第6話 記憶①

地下鉄の臭いは濃くなっていく中、私は下に降りて行った。拍動と流汗は激しくなるばかりで、だんだん胸の辺りも苦しくなってきた。吐きそう。でも我慢しなきゃ。早く自立しないと。


「はあ、はあ、…。」


「村山さん。」

「村山さん、資料置いときますね。」

「村山さん、ありがとうございます。」

「村山、ここ間違ってるよ。」

「村山さん、飲み行きましょう。」

「村山、もっと気利かせろよ。」

「村山っちがいてよかったよー。」

「村山先輩、お世話になります。」


「村山、また間違えてる。」


「村山さん、資料まだですか?」

「村山さんと飲み行くとめんどくさいんだよね。」

「村山さん、またやらかしてる。」

「どうして村山さんってあんなにできないのかしら。」

「村山さん、また叱られてる。」

「村山ってほんと仕事できねえよな。」

「村山さあ、いい加減にしろ!」

「使えねえ。」

「村山、はやくしろ!」

「おい、ごみ!お前みたいなの雇ってやってるんだからこれくらいしろ!」

「アイツ、ほんとムカつく。」

「ごみ、さっさと動けよ。」

「なあ、お前はこういうことくらいしか使えねえ。」


「村山」

「村山」

「村山」

「村山」

「村山」


村山。村山野笑。



「っはあ、っはあ…。う、ゔあっ、おえっ…。」


私は逃げるようにして家に帰った。


本当に逃げた。



バス停に着いた時には雨がザーザー降っていた。傘なんて持ってないし、買うのも面倒くさかった。何もできない。

私はただ家へと歩いた。


家に着くと体中ずぶ濡れだった。


「野笑!」


珍しく引き戸を開けると父がいた。

「はやく、お風呂入りなさい。」


「はい…。」



お風呂の湯気が冷え切った体に纏う。この生ぬるさが余計私の胸を苦しくする。

「私、私は…。」

ぼやけた視界に映ったのはカミソリ。














「野笑!やめなさい!」

「離してよ。」

「カミソリを早く手から離しなさい。」

「やめて。やめてよ。

もう、分かんないのよ…。お願い、離して!!」

父を蹴飛ばした気がする。

「野笑。ごめんな…。」

父は何も言わず私を抱きしめる。

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はるの残り香 颯 窓舞 @camvl

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