第5話 戻る
「お父さん、東京に一旦帰ります。夕方ごろには戻る。夜ご飯は食べてきます。お父さん、自分で適当にやっといてね。」
そう父の書斎に向かってドア越しに言った。多分聞こえてないので居間のちゃぶ台の上に置き手紙を書いて家を出た。
数分かけて近くのバス停留所に向かう。田舎だからバスは数時間に一度しか来ない。だから今日は早起きして来た。時間表は古くなって埃がかぶってぎりぎり時間が読める。これ、本当にバス来るのか。
そうこう思っていたらバスが来た。中はガラガラで私しか客はいない。そりゃあ朝だもの。蝉の声はミシミシ言っていたけど、暑さは少しマシでキリッと涼しい空気をまとっていた。清々しい、とでも言うのだろう。
バスの窓から動く景色は、私の知ってる故郷だった。田んぼの緑が一面を覆って、電柱がポツンと立って、古民家が並んで。奥には緑緑した山が聳える。この景色は相変わらず変わってなかった。でも立ち並ぶ古民家、あの中に空き家は何個あるだろう。田んぼだって少しだけ縮こまった気がする。農家のおっちゃん、元気かな。山の方にある私が通っていた小学校も廃校になったらしい。
故郷は何も変わっていないようで、本当は17年という年月を経て著しく変化していた。
バスは古い駅舎に着く。無人駅から駅へ駅へと乗り継いで行く。
やがて別世界。都会にたどり着く。都会の駅は田んぼではなく人が一面を覆う。通学ラッシュで学生がウジャウジャいる。まるで蟲みたいで気持ち悪い。
そんな人混みを抜けて新幹線に乗って東京に着いた。
東京は全てがあって満ち溢れているようだけど、何にもない街だ。家を出た私が憧れていた場所。大人になるにつれなにもかも要らなくなる。全て捨てたくなる。それを学んだ場所。
タクシーに乗って目的地にたどり着く。
陽だまりが満ちている、童話に出てくるような優しいおうち。
"精神科"
私はドアを開けて中に入った。
「いい調子ですよ、村山さん。電車とか新幹線に乗るのは大丈夫でした?」
先生は優しく微笑む。
「もともと大丈夫です。電車、好きなんです、私。
あの、私朝もちゃんと起きられるようになったし、夜もしっかり眠れるようになったんです。」
「それはすごい進歩です。謎の生き物の鳴き声はどうですか?」
「それも大分聞こえなくなりました。」
「そうですか。よかったです。一番、それが大変そうだったから。いい兆候ですし、お薬も減らして大丈夫そうですね。」
「本当ですか?!」
「はい。村山さんがここまで頑張って来たから。」
「あの、もう仕事復帰しても大丈夫ですか?」
「えーと、それはもう少し待ちましょうか。」
「え?
私、もうすっかり元気なんですよ!だから大丈夫です!」
「いえ、この病気はすぐに再発する病気なんです。だからもう少し気長にいきましょう。」
「そんな…。」
「村山さんはお仕事今までとても頑張ってきたから、早く復帰したいお気持ちはわかります。ですが今はまだ休憩する時ですよ。だんだん良くなっていきますから。」
「はい…。」
「くれぐれも自分はダメなんだなんて思ってはダメですよ。あなたは着実に前に進んでいますから。」
苦しい。
まだまだ自分が完璧じゃないってことぐらい分かってる。でも私はこんなんじゃなかった。
思い切って前の会社の近くまで行ってみようと思った。
もし、これで会社まで行けたら先生も許可してくれるはず。電車だって、新幹線だってここまで乗ってこれたし。
私は近くの地下鉄に行った。
地下鉄の臭いは鼻の奥までつついてくる、そんな独特なもの。地下鉄の階段を降りている途端鼓動が少し激しくなった。緊張…?緊張しているの?
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