 

 なにやら話しているがそれどころではない。先ほどは逃走を選択したが逃走先に回り込まれてしまったのならやるしかないだろう。幸いかどうかはわからないが、相手は女一人。


 殺して逃げるしかない。

 気取られぬよう臨戦態勢に移る。


「あー……もしかしてまだ逃げられると思ったりしてます?」


 扇子で顔を隠した女がふざけたことを抜かしている。

 ここまでありえねぇことが起こったことはこれまでなかったが、オレは何度も窮地を脱してきた一流の暗殺者だ!!!

 こんなところで、終わる、わけが……


 不意に体勢が崩れる。

 身体の自由が効かないことに気づく。


「やっと効いてきましたか。これってもっと即効性のある毒だと思ってたんですけどね……。毒に耐性でもあったんですかね?」


 おかげで無駄なお喋りをしてしまいました、と言いながら扇子の女が短剣を取り出してこちらに向かってくる。

 

 毒だと……??短剣を防がれたあの一瞬の攻防で傷をつけられたっていうのか……??


 もはや頭が回らない。

 わかるのは、ここで自分が終わるということ。


 ありえねぇ。


「それでは、さようなら」


――――――


(ふぅ……やっと片付いた)


 とりあえず一息つく。

 そろそろパーティーも再開しているだろうし、会場に戻るとしよう。スルトザ兄さんを探して、目立たないように帰ってしまおうか。


 まさか外に出てこんなことに遭遇するなんて思ってもみなかった。考えるよりもまず体が動いてしまったが、助けられてよかったと思う。


 あの先客が忘れてくれることを祈るが、それはなかなか難しいだろう。スルトザ兄さんには一応、伝えておかなくてはならない。


(早く帰りたいな……)


 今日はなんだか疲れてしまった。

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