第2話 蟹
なんでも食べる人、四つ足は食べない人、動物は食べない人、霞を食って生きている人。あなたはどれですか?
生き物を殺して食うことに対して、私はアイヌの考え方が好きだ。とはいえ、まち中暮らしの私は一介の消費者のさらに末端であり、社会に食わせてもらっているのだから偉そうなことは言えないし、まして他人のことには口をはさみたくない。だから個人のスタンスとして。
「この鶏はなんて名前なんですか?」
「名前はないよ。家畜だから」
私の先輩と小学生の会話。先輩は鶏を飼っていて、卵を取る。そのために飼っているから家畜なのだ。用足しのための動物。
函館駅のすぐ近くに朝市があり、それぞれのお店に大なり小なり水槽があって、蟹がひしめいている。これだけの蟹が水揚げされているのかと思うと、漁というのはダイナミックなのだなぁ、と今更かつ小並感が出る。
水槽にみっちり入っている蟹を見て、うまそうと思うか可哀想と思うか。私はそこまで蟹が好きなわけではないので、うまそうや可哀想よりは、動いている蟹の姿形のもの珍しさに関心が向く。
ただ、理由はなんにせよ、動く生の蟹を店先に置くのは賢いな、と思う。観光に来ておいて可哀想と声高に言う人はいまい。大体が物珍しさやおいしそうで足をとめる。足をとめてもらえればよいのだ。そこから店員が話しかけてセールスを始める。そのための蟹。
店員から見たら、蟹は仲間か労働者(労働蟹)か売り物か。いや、売り物に決まってるだろう。彼らにとっては毎日のこと。日常。生業。何も我慢したり売られていく蟹に涙を流しながらやっているわけじゃあるまい。
夜。ホテルは駅から離れていたが飲み屋がそこそこあり、女の子のお店の看板がでかでかと出ていた。そこに二人のバニーガールが道ゆく男の人に声をかけていた。
蟹。
店先の蟹。
鶏。
卵を取られて飼われる鶏。
網で無理矢理攫われてきたわけでもないし、売られるわけでもないし、食われるわけでもない、自由がないわけでもない。
が、
蟹も鶏も人間も、大して変わらないのかもしれないと思った。
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