第6話
ある夏のライブで、彼は飽きずに友人と来た。しかしいつもと違うことがあった。
「お願いします」
彼を目に捉え私は思わず目を見開いた。
私とチェキを取る列に彼が並んでいたのだ。それは初めてのことだった。メンバーの誰もが目の前のファンを無視して驚いた顔をしていたのがその不自然さを物語っている。
私はすぐに気を取り直し、いつもの私ではなくアイドルとして彼と接する。
「ありがとうございます! でも珍しいですねいつもは誰とも撮らないのに、興味ないのかと思ってた~」
「いやそういうわけじゃないんですよ。いつも誰と撮ろうか迷ってたんですけど、あまりにもあなたが輝いていたから撮りたくなったんです」
「嬉しい、ありがとう! じゃあこれからは私を推してくれますか?」
「推しますよ、ずっと輝いていてもらいたいんで」
こんなに口が上手い人なんだ。それもそうか、よく女の人と会ってるからそれはお手の物だろう。
その瞳も蠱惑的に輝いている。こうして近くで見るとより彼に目が吸い込まれた。主客転倒もいいところだった。
「時間でーす」
その声が聞こえ、彼は「また」と遠ざかっていく、その去り際。一つのメモを誰にもばれないように私に手渡した。目をやればそこには数字が書かれている。彼の顔はもう見えない。
これは電話番号か。もらうのは初めてではない、よく過激なファンの人で渡してくる人は何人もいた。でも、彼が、これを?
訳も分からないまま、彼はすでにライブハウス内には見えなかった。
頭の整理がつかないまま前を詰める列に対応するしかなかった。
ライブ終わりすぐに外に出てその番号に目を落とす。これは私が掛けていいものか。一応アイドルではあるのだから、こんな交流は良くないことくらい頭では気づいていた。
ストーカー行為をしていて今更何を、とも思ったがこの行動は明らかに一線を越える行為ではあった。
プロデューサーに相談しようかとも思ったができるわけがない。きっと拒否されるに決まっている。
しばらくその番号とにらめっこした後、結局興味が理性を追い越した。
コールが鳴る。本当に彼の番号なのかな。鳥肌と冷や汗が体にアラームを鳴らしている。
数コール後、電話を取る音が聞こえた。私は息を呑んだ。
「もしもし」
『もしもし。ライブお疲れさまでした。今は帰宅途中ですか?』
「はい。今ライブハウスを出たところです」
物腰柔らかい彼の声が体をなぞるように聞こえた。その声に妙に安心した。
「どうして私に番号を渡したんですか?」
『あまり理由はないけど、悩みを話す相手がいなくてさ、よければあなたに聞いてほしいと思ったんだ』
見ず知らずの他人の私に? とも思ったが、案外そういった人の方が話しやすい悩みなのかもしれない。それとも、アイドルについてだろうか。
「わかりました。聞くくらいなら」
『ありがとう。今日会えそう?』
「はい」
思わずそう答えていた。
『じゃあ————僕の家に来てほしい』
彼の付け加えた最後の言葉に、私は一気に顔が青ざめた。
疑問符を出す間もなく彼は言葉を継ぐ。
『住所は……わかるね?』
「…………はい」
短くそう返事をすると、「楽しみに待ってる」と電話が切れた。
最後まで変わらないその声質が余計に怖かった。
もしかしてばれていた? でも一体いつから?
わからないけど、私がこれから逃げる選択肢は失われていた。
まさか、彼はこれを見越して私に番号を?
全てがわからない。ただ、今から知ることになる。彼の家に行けばすべてが分かる。
そんな不安の裏で、高揚する気持ちが抑えられないのも感じていた。これがどういう感情なのか、この感情に名前を付けるならなんて言えばいいんだろう。
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