未空 Pre Episode 1 2-1

 夜。クレイミル川からすぐ西の冒険者ギルド、ハンター協会本部を挟み、北西に位置する宿場通り。ここには酒場も兼ねた飯屋・宿屋などが多く存在している。独特の喧騒と灯りが毎晩、あたり一帯を包んでいた。


 その中のひとつ、入り口のドアが勢いよく開き――ドアごと外れなかったのが奇跡なくらいだ――身なりのあまり良くない痩せこけた男が “蹴り出された”。突然のことに周りは一瞬ざわめいたが、一目に喧嘩だとわかると訓練でもされたかのように円を描くように間だけを空け、無関心に人も離れてゆく。

「ってぇな!てめぇこのガキ……!」

「はぁ、まだやるの? やりたいなら構わないけど」

後ろに束ねた青みがかった銀髪を揺らし、冷ややかに言葉をぶつけながら歳若い少年が――十四歳ほどだろうか。まだ少し幼さ残る顔立ちだ――店から出てきた。夜風に靡く白いコート状のローブ。気怠そうだが、その端々にどこか強い意味合いをはらんでいる。我の強そうな大きな瞳を険悪に細めると――

「ちっ、覚えてやがれ!」

決まり切ったような捨て台詞を吐き、ガラの悪い痩せ男は去っていく。


「やあ……悪いねえ、助かったよ。あの手はウチだけじゃどうにもできなくてさ」

男が去って少しの後に少年へかかる声。店主らしき口髭の男が申し訳なさそうにすごすごと出てきた。

「いや、こっちもあんなの見せられたら夕飯まずくなっちゃうから。さっきの女の人は大丈夫そう?」

「あの子なら大丈夫みたいだよ。掴まれた腕少し痛いけど、怪我はないって」

それを横に聞きながら、少年は財布から十枚ほどの貨幣を取り出す。

「そう、よかった……これ、少ないけど取っておいて」

渡された店主は思わず目をひん剥いた。食事代どころの額ではなかったのだ。

「たぶんさっきので扉、建付けダメにしちゃってるからさ。それで足りるかわからないけど」

「い、いや……さすがにもらえない!こっちは助けてもらったのにこんな!」

「もし余るようなら、用心棒の頭金にでもしてよ。きっとまた来るから。じゃ」


 また来るのはチンピラの事なのかそれとも自分なのか適当に濁しながら、少年は歩き出し――不可解な視線に気が付いた。

またか、と思った。少年自身さっきのような出来事を見かけては気まぐれで度々喧嘩を繰り返していた。つまりそれなりに目の敵にしてる者も多く、売られることにも慣れている。

「なんだ――」

今日は疲れてるしあんまり数相手にしたくないんだけど……そう思った瞬間言葉に詰まる。というより、思考が止まった。昼間に川で助けた女の子がそこにいたからだ。

どこからかは知らないが今の出来事を見ていたのだろう。驚きを浮かべた顔のままこちらを見て固まっている。

驚いてるのはこちらも同じだ。あれだけの事故だったのだ、せめて一晩くらいは――


――おずおずと近づくルビーの瞳。なぜかメモ紙と硬筆を取り出しながら。目の前に立ち、すらすらと何かを書いて見せてきた。

『私は言葉が喋れないので筆談で失礼します。』

そして更に何かを書き足して見せてくる。

『耳には問題ないので、そちらからは普通に話してください。』


なるほどと思った。昼間に見た喉の違和感、それが全く変わってなかったから。


「大丈夫だよ、口の動きを見せてもらえば僕はわかるから。少しだけど読唇術は心得てる」

読唇術とは字の如く唇の動きを読む技術だ。知らない言葉でもない限りは口の動きを見るだけで読み取ることが可能だ。


『あ……。わかりました』

少女はメモと硬筆を引っ込める。

「それで、こんな物騒な所にどうして来たの」

敢えてちょっとキツめの口調で言う。控えめに言っても、宿場通りは普通の女の子一人で夜に出歩いていい場所じゃない。その深緑色の目には咎めるように光が宿っている。

『わたしはただお礼を言いたかったんです』

だが少年の言葉にも目にも全く怯まず、少女は真っ直ぐと見返してきた。

『あんな、今日の濁流の中を助けられるような人はそういないと、院長先生も言ってました。その……本当に、ありがとうございました』

言葉から一泊置き、少女は深く頭を下げる。


ふう。律儀なのか世間知らずなのか、はたまたその両方なのか――そう思うとすっかり咎める気も薄れてしまう。

「僕はたまたま居合わせて、出来る事をしただけだよ。キミが助かったのも運がよかっただけ」

自慢に聞こえなくもないが、運がよかったというのはその通りなのだろう。突き放すような言い方ではあるものの彼はただ謙遜しているだけだった。


『いいえ、とんでもないです。重ね重ね、本当にありがとうございました。では、わたしは失礼します』

少女は踵を返そうとするが

「ちょっと待って」

一人でそのまま返すわけにはいかない。さすがに止めた。

「送ってくよ。この辺は危ないし、もう夜だから」

『でも……』

「いいから。物のついで。違う所に泊ってるんだ」

本音を言えば少年は騒がしい場所はあまり好きじゃなかった。宿場通りへ食事を済ませには来たものの、せめてもと宿は離れた場所へ取っていた。


『では……お言葉に甘えさせていただきます。えっ、と――』

そこではたと気が付く。今思えば面倒事を避けて、病院でも一切名乗らず出てきてしまっていた。バツの悪さに思わず少年は頭を掻く。

「――ごめんよ。僕はディアレイド・シモンズ。面倒だからディアって、呼んで」

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未空(仮) 神無 @kirishimayuuri

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