未空 Pre Episode 1 1-2

 自分の身にあったことを思い出し、急速に意識が覚醒してゆく。

少しずつ、手をつきゆっくりと身体を起こしてみる。


「あ」

すぐ横から声がした。ドタドタと足音が遠のく音が聞こえる。

「いんちょー!!リサ目を覚ましましたよー!!」

騒がしくも不快感を感じさせない、明るい声。すぐに親友のエリルだとわかった。

「はーやーく!こっちこっち!」

「急かすなエリル!ワシが膝悪いの知っとるじゃろ……」

老いた、男性の聞きなれた声。院長のゲイツ先生だ。


「リサッ!リサぁ!よかったあ……!!」

金髪ショートカットにナース帽、白いエプロン姿の少女が駆け寄り、涙目で抱き着いてくる。

……やっぱりちょっと耳に騒がしい。一応だけど寝起きなのだ。

すると、彼女は敏感に察したらしく、

「あっ……ごめん、つい嬉しかったから」

と言いつつ手のひらを合わせた。

いつもの調子で舌をペロリと出してはいるが。


賑やかかつ快活な彼女はエリル・ヴィンスレット。リズの魔法学校初等部からの同級生で、無二の親友である。近しい人で、彼女は自分のことをリサと呼ぶ。そして、この病院で看護師として働いている。

というより、エリルの後からではあるが今はリズ自身もこの病院で治癒師として働いているのだ。


「ふぅぅ……おお、リズちゃん。顔色もそう悪くはないようじゃの」

ステッキをつきながら白衣を身に纏った老人、ダニエル・ゲイツ院長が入ってくる。高齢だが腕は確かな医者として、街の信頼を集めている大先生だ。


『わたし、なぜここに……?』

声が出ないので手話で話す。

「え……覚えてないの? リサったら川で溺れて死にかけたんだよ……」

そう言われてハッと思い出す。どうもまだ頭の中が混乱してる。


「そこで溺れてるの見つけた男の子が、リズを助けてくれたんだよ」

『そっか……』

ぼんやりと思い出す、あの浮遊感。凛とした声、あの光、瞳。

「そーじゃぞ。もしその子がじん……ふごぉっ!」

「いんちょー!!」

エリルがいきなり先生の口を塞ぎ、部屋の外へ引っ張っていった。


 室外でエリルのなにやら強い口調が聞こえるが、何を言ってるかはわからない。

『じん……?』

仕方がないのでリズは考えるしかなかった。

『――!!!!』

目を見開き、思わず口に手に当てる。

と、そのタイミングで二人が戻ってきた。


「ごめんね~せんせっ、あんなことしてえ」

やたらニコニコしつつエリルが言う。

「そ……そうじゃぞエリル!」

院長が軽く咳払いしつつ怒っている。……が、どこかわざとらしい。


「……ゴホンッ」

間を断ち切るように、再度咳払い。

「ともかく、彼がすぐ救出してくれたからこそ助かったようなもんじゃ。もしそうでなければ……助からなかった可能性が高いじゃろうな」

普段ひょうきんなゲイツ先生がまっすぐにこちらを見据えている。


「……というより、あの濁流から溺れる人間を救出できるものなど、そうはおらんじゃろう」


――唐突に思い出す、濁流の中での苦悶。

例えようもないほど息が詰まり、刺すような冷え、痺れ――もがけばもがくほど、衣服がまとわりついて沈んで――


「――サッ!リサッ!!」

強く肩を揺さぶられ悪夢から醒める。家の前には今日二度目の、親友の涙目の顔があった。


 苦しい。どうやら呼吸が激しくなってたようだ。

慎重に、ゆっくりと息を整える。元々ストレスに弱く、過呼吸になりやすかったので対処も心得てはいた。


「だいじょうぶ……?」

エリルがこれ以上ないほど、心配な顔で呟く。

『うん、大丈夫』

と反応したかったが喉が詰まり、頷きを返すことしかリズにはできなかった。

「よかったあ……」

それでも、親友は涙を拭いながら安堵してくれた。


死んでもいいと思ってたのに――あんなにもがいたんだ。


 奥底では生きたかった事に、初めて気が付いた。

『ごめんなさい……』

同時に、周りへの申し訳なさで胸がいっぱいになった。

「……どうしてリサが謝るの?」

親友はわかってない様子で――けれど、本当はわかってるのかもしれない――訊いてきた。

『ううん。心配かけちゃったから』

リズは微笑んだ。それを見て、エリルも優しく微笑みを返してくれた。


 いつの間にか、院長の姿は部屋の中から消えていた。

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