第5話 依存症
一人の男性がいて、この男は、たちの悪い男であった。
元々、百貨店でフロアマネージャーのようなことをしていたのだが、最近、懲戒解雇されたのだ。
百貨店では、体裁を繕ってか、警察に報告はしなかった。本来なら、警察案件ともいうべきことなのだが、
「そんなことが明るみに出れば、いくらかつての従業員がやらかしたことだとはいえ、客が遠のいてしまう」
ということで、
「事なかれ主義」
ということで、何も世間には発表もしなかった。
この首になったフロアマネージャーが何をしていたのかというと、
「万引きをした人を脅迫していた」
ということであった。
「過去に何度かやった」
ということは、本人から聞かされたりはしたが、その内容の詳細は聴いていなかった。
「いつ頃からやっていたのか?」
ということも、本人は曖昧にしていた。
「どうせ、懲戒解雇だ」
ということと、
「警察に突き出されるだろう」
という覚悟は、発覚した時から分かっていた。
ただ、被害者から被害届や、百貨店に対して、何ら連絡がなかったことで、
「被害者も、曖昧にしてしまいたい」
と考えたことから、警察には何も言わないということにしたのだった。
何しろ、被害者の方も、
「万引きをした」
といううしろめたさがあるからか、
「それによって、被害者や、自分の家庭が世間からどんな目で見られるか? ということを考えると、
「黙っておくしかない」
と考えるのも当然であろう。
当然、警察に訴えることもない、だから、被害届も出ていないわけなので、警察の方も、何もしらないということになる、
要するに、
「表向きに事件にはなっていない」
というわけである。
「被害者側も、百貨店側も、明るみにしたくない」
と思っているのだから、もちろん、
「警察沙汰」
になるわけはない。
だから、フロアマネージャーの男は、
「懲戒解雇」
ということになるだけで、何とかなったのだ。
ただ、懲戒解雇になったことには変わりはないので、再就職もなかなか難しかった。
それでも、何とか職にありつけたのだが、その職というのが、
「施設警備員」
というのは、実に皮肉なものだった。
彼は、派遣社員として、警備にあたっていた。時間は夜間帯で、仕事が終わったビルの中の巡回であったり監視カメラによる監視であったり、たまに、残業をしているところや、そこに入ってくる業者などの、入退室管理の仕事をしていた。
「施設警備というのは、定年退職した人がやるような仕事」
と以前であれば、思われていたということも多いだろうが、実際にはそんなことはない。
「二十代くらいから仕事をしている人も結構いる」
ということであった。
そもそも、警備員というと、4種類くらいの仕事がある。それぞれに、一長一短ということもあり、
「どれがいい悪い」
とは言い切れないが、一つは、
「施設警備員といって。今回の下フロアマネージャーが就いた仕事」
ということである。
こちらは、メリットとしては、
「比較的体力的にも楽で、仮眠もとれる」
ということであり、デメリットとしては、
「拘束時間が8時間という風に決まっているわけではなく、結構長い拘束時間の中に、求刑が長かったりする。しかし、そこでは、何かが起これば休憩している暇はないので、結果、ぶっ続けということにもなりかねない」
ということであった。
また、もう一つは、
「交通整理」
などの仕事というものである。
「こちらの仕事のメリットは、時間が決まっている」
ということであり、デメリットとしては、
「立ちっぱなしでの、しかも、表の仕事ということであった。つまり、真夏は暑くて、真冬は寒くて、溜まらないということになるのだ」
交通整理はかなりのリスクがあるといってもいいかも知れない。
また、
「要人警護」
であったり、
「現金輸送の警備」
のような仕事である。
この二つは、一般的なアルバイトというわけにはいかない。
本人、あるいは、警備にあたる相手の身の危険を守らなければいけないというもので、それなりに訓練を積んだ人間でないとできない。だから、普通の派遣や、求人には、こういうものはないのであった。
だから、下フロアマネージャーの男は、
「施設警備」
に就くことになったのだ。
彼の名前は、長門と言った。
年齢としては、40代後半くらいで、さすがに再就職ということで難しいものがあったのも、無理もないことだっただろう。
それでも、このビルの警備にあたるようになり、今まで何度か行っていた、
「権力濫用」
といってもいい、脅迫まがいのことは、鳴りを潜めていた。
さすがに、発覚して懲戒解雇になったのだから、ある程度の心を入れ替えるくらいは当たり前のことであった。
だから、警備の仕事も真面目にやっていて、本人とすれば、
「生まれ変わった」
というくらいの気持ちになっていたのだった。
警備の仕事は、施設警備であったり、交通整理などは、数十時間の研修を受ければ、あとは仕事に就くことができる。
最初に数日間、研修を行い、そこから、社員からの引継ぎなどを経て、
「施設警備員」
という形で、仕事に従事するようになったのだ。
ただ、彼が前にやっていたのは、万引きをしている子を、脅迫する形で、お金をせしめていた。
ただ、その中には、奥さんであったり、社会人の人もいたのだ。
さすがに、フロアマネージャーとすれば、
「万引きなどというと、普通は、中学生か高校生ということに、相場は決まっている」
と考えていた。
だが、今の時代は、
「それだけ精神を病んでいる人が多い」
ということで、
「買い物依存症」
ということだけでは我慢できず、依存症がエスカレートして、万引きをするようになった。
ということなのであろう。
実際に、最近では、学生よりも、依存症などの主婦や、OLが多いということは、自分でも顕著に分かってくるというものであった。
「依存症」
と呼ばれるものは、買い物だけに限ったものではなく、金銭的なものに関していえば、
「ギャンブル」
なども、その一つだといえるだろう。
パチンコなども、いくら、
「ギャンブルではない」
と言われていても、実際には、ギャンブルと同じものである。
「ギャンブルは勝つ時もあれば、負ける時もある。そして、お店単位で考えれば、利益を出さないと困るわけなので、当然、負ける人の方が多い分だけ、それがパチンコ屋の利益ということになる」
ということである。
利益を出さないと、パチンコ屋は潰れてしまう。そうなると、ギャンブルを楽しむ人も、パチンコができなくなるということで、パチンコ屋が儲けることを非難できないということになるのだ。
だから、そうすればいいのかというと、
「勝つ時はいいのだが、負けるという時でも、いかに、負けを少なく抑えるか?」
ということが大切だということになるだろう。
確かに、
「全体を通して負けなければいい」
という理屈にはなるのだが、実際にギャンブルをする時というのは、
「勝った時の醍醐味が忘れられずにする」
ということなので、目指すものは、
「大勝」
というものだ。
だから、
「ちまちま打っていては、せっかくの楽しみが半減する」
ということになる。
だから、
「大勝を目指すのだから、大負けの時もあって仕方がない」
と思うだろう。
だから、
「負ける時は、潔く負けよう」
という考えも芽生えてくるというもので、それを、
「ギャンブルをするということの言い訳にする」
という考え方も芽生えてくる。
そうなると、ギャンブルをすることで、曖昧な考え方が芽生えてくるということにもなりかねない。
というのも、
「最終的に勝っていればいい」
と思ったとしても、実際の損益計算表のようなものをつけているわけではないので、どうしても、曖昧になるというものだ。
それらを、
「どんぶり勘定」
ということになるのだろう。
「パチンコというものがギャンブルだ」
と言われるのは、まさにそういうことなのであろう。
それは、買い物依存症というものにも似たところがあるかも知れないが、見た目には、
「まったく違う」
といってもいいだろう。
買い物の場合は、パチンコのように、
「勝った負けた」
というものがない。
しいていれば、
「出資ばかり」
ということになる、
だから、基本的には、
「収入の中でいかに、出資をねん出するか?」
ということになるのだろうが、それが、
「依存症」
ということになると、こちらも、
「気が大きくなって、曖昧な気持ちになる」
というものである。
そもそも、
「買い物依存症」
というものになる原因というと、
「ほしいものがあって、それを買いたい」
と思うことが緒季節的な原因ではない。
確かに、買い物をすると、欲しいものを手に入れたという、、
「達成感」
のようなものが生まれてくる。
しかし、そこで、
「お金がもったいない」
という気持ちも心の奥にはあって、その間の葛藤が、買い物を抑止するといっても過言ではないだろう。
だが、依存症になる場合の一番多いパターンは、
「精神疾患」
のようなものが影響しているのではないだろうか。
例えば、
「最近では多くいわれている。会社においての、セクハラ、パワハラなどという、コンプライアンス違反などによるもの」
あるいは、
「育児などを、旦那が手伝ってくれないなどということで起こってくる、プレッシャーのようなもの」
これらのものが、
「ストレス」
となって、どうしていいのか分からなくなり、欲望に走るようになると、そこで、求めているものが、
「達成感だ」
ということに気づくと、そこから生まれるものは、おのずと、
「買い物症候群」
と呼ばれるものだということになるだろう。
買い物をして、ほしいものが手に入るということが、どれほどスカッとすることなのかということを覚えると、一種の
「ギャンブル」
での、
「大勝ちをした時」
というような気持になるのではないだろうか。
「パチンコも、自分のお金から投資して、大当たりを何度も見せてもらえて、それがストレス解消になり、しかも、その日だけはお金が儲かる」
ということであるから、当然のごとく、
「パチンコというものをするということが、どれほどのストレス解消になるか?」
ということが分かるのと、結果としては、
「買い物依存症」
というものも同じではないだろうか?
しかも、ギャンブルのように、嵌ってしまえば、どこまでもというわけではなく、
「決まったお金」
ということが、
「ギャンブルとは違う」
ということで考えさせられるというものであった。
それを考えると、
「パチンコと買い物であれば、まだ買い物の方がマシ」
と考えるのかも知れない。
しかし、一度嵌ってしまうと、
「ほしいものは、なんでも手に入る」
というような錯覚に陥ってしまうのかも知れない。
確かに、自分が得た収入の中であれば、それもいいだろう。
しかし、一度嵌ってしまうと、いくら、
「収入の間だけ」
といっても、それまでに、計算していた以上のお金を使ってしまうと、買い物ができなくなり、
「それが大きなストレスを生む」
ということになるのだとすれば、
「それは、どうしようもないことだ」
と考えてしまうだろう。
下手をすると、
「消費者金融に手を出してしまう」
ということになりかねないといえるのではないだろうか。
一番恐ろしいのは、
「それが旦那にバレて、せっかくの家庭が壊れてしまうことが恐ろしい」
ということである。
主婦の中には、
「買い物をする」
ということが目的なので、
「購入したものに未練があるわけではない」
ということになり、
「ネットオークションにかける」
ということも結構行われていた。
以前であれば、
「リサイクルショップに売る」
ということであるが、少しでもお金にしたいということで、ネットオークションが流行っているともいえるだろう。
それは、
「ものに対しての終着がない」
ということで、
「買い物依存症」
というのは、
「一時だけの、達成感が満足感になり、ストレスが解消される」
ということだからである。
ただ、その売ったお金を資金として、新たな買い物をしようというのであれば、次第に「使える金額がどんどん少なくなっていく」
ということになり、結果として、
「まるで、マトリョシカ人形か、合わせ鏡のようになってしまう」
という考え方であった。
「マトリョシカ人形」
というのは、
「人形が蓋になっていて、それを開けると、その中から小さな人形が出てきて、さらに開けると、また小さな人形が出てくる」
というもので、
「合わせ鏡」
というのは、
「自分の左右に鏡を置いて、そこに映る姿というのが、永遠に鏡と自分の姿になっている」
というもので、
「マトリョシカ人形というものと、合わせ鏡」
というものは、
「限りなくゼロに近い」
という存在になるだけで、
「ゼロには決してならない」
ということである。
それは数学的な考えで証明されるというもので、
「整数からどんなに整数を割り続けても、永遠に続く限り、決してゼロになるということはないのだ」
という考え方である。
ただ、お金に関して、あるいは、人間の欲に関しては、抑えが利かない。
ゼロを超えてマイナスになっても、
「ストレスが残っていて、その解消法というものを知ってしまった以上、そこでやめるということはできない」
ということになるのだろう。
それを思うと、
「依存症というものの解決は、無限に無理なのではないか?」
といえるのであった。
そんな依存症というものが巻き起こる中で、
「それを付け狙う」
という人がいないわけでもない。
それが、長門警備員が、以前やっていたことであった。
万引きなどで、中学生、高校生というのがたくさんいる中で、彼らや彼女たちに手を出すわけにはいかない。
何といっても、
「金を持っているわけではないし、未成年」
ということである。
下手をすれば、こっちが足がつくことになってしまう。
なぜから、
「何かがバレても、まだ未成年だから」
ということ、あるいは、
「家族などに相談する人も出るかも知れない」
ということであった。
それよりも、数は少ないかも知れないが、
「買い物依存症」
になってしまったことで、お金が無くなってしまい、買い物というものができなくなったことで、何をするのかというと、結局、
「達成欲」
あるいは、
「満足欲」
というものが得られなくなり、そのために、またストレスに逆戻りということになると、
「消費者金融で金を借りるか?」
あるいは、
「万引きをすることで、自分の欲を満たすか?」
ということになる。
消費者金融の人もいるだろうが、
「やくざが怖い」
ということで、、餡引きを選ぶ人もいる。
消費者金融などに手を出して、返せなくなったら、テレビドラマなどでよく見ることとして、
「風俗に売られる」
などということが起こらないとは限らない。
それを考えると、
「万引きの方が、もし見つかっても、初犯ということで、そんなにひどい刑に問われることもないし、場合によっては、前科もつかないかも知れない」
と思い。
「万引きに走る」
という人もいることだろう。
「買い物依存症」
などに走る女性は、ある程度、裕福なところの女性が多いだろう。
中には、万引きが楽しきなって、やめられなくなるという人もいるかも知れない。
そうなると、もう、
「お金の問題」
ということではなくなり、
「お金があるのに、万引きをする」
という人が増えてくるだろう。
そうなると、
「脅迫者もやりやすい」
ということになる。
万引きをとらえて、それが、マダムのような人であれば、
「警察に突き出されることを思えば、まだあるお金の中から、脅迫者に渡す方がまだマシだ」
と思っている人も多いのではないだろうか?
本当であれば、
「脅迫者に屈する」
というのは、
「プライドが許さない」
ということで、その屈辱に耐えられないことなのだろうが、万引きを、
「したなければならない」
というやむを得ない事情でしているわけではないのだから、彼女たちに。
「屈辱」
というものはないのかも知れない。
それを考えると、
「お金を脅されても、別に構わない」
と考えるだろう。
要するに、
「一番被害の少ないのはどれなのか?」
ということだけを考えるであろうから、
「お金を払えば、それで終わる」
という考えに至ることだろう。
しかし、それは、一番甘い考えであった。
というのは、
「一度お金を渡してしまうと、脅迫者は味を占めて、金づるにしてしまうことで、脅迫はずっと続く」
ということである。
もし、これが、
「自分が相手の立場だったら?」
という風に考えれば、そして、
「悪党というものの欲がどういうものであるか?」
ということを考えられれば、
「お金を渡す」
などという選択肢があろうはずがない。
というのも、
「何しろ、そもそもの問題は、自分の中にある欲というものが引き起こしたものだ」
ということである。
それがたとえ、
「ストレス解消」
という目的と、相手側の、
「お金を手に入れたい」
という目的がまったく違っているということから考えると、それは、
「確かに、立場が違っているから、それも仕方がない」
ということで、考えないようにするかも知れない。
だが、どう考えても、
「何かの事情を免罪符にして、犯罪を犯す」
ということは許されることではない。
それこそ、事情というものが、いかに自分たちを正当化しても、どうしようもないことだ。
最近では、ネットの世界で、
「私的逮捕」
というようなものがあり、警察が捕まえられないようなことを、
「個人で捕まえるということが横行している」
という。
それだけでも許されないことだと思えるのに、こともあろうに、逮捕をする連中は、
「正義」
という言葉を免罪符にして、それを動画にとって、ユーチューブなどで流すなどという暴挙を行っている。
これが法治国家の日本で許されていいものだといえるのだろうか。
特に。
「プライバシーというのは誰が検証するのか?」
ということである。
撮影者側が、相手を勝手に判断し、モザイクなども薄くしたりしているという。それも、司法による判断」
というわけではなく、捕まえる者が勝手にやっているということだ。
確かに現行犯であれば、警察のような逮捕権がなくとも逮捕することができるということであるが、だからと言って、まだ警察に逮捕もされていない人の顔を映して。それを自分たちの判断で晒すというのは、許されることであろうか?
「もし、冤罪であれば、取り返しがつかない」
ということになるだろう。
やつらは、確かに、
「正義という言葉を免罪符にして、自分たちのストレスを晴らすため」
ということで、それこそ、
「依存症と同じではないか」
といえるのではないだろうか。
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