第6話 吾妻タツ襲来
そいつはアポなしでやって来た。
――
迷惑系配信者として知られて、そのカテゴライズ名の通り人を不愉快にさせるコンテンツで閲覧数を稼いで生計を立てているネット有名人だ。
あたしは前世の頃からこいつが大嫌いだった。
吾妻は巨漢の元格闘家で、素行の悪さからリング外で次々とトラブルを起こして速攻で選手をクビになった。
巨漢と言えば聞こえはいいけど、要は不摂生が祟ってデブになっただけの選手だ。でかい体で相手を押しつぶして体力を奪う、体格以外に大した才能もない大味選手。それでいて素行不良なんだから話にならない。
加えて吾妻は骨の髄までクズだった。
格闘技界をクビになって食い扶持を失った彼は、クラウドファンディングと称して一般人に生活費をたかったり、万引きや買春を実際にやって逮捕されるという動画を配信して物議を醸した。
それがこのアホ一人の問題で済めば良かったけど、所属していたジムに「お前のところではどういう教育をしているんだ」とクレームの電話が殺到し、ジムは無期限の営業停止に追い込まれ、そこへ所属していた格闘家たちへの風評被害もひどかった。
逮捕されたら反省するのかと思えば、保釈後に「逮捕されて箔が付いた」とか頭のおかしなことを言っているし、小学生の配信者をアポなし取材で突撃して子供たちを恐怖のドン底へと突き落としたり、別の有名配信者のやっている飲食店に行って「まずい」と連発するなど、本当にこいつ死ねばいいのにと思わせるようなことばかりやってきた奴だった。
そんな奴がいきなり高校にやって来たのだからさあ大変。面白がってスマホで撮影する男子もいたけど、あたしは本気でこいつに関わりたくなかった。
あたしは最近ネットで有名になったから、ここで絡んで一儲けしようという魂胆だろう。マジで死ねばいいのに。
当の本人はガチで嫌われていることになんか気付きやしない。
許可も出していないのに、吾妻はスマホをこちらへ向けて叫ぶ。巨漢のせいか、スマホがやたらと小さく感じられた。
「おい、
耳障りな甲高い声。人の神経を逆撫でするために調律されているみたいだった。
殴ってやろうか、今すぐに。
そんなことを思ったけど、殴る瞬間を撮影されたらそれはそれであたしが炎上することになる。そういうこともキッチリ計算してやっているのだ、この男は。図体はでかいくせに、やることが汚い。
こういう奴は相手にしてはいけない。
あたしは吾妻を無視して部室へと向かっていく。
「おい、無視するな! 有名になって調子に乗ってるのか!」
ああ、うぜーな。
やっぱりこいつ面倒くさい。
相手にすれば、あいつの食い扶持を稼ぐことになってしまう。それは嫌だった。
「おい、待てよ!」
肩をグイと掴まれる。
あたしの中で、ブチっと音がした。
気付けば吾妻の顔面に素手の右拳がめり込んでいた。
「ぶべえ……!」
油断していたのもあったのか、吾妻は痛そうに顔を覆ってスマホを取り落とす。すかさず吾妻のスマホを拾い上げて、あたしの盗撮動画を削除した。動画を編集してアップロードさせないためだ。こいつなら肩を掴んだ部分だけをカットして、さも自分が襲われたかのように編集して楽しい動画コンテンツに仕上げてもおかしくない。
「勝手に撮影するのはやめて下さい」
それだけ言うと、あたしは部室へと向かった。
ああ、練習前から胸糞悪い。
今日は力いっぱいサンドバッグを叩こう。もちろん、吾妻タツの顔を思い浮かべて。
◆
着替えて部室へ行くと、何やら騒がしかった。
嫌な予感はしたけど、やはり原因は吾妻タツだった。
割りと冷静に見える佐竹先生が何かを諭している。
先生、そんな奴に説経をしたって無駄だよ。
そいつは狂っているって言われれば言われるほど喜ぶだけなんだから。
「ふざけるなよ! 俺はお前のところの生徒に殴られたんだからな!」
半ば予想通り、吾妻はスマホを先生に向けて勝手に撮影している。この後にSNSへ勝手に上げるつもりなんだろう。こいつが狂った奴だということはネットの誰もが知っていることだけど、それでも恩師がそういう風に風評被害を受けるのは許せない。
「吾妻! 何やってんの!」
自分でも驚くほどの声が出た。それだけナチュラルにムカついたんだろう。
吾妻は一瞬だけビクつくと、ガチで気持ち悪い笑顔をこちらに向ける。
「見いつけたぞぉお~」
あたしを見つけるやいなや突進してくる吾妻。男子の部員たちが壁になって吾妻を止める。
「邪魔だああああ!」
だぶついた腹を揺らし、男子たちを押し切ろうとする吾妻。だけど、男子部員も屈強な男たちの集まりなので、正直そこで堰き止められている。
吾妻がいくら巨漢でも、何人もの現役ボクサーから押さえ込まれたらどうしようもない。
「お前、何しにきたの?」
佐竹先生が、割とマジなトーンで呆れている。
多分、こういう種類の人間を見るのは初めてなんだろう。たしかにネット社会に馴染んでいない人からすれば、こいつはただのヤベー奴にしか見えない。……まあ、実際にそうなんだけど。
「多分、最近バズってるあたしと絡んで人気者になりたいだけだと思います」
遠くから解説すると、佐竹先生が「うわ、めんどくせえ」という顔をした。同意しかない。
押さえつけられた吾妻が叫び出す。
「うるせえ! 俺はなあ、現役の世界王者でもないお前がちょっとかわいいだけのJKってだけでチヤホヤされているのが我慢ならないんだよ! 調子に乗りやがって!」
こいつの理屈は無茶苦茶だった。
同じ有名人なら竹原慎二とかがいるけど、そっちに行ったら殺されるだけだから楽な方を選んだだけなんだろう。だんだん腹が立ってきた。
「っていうかさ、あんた何がしたいの? わざわざケンカでも売りに来たわけ?」
「そうだ! 調子に乗ったお前を、スパーリングでボコボコにしてやる」
「うわっ、だるっ……」
心からそう言った。
こいつは自分よりも体重が軽く、腕力で劣るであろうJKボクサーと闘って知名度を上げようとしているだけだった。想像を絶するクズだ。ここまで卑しい奴を見たことがない。
「じゃあ何? スパーでもやったら帰ってくれるの?」
佐竹先生が耳クソを小指でほじくりながら言う。
「ちょ……先生、こんな奴に関わったら余計面倒くさくなりますよ!」
「そうだな。まあでも、お前、相当重そうだからせいぜいマスだな。スパーはダメだ」
佐竹先生は同情破りめいた無礼者に折衷案を出した。
吾妻のお目当てはあたしだ。
だけど、どう見ても重量級の吾妻と細身のJKでは階級が同じはずがない。ボクシングは階級制のスポーツだ。
さすがにスパーは無謀だと判断したんだろう。
たしかにネット有名人のいいね稼ぎで手塩にかけた選手が壊されたらたまらない。だから全力で殴り合うスパーリングではなく、軽く打ち合う程度のマスボクシングで手を打とうという案を出したのだろう。
「チッ、しょうがねえな。それぐらいで許してやるよ」
スマホで渋面を自撮りしながら吾妻が答える。こいつのどこからどこまでが演技なのかが分からない。
「じゃあ、さっさとやろうか」
佐竹先生が話をまとめる。
そうでもしないと帰ってもらえそうにないからな、とは言わなかった。多分そう思っているんだけど。
かくして、あたしはネット有名人と謎の練習試合を行うこととなった。
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