第4話 桔梗
静かに父と夕食を食べていた時、父が沈黙の中急に無口な父にしては珍しく自ら口を開いた。
「野笑、明日沙雪さんの月命日だからお墓参に行こう。」
父は母のことを"お母さん"とは呼ばず沙雪さん、と昔から変わらず呼んでいる。
私は声を出さず唯頷いた。
翌日 消えない蝉の声と朝なのにきつい夏の日差し。汗が首をつたわる。最近長く寝ることは少なくなって今日は朝ちゃんと早く起きられた。
母が眠る墓地は家から15分ほど歩いたところにある。その15分、私たちは何も話さなかった。17年という月日の長さを感じる。もう帰らないと誓った私は本当に17年、一度も家に帰らなかった。そして父も何も言わなかった。私は帰りたいと思ったこともなかった。今だって帰りたくて帰ってきたわけじゃない。ずっと一人で生きたかったのに。
「お父さん、カエデさん元気?帰ってから一度も会ってないけど。」
「カエデさんなら辞めたよ。
あの人も大分歳だったから。」
「そっか…。」
そりゃそうだよな。
カエデさんは母が亡くなってから家に来たお手伝いさんのおばちゃんだ。父は有名な作家で忙しい人だったから私のお世話とか家事とかをする余裕がなかったのだ。
初めて会った時も、もう50代半ばとかだったから今はもう七十歳くらいいってるか。
「着いた。」
墓地は閑散としていて墓石を初夏の日差しが照りつけていた。
私と父は水と花を変えて軽く草抜きをした。少し暑いから早く終わらせて帰ろうということだ。
「お父さん、私が毎年お母さんの命日の日にはお墓参りしに来てたって知ってた?」
家には一度も帰らなかったが母のお墓には毎年来ていた。
「ああ。花がいつのまにか綺麗になっていたから。」
花を眺めていると、ふと母が花瓶に花を生ける姿を思い出した。
「うん。
ねえ、お父さん、お母さんが好きな花って知ってる?」
父は墓に供えた仏花を見た。ありきたりな菊が入っている。
「菊ではないよ。」
「何?」
「桔梗。お母さんよくね夏になると桔梗の花飾ってたんだよ。お父さん、知らなかったでしょ?いつもあんな薄暗くて埃まみれの部屋にいたから。」
父は黙り込んだ。
今日は夏の暑さのせいかとてもイライラする。
「お父さんはもっとお母さんを大切にしなきゃいけなかった、仕事なんかより。私、お父さんの小説東京出てからごくたまに読んでたよ。本当ひどかった。どうして家族を大切にできないあなたが家族愛なんて書いてるの?私、お母さんのこと絶対に許さないから。」
蝉の鳴き声が初夏の空間を包む。
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