第5話 怠惰な部下
燐翔は4課のデスクで、無数の文字が並んだパソコンのモニターと格闘していた。画面には「PWW変異個体グリーンアイの調査書」「3課グリーンアイ討伐作戦計画書」「変異個体に対するリスク評価報告書」などのファイルが並び、サイドモニターには討伐現場で撮影された動画が映っている。報告書の一字一句に目を光らせ、いくつもの表やデータを見比べながら燐翔は内容を精査していく。
(はぁ……またリスク評価の見直しですか。これが一つ間違えば、住民や隊員の命に関わるというのはわかっていますが……)
肩こりをほぐすために顔を上げると、光海は自分のデスクで、腕を枕にしてぐっすり眠っていたのが見えた。まるで自宅のリビングにいるかのように、無防備に寝息を立てている。その顔は、どこか安心しきった表情をしていて、だらしなく口が開いていた。
燐翔は深いため息をつき、机に手をついて額を押さえる。目を閉じてしばらくそのままでいたが、やがて光海の元に行き軽く机を叩く。
「星さん、先日の報告書はできたんですか?」
光海はゆっくりと目を開けて、眠たそうにあくびをしながら顔を上げた。
「あぁ、先輩、まだ起きてたんっすか?」
「今は午後2時です。寝てないで、報告書を書いてください」
「まあまあ、間に合わせますってー。見ててくださいっす」
軽い調子で返す光海に、燐翔の眉がわずかにひそめられる。
「次寝たら部長に報告しますよ」
「わかってますってー」
「どうだか……」
燐翔は何度目かわからないため息をつき、自分のデスクに戻る。ファイル名の羅列に視線を戻し、次のファイルを手に取る。「グリーンアイの検死報告書」だ。討伐の後に回収されたグリーンアイの変異データ、ウイルスデータ、遺伝子データ等が詳細に書かれている。
(また新型の変異ウイルスですか。被害者女性の変貌速度を踏まえると、被害者対応のマニュアル変更を提案した方が良さそうですね。確か、最近2課が対応した事例でも似たようなものがあったはず……)
燐翔は過去のデータベースと照らし合わせ、より効果的な被害者対応の提案書を作成していく。提案書の作成が終わった頃、光海がまた椅子をガタンと鳴らし、足を組み替える音が聞こえた。
燐翔は視線を光海にやり、軽く眉をひそめた。
「星さん、スマートフォンを弄って何をしてるんですか」
「まぁまぁ、先輩。私は戦闘特化型っすから、書類作業をするには少しばかり休憩が必要なんっすよー」
燐翔は頭を抱える。
(何か目的があって、今もPWWウイルスの取引ルートや関連組織を調べているのはわかります。部長からも極秘裏にその調査を他の業務より優先する許可を得ていることも勿論承知してます。ですが、こんなふうに公然と仕事を放棄していい訳では無いのですが……)
タスクリストの項目が少しずつ減っていく一方で、燐翔はため息をついた。新たに書き上がった「変異個体のリスク評価報告書」に目を通し、さらなる改善案を記入していく。
PWWの変異個体の傾向を示すデータは複雑で、罹患者の変貌率とウイルスの変異の関連性までを考慮しなければならない。集中して考え込んでいると、突然胸に鋭い痛みが走り、燐翔は思わず手を胸に当てた。息が詰まるような痛みが続き、少しだけ表情を強張らせる。
(……少し休みたいところですが、まだ終わらなさそうですね)
報告書を送信し、次のファイルに手を伸ばしたころ、すでに日は傾き始めていた。それから暫くして、ようやく全てのタスクの確認が終わり、彼女は深く息をつく。
そのとき、隣からまた光海のくつろいだ声が聞こえた。
「先輩、お疲れ様っす!いやぁ、流石先輩!定時までに業務を終えてる!」
「……別にそのようにタスクを設定しているだけです。それより、報告書はできたんですか?」
「まだっす!」
光海は苦笑しながら、また椅子に寄りかかる。
(全く、何が良い後輩なんだか……)
「はぁ、いい加減、報告書を書いてください……」
「はーい」
燐翔の苦悩はまだ続きそうであった。
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